あの日のままの君はどんな顔?
これはあくまでも私の考察であり、こういう受け取り方もあるよなぁ〜程度で受け取って頂きたいのだが。
共感してくださる方がいればそれはもう全力で握手&ハグしにいきます。
コロナが治った頃に。
なので、
「密ですッ!!!」
ってひっぱ叩いたりしないでくださいね。
プレパラートで出来た私の心は脆く崩れます。
ここからが本題です。
私は趣味で3年ほど前からギターを弾いておりまして、偉そうに大声で弾き語ったりしてます。
もちろん家でですよ、人前で披露するような実力はワシにない。
んでまぁね、昨夜アスファルトのワニを歌っていたとき、ふと思ったんですよ。
(曲を聞いたことがない方はこちらから↓)
白線の上だけを はみ出さないように歩く
それ以外は断崖絶壁の横断歩道を歩いてる
崖の下にはワニ 腹を空かせたサメもいる
落ちたら食べられてゲームオーバー
はみ出さないように歩く
の部分なんですけど。
"白線"という決められた枠の中に収まらないといけない。
はみ出してしまえば、ワニやサメのように噛み付いてくる人がいる。
だから枠の中からはみ出さないように、丁寧に歩く。
そういった脅迫概念に縛られているように見えたんです。
虹の
常識だ格式だはみ出せばタッチアウトだとがんじがらめの毎日
の部分に通ずるように思えた。
"はみ出し者になってしまう恐怖"
世の中の人はみんなそれを抱えながら生きてるのではないだろうか。
少なからず私は、物心ついたときからはみ出し者だという認識があったので、"恐怖"というよりも"孤独"を抱いていた気がするんだけど。笑
まぁその話は置いておきましょう。
私と、この"恐怖"を抱えている人たちとは少しまた別なんだと思う。
だけれど、自分の気持ちを素直に表現することに対する苦手意識は同じなのかもしれないと思った。
逆に自分の気持ちを無視して蔑ろにすることの方が得意なんじゃないかと思った。
目に見えなくてもそこにあるもの
心の人差し指が指す場所
知らないフリして強がってみても
あの日のままの君はどんな顔?
窮屈だと思っていても、枠の中に入り込んで、
表面上では「大丈夫ですよ〜!」なんてヘラヘラしていても、やはりどこかでモヤッとした気持ちは積み重なっていく。
「こんなはずじゃなかった」
なんて気持ちが、心のどこかにあったりする。
だけど、その気持ちを受け入れてしまったら、認めてしまったら、自分が保てなくなる。
そんな恐怖と隣合わせの日々。
その恐怖を和らげてくれるのが、この曲の優しさなんじゃないかと思った。
多分どこで何をしていても、ワニやサメはいる。
わんさかいる。
SNSが発達した今だから、見ず知らずの人に対して、簡単に攻撃することができてしまう。
怖いから枠の中に収まって攻撃を避けようとする気持ちもわかる。
怖い!食べられないようにしなきゃ!って思いながら、ワニやサメの隙間にある白線を歩くのも、
またなんか言ってるよめんどくせぇな!スルーしとこ。って思いながら、因幡の白ウサギのようにぴょんぴょんと踏ん付けるのも、
自分自身次第なのでは?と思った。
はみ出しても、はみ出さなくても、己の捉え方次第で良くも悪くも変えられるはず。
四角い場所で四角になれず
丸い場所で丸になれなくていい
自分の気持ちを蔑ろにして、"自分らしさ"までも殺してしまう必要はない。
そう語りかけているように思えた。
続いて2番!
個人的に、ここからはまた別のお話になるような気がしていて。
二部構成で楽しんでいただければと思います。
端っこ好きの僕 テレビつけっぱなしの君
休みは遠くへ旅したい君と枕変わると寝れない僕
映画を見てるとき 次の場面になる前に
予想を僕の耳元で喋る 君を何度も嫌いになる
ここではじめて具体的な相手が出てくる。
私自身"テレビつけっぱなし"で"休みは遠くへ旅したい"タイプだったので、
わー!!!!私と一緒!!!わっふい!!!
