波乱万丈という四字熟語は物事を適当に言いくるめてる感じがして嫌いだけどそう言い表すほかないのかもしれない日の日記
今日一日(昨日)感情があっちこっちいきすぎて脳みそがわけわからないことになっている
落ち着こうにも落ち着けない
時系列順に行こう
今日は珍しく早起きをした
大学の成績発表の日だからだ
私はテストの出来がどうであろうと、結果発表というイベントそれ自体にワクワクするタイプなので、ドキドキワクワクしながら目を覚まし、成績発表の時間ぴったりに成績通知書を開いた
一個だけ落としそうな科目があって、悪いほうにドキドキしながら見たら、なんと、落としていなかった!
と喜んだのもつかの間、自信があった科目の評価に、見たことのないアルファベットが表示されていた
思考が停止し世界が真っ暗になった
毎授業一番前の席に座り、一言一句聞き漏らすまいとして誰よりも真面目に受けていた科目が、N評価=評価不能となっていた
つまり、単位が認められていなかった
評価不能というのは、テストが不合格だったというレベルの話ではなく、そもそもテストを受けていない、もしくは出席していない、単位を取得する資格自体がないという判定だ
そんなことあるわけがない
欠席なんて一度もしたことがない
体調が悪かった日だって、その授業のためだけに無理して学校に行ったんだ、帰ってから39度の熱が出たよ
出席確認の課題はもちろん、テストだって確実に受けている
だから、意味が分からなかった
真っ白で使いものにならない頭をどうにか働かせ、大学の制度を使って異議申し立てをした
結果はまだ来ていないからわからない
だけどおそらく、なんらかの不備や不具合があって、大学のほうでは私がテストを受けていないことになっているんだろう
私が確実に提出をしていたとしても大学側でそれが確認できないのならば私に為す術はない
もし提出が正常にできていたら、確実に高評価だったと自分では思ってる
だけどそうやってもしもの話を言うだけならだれだってできる
本当に悔しくて悔しくて、これを書いている今だって涙が止まらないんだ
まじめに授業を受けてないやつにこの気持ちがわかるもんか
大学の楽しさがようやく本当にわかり始めてきて、レポートも得意になってきたところだった
小論文が満点だったんだー
ついこの間まで新聞の記者をやっていた、個人的にとっても尊敬してる先生に、マスコミ志望しないの?もったいないよって残念がってもらえた
この先生の話なら一万文字余裕で書けるくらい尊敬しているからなおさら嬉しいね
その気になればまじめな文章だってわたしは書けるんだという自信がついた
あのN評価がなかったら、正当に評価されていたとしたら、今期は半分以上の科目が最高評価のS評価となるかもしれなかった
(Sが多かったとしても1個でも落単があれば帳消しなレベルで全体の成績は下がるので落単がある今わたしの気持ちもマイナスにしかならない)
そんな風に肥大化した自尊心がこの結果をもたらしたのかもしれませんね
うぬぼれるなって空の上の偉そうなやつが私にいってるんだろう
アンチクライスタ!
