「さっちゃんのセクシーカレー」について語ること・私の人生における幾人かのさっちゃんたちへ

大森靖子さんの、「さっちゃんのセクシーカレー」。最近一番よく聴いている曲です。

私は普段あんまり音楽聞かないし曲やアーティストにハマるようなことも少なくて、でもその代わり一度好きになった曲は年単位で聴き続けることが多いんですけど、この曲はこのニヶ月くらいずっと聴いている。そのたびにいろんな切なさを思い出して、いてもたってもいられないような気持ちになります。田舎から東京へ行ってしまったさっちゃん。僕の特別な女の子。

私は女で、田舎から東京へ出てきた人間です。垢抜けたねって思われたくて茶髪にして、メイクを覚えて、都会には私よりずっとずっと強い人がいることを知った、でも私は「さっちゃん」じゃない。

共感するのは「ぼく」の方です。

私にもいたよ、特別な女の子。

“成長しないで さっちゃん 茶髪にしないで さっちゃん 彼氏つくらないで さっちゃん 最強でいてよ ぼくの特別”

地元にまつわるすべてを嫌いだと思い込みたくて、上京という言葉の響きに酔っていました。田舎を棄ててやったのだという高揚感、それだけであの街のすべてに勝利したようで。でも私はいつだって取り残された側のままです。

この場合「東京」はメトニミーで、ここではないどこか遠い広い場所、「ぼく」が行こうと思えば行けるけど、でも行くことのできない場所、なのだと思っています。

私にとっての「さっちゃん」は、東京へ行ってしまった初恋相手ではありません。あの子に成長しないでほしかった。彼氏なんてつくらないで、ずっと私の隣で、最強のままでいてほしかった。「さっちゃんのセクシーカレー」は私にとって、昔となりにいた親友たちの歌です。

恋を知る前、いや知ったあとでも、恋愛とは別の意味で、執着した同性の友達っていませんでしたか。彼女たちは必ずしも最も親しい友だちだったわけじゃないんだけど、見つめるたびに好きになって、話しかけてもらえたら嬉しくて、同じ女の子に生まれたことをほんとうに幸運だと思った。

もちろんひとりひとり別の人間で、私との関係も抱いていた感情のかたちも違うので、彼女たちを一括に語るのは失礼なんだけど、そんな配慮が今更なくらい、頭の中でこねくり回して、勝手に依存した女の子たち。

私の知らない友達と仲良くする彼女、私のわからない恋愛の世界に一人で旅立ってしまう彼女がゆるせなくて、私にはあなたがいれば十分なのに、他の世界への扉を開くあなたの手を離さずにいるためには、私も他の世界を知らなきゃいけないの、めちゃめちゃ矛盾じゃないですか、それがほんとうに悔しかったし今でもいつも悲しく思う。

さちこなんて名前 幸せになれるの? 今日はどんな服で 自分を壊すの? 東京で髪の長い男とばっか つるんでいるの しってるよ

これは勝手な解釈ですけど、「ぼく」が、さっちゃんの今を知っているのは、ネトストしてるんだと私は思うんです。インスタグラムとかツイッターとか、相手が鍵をかけていなければフォローしてなくてもいくらでも見られるじゃないですか。タグ付けされた先を見れば、どんな男とつるんでいるのか一目瞭然じゃないですか。

私は検索していました。卒業式で別れたきりの、あの子の今が知りたくて。過去の投稿まで全部遡って、いいね欄とリプライ欄もチェックして、気持ち悪いって分かってるけど、あの子の人生を知りたかった。私のいない彼女の世界がどんなかたちをしているのか、知るのは怖くて、知らないでいるのは悔しかった。

好きな人に好きだと伝えられるのって才能じゃないですか、卒業してからも連絡取るのってすごい怖くて、必要を感じられなくて、全然地元に友達がいません。今あの子にあってももう私はあの頃のように彼女の体温を知らないしたぶん話すことなんて何もない、というか気持ちは実際どんどん離れていくことに焦ります。SNSを覗くことも減りました。あの子の存在が私の中でどんどん小さくなっていく、それは健康的で正しくて当たり前で自然なことなのでしょうけど悲しくてどうしようもない、どこにも行かないでほしいよ、偶像でいいから一緒にいてよ。ずっと私の特別でいてよ。

ジャガイモ消えたよ さっちゃん 豚バラバラバラ さっちゃん 玉ねぎ泣かないで さっちゃん 最強でいてよ ぼくの特別

「セクシーカレー」ってどういう意味なのかわからないけど、大森靖子さんのコメントを見ると性欲と食欲のことのようで、この言葉がさっちゃんの体重と体温をリアルなものにしている気がします。単なるアイドルではなくて、生々しく手触りのあった存在。例えば幼稚園のバスで繋いだ手や一緒に潜った修学旅行の布団、大会の終わりに抱きついた肩のぬくもり、隣で食べた給食、お弁当、ふたりで作ったバレンタインのチョコレート、そういうののあたたかさとか匂いとか味とか重みとか普通に忘れてしまいそうだけどそれらがあるから生きてこれたし生きていける、ぐつぐつに煮込んだ友情と愛と羨望と嫉妬と蔑みと憎しみと、カレーは全部溶かしてくれる。

「ぼく」はさっちゃんの理解者みたいな顔しているけど、髪の長い男とのことを聞いてくれる人も涙を見せる相手もたぶんさっちゃんには別にいるんですよ。それを許せないぼくは独りよがりで自己中心的で、ちっともさっちゃんのこと見えていない。最強でいてよなんて、相手のことを思って言える言葉じゃない。

でもでもでもさっちゃんもぼくのことを忘れないでいてくれたら嬉しいなあ。さっちゃんの中にもぼくへの愛憎があったことを信じて生きてもいいですか、ねえさっちゃん。あなたのことが大好きです。出逢ってくれてありがとう、わたしのセクシーカレー。


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