なんて喜んでいました。(関係のない話)
この辺から"君"と"僕"の関係性は、すこし怪しくなってきますよね。不穏なムードというか。
分かり合えないと諦める それでも僕ら一緒にいる
物語は書き換えられる 君は白線避けて歩く
"君"と"僕"は真逆の性格。
だからこそ分かり合えない部分が多かった。
それでも一緒に居た。
なんだかんだでずっと続くように思えた。
日々起こる些細なズレで、"君"は"白線"という"彼"との生活の中から外へ出て行ってしまった。
誰にも言えずに閉まってたこと
破いて捨てて拾い上げたもの
瞳の表に映る景色と瞳の内側に描いた場所
誰にも見えない涙は流れ
何度もかき消されてきた物語 そういうものだよと囁く誰かの声
笑う場所で笑うことができず
泣ける場所で泣けなくてもいい
空に浮かぶ雲がまた形を変えてゆくよ
"君"に伝えられずに閉まっていた想い。
もう叶えられる事のない"君"との夢。
目の前に映る現実と、頭の中で思い描く夢や、理想とのギャップ。
ただひとりで泣くことしかできない、
ただひとりで描くことしかできない"君"との物語。
「そんなもんだよ笑」なんて励まされても、受け入れられない現実。
"君"と離れてしまったことがあまりにも辛すぎて、
それ以外のものに対して、感情が無くなってしまった。
それでも日々は、相変わらず進み続ける。
あのとき僕らが見つけた景色は
たしかにそこにあったんだ
ありふれた日常にだって胸は高鳴るよ
"僕ら"が想いを確認し合った日の景色、
"僕ら"が一緒に行った場所での思い出は、
間違いなく現実だった。
揺るぎない事実だった。
分かり合えない部分があったとしても、
一緒に過ごした時間はかけがえのない、
とても愛しくて切なくなるようなモノだった。
四角い場所で四角になれず
丸い場所で丸になれなくていい
モノクロの世界に見つけた物語
解き放て 彩りとあの日の微笑み
"君"と"僕"とで違うモノを持っていたとしても、
それをわざわざ合わせようとしなくていい。
"君"を失ったことで色をなくした世界に、
もう一度彩りと笑顔を取り戻したい。
一番初めのサビと、最後のサビ。
歌詞は全く一緒なんですけど、違った捉え方ができるんですよね。
改めて高橋優は天才。
考察していくと、改めて彼の凄さを実感しますね。
個人的にはものすごく時間がかかったんじゃないかな〜と思っています。
本人も、一時期曲が書けなかったって仰ってましたしね。
コード進行や、歌詞の音程が今までと少し違って、個人的に一番覚えるのが大変でした。笑笑
高野豆腐とか、「あー!やっぱそうくるよね!」って感覚で分かったんですけどね。特に音程に関しては。笑笑
今回は掴むのがちょっと大変でした。
いやー、皆さんここまでよく読みましたね。
凄いです、私なら途中で読むの一回辞めてる。
ありがとうございます。
はみ出し者出身(?)の私でも、常識や他人の言葉に縛られて、己の気持ちを投げやりにしてしまった事が何度かあって。
夢も希望も信じていた私が、
はじめて信じられなくなった時期があったんです。
信じられなかった故に、取り返しのつかない行動をしてしまい今でも、ものすごく後悔しています。
その経験があった後にはじめて出た曲が、この曲だったんですよ。
私自身、この曲が出たとき色々と考えさせられた。
今振り返ってみれば、一番苦しかった時期でもあった頃。
夢も希望もへったくれもないって思っていたけれど、もう一度だけ頑張ってみようと思えたキッカケでもあったんですよね。この曲が。
なので、高橋優 LIVE TOUR 2019-2020『free style stroke』でこの曲になったとき、引くぐらい泣いてました。
BEAUTIFULでは嗚咽が出るほど泣いてたんですけどね。(汚い)
次はBEAUTIFULについて書こうかな〜!!
最後まで読んでくださり有り難うございます。
また気が向きましたら覗きにきてくださいね☺️
それでは!!!
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