飽き性にしか作れない唯一無二のコンテンツ
僕は日本でもトップレベルに君臨する飽き性だ。高校の部活は一度転部したし、大学時代に手を出したボランティアや趣味は数知れず。そんな僕がこの先一生、続けられる職業は正直見当たらなかった。ただ唯一、そんな僕でも天職だと思えたのがライターだ。取材では俳優からTVタレント、企業の社長、SNSで有名なインフルエンサー、サラリーマンなど多様な人物に話を聞くことができる。サラリーマンにしても、業界は広告界から人材業界など、特定の分野の人に会わない。毎日違う人。
でも僕は、ライター以外の書く仕事をしてみたいのだ。飽き性というか、色んなものへの好奇心が人一倍強いのだと思う。だから、コピーも、小説も、短歌も、詩も、作詞も、脚本も、原作も書きたい。でもそこで懸念されるのは、色んな分野に手を出すことによって、全部が中途半端になること。コピーがそこそこで、小説もそこそこ、でも飛び抜けて面白い作品は一切ない。それは死ぬほど避けたい。そして、ほとんどの器用貧乏がそれに陥る。
では、その事態を避けるためにどうすればいいか。それは、わからない…。
でも一つだけ確かなことがあって、Aの分野で得た知識をBの分野でも生かせれば、唯一無二の作品が間違いなくできるということだ。
例えばだけど、ライターの文章は事実や数字だけを綴るかたい文章が多いのだけど、そこに短歌や小説で身につけた水々しい表現を記事に加えれば、振り幅のある文章になる。また、小説に数字や事実を絡めた表現を加えれば、作品の世界観に締まりが出るだろう。このように、分野をまたがったことによる利点を生かすことが大事なのだと思う。
ただの器用貧乏は、AとBを独立させて考えている。繋げたり、組み合わせたり、応用したり、本質を取り出したり。そういった観点が、何故なのか、決定的に欠落しているのだ。僕もその節はある…。
確実に僕が進んでいく道は、マルチに活躍していく道、色んなことに手を出しまくるザ飽き性の王道だから、その観点を、24時間365日忘れないために刺青にでも刻もうと思う。
どんな分野に取りかかろうとも、これまでの人生経験で得た知識や見方をフル活用していく意識があれば、ただの器用貧乏にはなりえないはず。自分という軸をもって活動すれば、全ての経験がプラスになる。
一つの事を極める職人タイプだけが圧倒的なコンテンツを作れるわけではないと思うんだよな。ビートたけしや又吉直樹、川村元気が作る小説や映画のように、複数の草鞋を履く事でしか生まれえない傑作があると思う。
飽き性だから作れる未来と爆発的に面白いコンテンツを、刺激を常に求める世の若者に見せていきたいから今日は早く寝る。
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