自信をなくしたときはどこを見ればいいか?
「大学・・・・うーん,どこでもいいということなら,どこか入れるかもしれませんが」
「おまえは家庭教師つけたとしてもどうしようもない。」
いずれも高校時代の教師から言われた言葉です。
未だに覚えているなんて、なんてねちっこい性格なんだろう。
冗談はさておき、学生時代は、あまり褒められずに育ってきました。
その結果、大学進学までは、なかなか自信が持てずに過ごしてきたように思います。
褒められ不足が自信のなさへと繋がったのでしょう。
大学に入ってからは、それなりに褒められることもあって、多少自信も出てきました。
ですが、その後、国家試験の受験という「競争」の世界に入った後は、他の受験生と比べることで自信をなくすことが増えてきました。
この頃に、人と自分を比較する癖がつきました。
無事に合格してからも、他の人と比較する癖はなかなか消えません。
試験の順位を確認したくて、法務省に情報開示請求をしました。
客観的には全く悪い成績ではないのですが、「ああ、1位ではないんだ。」と思いました。
「2位じゃダメなんですか」というのは蓮舫議員の有名なセリフです。
人と比較する癖を持ち続ける限り、2位でもダメなのです。
仕事をはじめてからも、やはり同僚や先輩の仕事と自分の仕事を比べて一喜一憂する時期がしばらく続きました。
そうやって、あるときは「人より優れている」として自信を持ち、あるときは「人より劣っている」として自信を失うのです。
自信とは何でしょうか。
それは他人に褒められないと得られないものでしょうか。
他人と比較しないと得られないものでしょうか。
このように考え続ける限り、安定して自信を感じることは難しいでしょう。
自分に自信を持つことは、自分のためだけではありません。
それは、むしろ「相手」に対する礼儀でもあるように思います。
誰かが、「あなたといると楽しい」として慕ってくれたとします。
そのような誰かに対して、「自分なんて大したことないし」と思っていては失礼なように思います。
仕事の面でも同じです。
仕事を依頼する人は、あなたを評価して仕事を任せているのです。
その人に対し、自信のない態度を見せるわけにはいかないでしょう。
自信とは、自分に接してくれる、頼ってくれる、愛してくれるすべての人に対する誠意であるようにも思います。
とはいっても、自信を持つにはどのようにすればいいのでしょうか。
比喩的にいえば、自信は「点」ではなく「線」なのです。
今、そこにいる自分を認めるだけではなく、今、そこにたどり着いてきた、歩いてきた自分を認めるということだと思います。
「ゴッドハンド輝」という医療漫画があります。
新米医師の成長物語です。
主人公は、多数の手術を経て、徐々にスキルを磨いていくのですが、ある難手術を前に尻込みしてしまいます。そのようなときに、先輩医師は言うのです。
「小僧、足元をみろ」
足元には、主人公がこれまで苦労して歩いてきた道が続いています。
その道のりを思い出し、成長の過程を思い出すことで、主人公は徐々に自信を取り戻し、安定した心で手術を成功させるのです。
僕が接したある講師は、次のように言いました。
「自信は最初からあるんじゃないんです。自信を持てる自分を徐々に作っていく、そのために歩いていくんです。そのために、1日1日があるんです。」
足元に広がっていく道はこれからも続くものです。
人生とは、少しずつ自信を紡いでいくための旅路なのかもしれません。