たらればの話ばかりして自分で自分が恥ずかしい
端から見たら負け犬の遠吠えでしかない
しかも、私が所属している学科は比較的自由で楽な学科だから、世間的に見ればわたしの勉強は遊びの一種かもしれない、わたしの努力は不断の努力とは言えないかもしれない
だけど、自分なりに一生懸命やっていたし私はいつだって負け犬だ
楽に単位を取れるかどうかの基準だけで授業を選んで、AIにレポートを書かせていた大多数の人たちよりかは頑張っていたつもりだ
バカだけどバカなりに学ぶことを楽しんでいたつもりだ
精神的向上心のないやつは馬鹿だって今でも思ってるよ
こういう自分もすべて馬鹿だけどね、確固たる信念や目標があるわけでもないからなおさら馬鹿だ
私がただ少し頑張ったからなんだってんだ、結果に残らなきゃ意味がなかった
結局大学の単位なんて取れたもん勝ちで、授業に臨む姿勢なんて考慮されてるように見せかけてほとんど考慮されていないんだ
そもそも遊んでばっかりいてまともに授業を受けない人だって、それがその人なりの生き方なのであって、学費を平等に払ってる以上、誰がどんな姿勢で授業に臨もうが私に口出しする権利はない
授業を受けないという自由もある
こんなのただの当てつけだ
ひがみだ、やっかみだ
もう自分で自分がいやになるよ
こんな絶望だって、今日に始まったことではない
今年始まっていやなことばっかり
すごくうれしいことがあると思えば、喜ぶ隙も与えられないうちにどん底に突き落とされる
でもうれしいことがあるだけよかった
ぬるぬるのぬはうぬぼれのぬでもあるので、自分にとってうれしいことだけを都合よく解釈して喜ぶことができる
そうやってどうにか自分を楽しませようと頑張ってる
そういう意味では自分はすごくポジティブな人間だと思う
最終的にボヘミアンズのライブをみてきたという話がしたかったのに、成績の話がヒートアップしすぎて完全に成績に気持ちを持っていかれてしまった
ボヘミアンズの話をする少し
ボヘミアンズのワンマンライブを見てきた
どうにもこうにも最高だった
こんな嫌なことばかりの2024年だから何かに期待すること自体やめようって本気で思ってたけど、自分の意思と反してボヘミアンズにだけは、期待し続けてしまう自分がいた
期待をはるかに超える楽しさがそこにはあった
いつも最高なんて、おかしい、おかしい、本当におかしいんだ
変なの
変なものってすてき
という感情はボヘミアンズが思い出させてくれた気がする
回想(どうでもいいから読まなくていい)
小学生の時のわたしは、なぜだか変なものへのあこがれが強すぎて、人から変な奴だと思われたかったから、ゴリラが運動会してるTシャツと、でかいダルマがプリントされているTシャツと、カバの顔面のTシャツしか着ていなかった
Tシャツでしか変人さをアピールできないのはエセ変人たる所以
そして、カバの顔面Tシャツは正確には一度しか着ていないから今嘘をついたことになる
嘘をつく人は嫌いなので嘘をつく自分にも耐えられなかった
ゴリラとダルマしか着ていなかったのは本当だ
そんな人間のまま中学に進学したら、学校の宿泊行事のとき、隣のクラスのしゃべったこともない男に、すれ違いざまにお気に入りダルマTシャツを「ダサっ」ていわれた
その時に初めて、変っていうのは人によってはすてきなことではないんだと知った
そんな中高だったから、変な人になりたいという気持ちをいつのまにか忘れてしまっていた
だけど、ボヘミアンズに、ひらたぱんだ出会えたことで、変な奴は最高なんだという気持ちを取り戻すことができた
変な奴に憧れてこそ自分だと思う
だから今は、昔の一番楽しかったころの自分に戻ったような気持ちでワクワクしながら文章を書いてる
好きな人(変な人)の話と食べ物の話をするのがこの世で一番楽しいから、こうやって書けるのはものすごくたのしいし、読んでくれる人がいるのはこれ以上ないくらいうれしい
そして好きなものを熱く語ってる人の文章を読むのは楽しい、わたしが知らないことだって楽しい
知らないことを知るのは楽しい
無知というのはそういう意味では無限の可能性がある
そして好きなものが同じだったら、それはすごくうれしいことだ
ああみんな好きなことに熱くなったらいいのにな
いや、みんなが熱くなってしまったらニヤニヤできなくなるのか、大爆笑になってしまうのか、それはそれでいやだ
ひっそりこっそりにやにやわくわくしていたいね楽しいね
おやすみ
一平ちゃんの塩焼きそば世界一美味しいしキリンの贅沢搾りグレープフルーツ酒界で1番美味しい結局のところ綾鷹が1番美味しい