『地雷』を『解釈違い』に置き換えてみた。
ある日、ふと思い立って『地雷』を『解釈違い』に置き換えてみた。
そうしたら、あら不思議。
ずいぶんと生きやすくなった。
地雷という単語の殺傷能力は高い。
踏んだら爆発して負傷する。
場合によっては死んでしまうかも知れない。
何とも過激で恐ろしい響きだ。
しかし『解釈違い』だと、考え方の違いですよね……あなたと私の解釈が違うだけなんですよね……という具合に、幾分表現がマイルドになる気がする。
そう、解釈が違うだけなのだ。
オタクとして、私には私の国がある。
私の国ではTHE PRINCE OF TENNISの主人公Rと、彼の2学年上のF先輩が運命のCPとしてそれはそれは仲睦まじく幸せに暮らしている。
そして私の国は、何人たりとも侵すことが出来ない神聖な不可侵領域だ。
私の国において、RFは絶対正義なのである。
しかしながら国は、オタクの数だけ存在していて、そして国の数だけ正義がある。
他国の正義を非難したり否定したりせず、ただ『あなたの国ではそうなんですね』というスタンスでいればいい。
TFが正義の国もあれば、KFが正義の国もあるし、その2つが共存する国もある。Fが右、それこそが正義という国もあるだろう。そして、それと共にRFが共存する国も、ある。
そういう国の主とは、共に共通項であるRFにおいてその素晴らしさを共に愛でて行けたら最高にハッピーだな、と思う。
他国でRF以外が正義であっても、それはあくまで他国のこと。
私の国のRFにはなんの影響もない。
私の国のRFが攻撃されたり駆逐されたりするわけではないのだ。
そう考えるようになってから、ずいぶんと生きやすくなった。
無闇にダメージを負うことがなくなった。
だって私の国で幸せに暮らしているRFには何の影響もないのだもの。
彼らは今日も両思いで、ハッピーイチャイチャパラダイスで、まったりのんびりと休日を過ごしたり、情熱的な夜を過ごしたり、とにかく幸せに満ち満ちた生活を送っている。
この考え方に至ってから、オタクライフがぐんと快適になった。
もちろんこれはあくまで私のスタンスであり考え方なので、他者に押し付けるつもりは毛頭ないし『こうしたら良いですよ!』なんておこがましく言うつもりもない。
地雷については非常にセンシティブで、人によっては心の生死に関わる問題だ。
地雷CPが目に入った時のアレルギー反応の度合いも人それぞれだし、CPによって症状に差があることもあるだろう。
かく言う私もたったひとつだけ、自国他国の線引きをした上で、それでもどうしても目にしたくないCP表記がある。
それはもう、ミュートワードを設定して、徹底的に目に入らないように自衛している。
それでもうっかり目に入ってしまった時は、秒で焦点を外す。
ほら、あの砂嵐のようなモザイク画に図形が浮かび上がってくるやつ。アレを見る時と同じ要領だ。
それにしてもCP表記って便利だし、とても大切。
二次創作表示法なるものが実は施行されていて、CP名の記載が義務付けられているのではないか?と言う程に、みんな表記している。
選んだり自衛したりできるので、大変にありがたい。
同志を見つけ、無用な軋轢を避けるために、とても効率的だ。
望むのは平穏なオタクライフ。
今日も私の国のRFは幸せに暮らしています。