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ベーコン


ぼくがベーコンに出会ったのは3歳の夏だった。
それはもう蒸し暑い夏の日で、まだ毛が生えかけのぼくは、頭の皮が肉まんのようにほかほかと煮えたっていた。その上、野菜を美味だ美味だと貪り食うようなありえない顔をしていた。
その日ぼくは、祖父母の家に向かう超高速レーシングカーの中で、ある珍妙な塊を拾いかけたと同時に藪から棒へと鼻の穴に詰め込んだ。それが何だったのかは、鼻の穴というものは黒すぎて中が見えないため、はっきりとわからないが、ぼくの手の感覚の情報を頼りに最高裁が下した判決は、「どこでもアジパンダ」というものであった。これは、味の素の小さな小さな容器に本物の味の素の粉が入っているストラップという小洒落た品である。この裁判は、万が一味の素ストラップ側が敗訴した場合には自動的にピーナッツであったことにするという、野蛮で適当な裁判官の手中にあった。当日の判決は、味の素陣営が唾をゴクリと飲みこむ汚い音が12キロ先の厚切りジェイソンの耳にも聞こえたほどの緊張感の中で下された。結果は先ほど述べた通り、味の素陣営の勝利であった。すると、この日を境に全てのコンビニは、おつまみピーナッツや柿ピーなど、ピーナッツに関するあらゆる商品の販売を中止し、代わりに味の素の小さなストラップを、店中に所狭しと並べた。ところが、味の素の小さなストラップはパンダマニアとミニチュア愛好家以外には全く需要がなかった。初めは好奇心で訪れていた客も居たようだが、所詮は好奇心である。客足はすぐに途絶えた。コンビニはピーナッツ分の利益を失い、アジパンダ分の損害を生むこととなった。一年も経つと、コンビニにとって唯一の支えであったパンダマニアとミニチュア愛好家も、大量生産されたことによって希少価値が低下したためか、次第にアジパンダを雑魚扱いするようになった。初めは物珍しさから、メルカリにおけるみそきんのように、飛ぶように売れていたアジパンダ転売品は、ついには定価の半額以下でさえ、ひとつたりとも売れなくなっていた。
一方その頃ピーナッツはというと、コンビニという神聖な居場所を奪われ、場末の居酒屋でビール腹のおじさんの胃液の海を、噛み砕かれ木っ端微塵となった姿で泳いでいた。何とも惨めな話である。これを聞きつけた怒れる反体制ピーナッツ派と、コンビニエンスストアの間では一時激しい手押し相撲大会が巻き起こった。死者や怪我人こそ出なかったが、行方不明者が1人、いまだに見つかっていない。そう、ここまで読んだ勘のいい読者ならわかる通り、この行方不明者こそが厚切りジェイソンなのである。


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