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ちょっと思い出せなかっただけ

いくら書けども、当時、観劇した後の記憶が思い出せなかった。
文章を書き進めると普段は想起するものだが今回は二日間、書いては消しを繰り返したが一向に想起しなかった。

最初は山脇辰哉に「六月一日から上映月に入るので毎日文章を書いて下さい」と頼まれた。
続けて「下北沢スターダストで明けまして、おめでたい人を観劇した日から下北沢で今回上映するまでを書いて下さい」
後日「ウトさん書いてます?」と早稲田大学の真ん前で言われて僕の頭は疑問符で埋め尽くされた。
すっかり忘れてしまっていたのだ。
山脇の隣で斉藤天鼓はスマホを弄りながら「僕、ウトさんの文章好きなんですよ」とニヤニヤしながら言ってきたので馬鹿にしてるのか、けなしているようにしか見えなかった。

二人と別れた後、現実的な面を踏まえて二日に一回にしてくれと頼み、山脇は了承した。
だが、気付けば二日間は当に過ぎてしまっていた。今必死で現場終わりに池袋の路上でこの文章を書いている。
現場と言っても撮影現場ではなく、建築現場だ。
斉藤天鼓の父も建築現場で働いており、私の数少ないファンだ。いや、不安だ。いやいや、ファンだ。
アルコールのせいでこの頃の記憶は溶け落ちてしまったのだろうか。

覚えている事と言えば観劇後、
興奮している感触と「めちゃくちゃオモロかった」と山脇辰哉に伝えると「ほんとですか?」と返ってきた事だけだった。
なので、私は記録したドキュメンタリー映像を見返す事にした。

前回、「水曜昼に観に行きます」と送ったと書いたが金曜の昼に観劇したらしかった。中日(なかび)だった印象だけが残っていた。
そして、しっかりと「今日は良くなかったですね」と言っている山脇辰哉と「毎日、良くなっているんで落ちるとしたら今日みたいな気がします」と朝集合時の全体ミーティング映像が残っていた。
映像冒頭には潜入カメラに気づいていない山脇辰哉は「ウトが来るよ、ウト」と言い「知ってる」と返す斉藤天鼓が居た。

上演後の演出家、山脇長哉のダメ出しでは全体的に「今日は良くなかった」と言っている部分もあったが特に斉藤天鼓は名指しでダメ出しされていた。
その後、その事もしっかりとインタビューをしていて、偉そうに煙草を吹かしながら斉藤天鼓は語っていた。

きっと、斉藤天鼓にカメラを託したのが間違いだったのかもしれない。
斉藤天鼓に無駄な労力を使わせなかったら、演技に集中出来たかもしれない、ダメ出しもされなかったのかもしれない。

と言う少しの後悔と、演劇が「めちゃくちゃオモロかった」興奮を両脇に抱えながら帰ったことだけは動画を見終わる頃には、しっかりと思い出せた。

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