文学と出汁巻玉子
文学の醍醐味は個性であると思う。
特質・特性があり旨味があるかないか、
それだけで今は読み進めている部分がある。
こんな事を僕みたいな人間が言ってしまうと
生粋の文学好きには怒られると思うが我慢して、
読書する時間だって往々にしてある。
日雇い現場に向かう電車内ではKindle、文庫本を開き
溜息を漏らしながらも電車だけは読書しようと心掛けている。エンタメ作品はストレスなく物語を追っていける。
純文学はキャラクター、心象描写、文体によって楽しみ方が変わってくる。
わかんねぇな、なんだよこれこの文体と思ってみても
人見知りな僕は店員さんに
「これって出汁は何を使われてるんです?」
と容易には聞けないものだから
2回目の来店で見えてくるものもある。
だとしても「企業秘密でして・・・秘伝の・・・」
と調子が良くない返しも想定にある。それもそれで面白い。
多分、隠し味はあれだなんて。察しもつく。
だけども、その確証もなく提言している作家さんは
殆どいなく独り寂しく自室でそうだ、そうだったんだ、やっぱりな!と再読何度目かに噛み締める出汁もあったり。それを言い聞かしながらも新作を待ち望んでいる自分も居て深みにはまっていく日々でもある。
チェーン店の出汁巻玉子と個人経営の出汁巻玉子。
一緒に来店した相手が
「出汁巻ってやっぱうめぇなぁ」と言えば
「出汁巻って本当うまいよねぇ」とうめぇとうまいで
抗う自分が居てややこしい人間になったものだと
細やかながらもそれを達観して視野している自分もいる。自分は正義ではない。
正しくもない。
そう言い聞かせながらも深みを追い求め
独自の発想を待ち望んでいたりする。
足を引いて歩いてる人を見るだけで物語が生まれる。
ややこしい人間になってしまった。と。
そう思いながら今日も帰路に立つ。