五月二十八日
朝方に起きて、これを書いている。
今日は小島先生のご命日だ。
そのことをnoteに書くつもりはなかったけれど、黒木さんの記事がアップされて、私も少しだけ書きたい気持ちになってしまった。
小島先生のご命日が近づくと、自分が書き留めていた書類を引っ張り出し、読み返してみる。
あえて紙に印刷しておいて良かった。
私の麻雀の原点は。
阿佐田先生と、小島先生だ。
阿佐田先生に直接お会いすることはなかったけれど、心に届く、沢山の言葉を文字で残してくれた。
その沢山の言葉と、小島先生の生き様が、私の歩く指針になってくれた。
自分の拙い文章でも、書いておいて良かったと思うのは、その時のことが鮮明に思い出せるし、初心に帰ることが出来るから。
小島先生に会いに行くまでのこと。
初めてお会いした時のこと。
初めて対局した時のこと。
またお会いしたくて頑張った日々のこと。
それが叶わなかった時のこと。
そして、葬儀に参列した時のこと…。
本田さんや萩原さんのことをnoteの記事にしたように、色んな人にお会いして、体験したことや、思ったこと、感じたことが、事細かに書いてある。
先生が亡くなった事を知った時のことも書いてある。
そのままトレースする。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
平成三十年 五月二十八日。
小島先生が亡くなった。
それを知ったのは三日後の五月三十一日。
仕事の休憩中にツイッターで知った。
悲しみをすぐには感じなかったと思う。
でもその日は、いつもしないような仕事のミスをした。
「どうしたの、らしくない」
上司から言われても、すみません…と謝るくらいしかできなかった。
家に帰ってからも注意力に欠けていた。
夜九時近くに玄関のチャイムがなる。
そんな遅い時間、いつもなら用心深く覗き穴を見てから対応するはずなのに、いきなりインターホンに出てしまった。
マンションのメンテナンスのことで…と言われたので対応する。
ぼうっとしていたけれど、ドアのチェーンをかける用心は無意識にできた。
このマンションのインターネット設備のことでアンケートを取らしてもらっていると言われ、二、三個質問に答えると、なぜか契約書のようなものを出してきた。
そしてドアのチェーンを開けて欲しいと言われた。
そこでやっと我に返った。
『ああ、変な人じゃないか、何ですぐ分からなかったんだろう』
私はインターネットのことは全部主人に任せてあるので、今電話で確認してみますね、とチェーンの隙間から愛想よく伝えた。
「…あ、心配にはおよびません、失礼します」
ものの見事に帰って行った。
ドアのカギを締めた後でソファーに寝転がった。
自分の不注意で、要らない嘘をつかなければならなかったことが、少し腹立たしかった。
自分の身は、自分で守らなければいけない。
気を抜けばすぐにハイエナだか、ハゲタカに狙われる。
それはいつも肝に銘じていることなのに。
小島先生の訃報を冷静に受け入れたつもりだった。
でも仕事でいつもはしないミスをしたり、自分のセキュリティが誤作動を起こすほど、ショックだったのだな。。。
明日からは気を抜かない。
だって私は小島武夫のファンだから。
簡単にやられる訳にはいかないよ。
バシバシと顔をたたき、起き上がった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そう書いてある。
沢山の人が、沢山の小島先生との思い出を持っている。
それが濃密であっても、どんな些細なことであっても、大切に思う気持ちは同じだろう。
無理をしてでも会いに行って良かった。
人生には限りがある。
後悔は消せない。
けど、自分次第で生きてて良かったと思える事は増やせる。
それは思うだけじゃなく、実感していることだから。
そして。
私が日本プロ麻雀連盟所属のプロが好きな理由。
(他の団体さんが、どう、ということではない。私が知らないだけだと断っておく)
連盟プロの方々には、小島先生の面影がある。
麻雀に対して真っ直ぐで、ファンを一番に想い大切にしてくれる、温かくて気持ちの良い人達が多いから。
色んなカラーの選手がいても、根っこは一緒だと感じるから。
そういうプロの方々が、胸を張って生きていける麻雀界になって欲しい。
私の願いはそれだけだ。
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