『イニシェリン島の精霊』

☆アイルランド内戦 〜イニシェリン島の戦い(超小規模)〜
  アイルランド本土で内戦が勃発しているという背景がありながら、イニシェリン島は退屈なほどのんびりとした時間が流れている。パードリックとコルムの敵対関係が、本土の内乱と対比構造になっているのはパンフレットや映画誌でも示されているので間違いないが、私の個人的な感覚で言うと「戦争になりうる一番最初の火種ってこういう諍いなのかな」ということです。本土では内乱という凄惨な争いが起きている。一方、個人間の争いで、規模も小さく(指が飛び交ったりしてるけど)非常にミニマムな戦いがイニシェリン島では繰り広げられている。この二人のつまらない喧嘩がいつか世界を巻き込んだ戦争になる、なんてことは微塵も思いませんが、争いというのはいつだってひょんなことから始まるのではないか。この映画は、"戦争のミニチュアモデル"として彼ら二人の対立にフォーカスしている。たぶん。

☆寓話としての映画
  パードリックとコルムの喧嘩を見てると「訳わかんねぇよコイツら、1900円返してくれよ。なんならパンフレットも買っちまったよ」と思いたくなってしまうのですが、彼らを擁護できる理由がパンフレットに載ってるのでぜひ買いましょう。パンフレットの高畑吉男氏のコラムで、作中には登場しない"リャナンシー"の存在について言及されている。ここではウィキペディア知識をそのまま引っ張るが、「悲運を予告する死の精のバンシーと対となる、詩人や歌い手に霊感を与える生命の精」と定義されている。その代わりに、霊感を与えた人物から命を吸い取ることが特徴として挙げられている。取り憑かれた芸術家たちは命を削ってでも創作、思案に励むこととなる。バンシーの存在と、コルムの不自然なほどの親友への拒絶反応が、リャナンシーの存在を裏付けしていると言えるのかもしれない。
  シボーンについて。両親を亡くした傷を持ち、兄パードリックと静かに暮らすシボーンは、あのクソ警官に言われたように"行き遅れた女性"である。非常に美しい女性だが、あの島で出てくる男性って皆おじさん……ドミニクはもう少し若い設定だろうし、想像に足る田舎特有の「都会のイケメン彼氏が欲しい」状態になってもおかしくない。コルムとシボーンの共通点は、そういった自分の人生指針への迷いを抱え、気づいていることである。パードリックは馬鹿だから(ごめんね)わかっていない。先述のリャナンシーに取り憑かれたであろうコルムと、故郷(=兄、環境)を切り離して本土に旅立ったシボーンは、最終的なアプローチは異なるが、本質的には同じ性質を持っているのだろう。

☆全員悪人、でも一人だけ……
  "悪人"という言葉を安易に使うべきではないのですが、なんというかみーんな意地悪というかちょっとアレな人達ばっかりな島ですよね、イニシェリン島。主人公パードリックは自分の孤独ばかり気にして他人への慮りに欠ける。コルムも言葉足らずでかつての親友をあまりにも邪険にしすぎる。警官はもう言わずもがな、一見善人らしく見えるパードリックの妹だってドミニクを酷く軽んじている。もう島ごと沈んだ方がいいんじゃねぇかな……というのは冗談で、一人だけ善人、と表現するには視聴者の不快感を煽りすぎたキャラかもしれませんが、ドミニクってそんなに悪いことしてなくないですか?
  親友に絶縁を突きつけられ落ち込むパードリックに「仲直りできるよ」と気を遣った言葉をかける、シボーンに好意を寄せ(若干のキモさはあるが)思いの丈をきちんと伝える、音大生を島から追い出したパードリックを非難する等等……ねぇ割とまともじゃない!?彼の落ち着きのない所作(あれは病気や何かの症状なのかもしれませんが不勉強でわからないのです、許してください)が最初に目についてしまいますが、たぶんお天道様の下を歩けるのは彼とロバと犬くらいじゃねぇかな……加えて言うと、警官である父に事あるごとに殴られ、パードリック曰く"イタズラ"もされている?とのこと。戦時下において、子どもという存在はあまりにも無力で、無防備で、親の寵愛もなければそこには絶望しかない。はなから父親の愛情には期待できなかった"子ども"のドミニクは、エロスとしての愛情以上に、親愛を他者に求めたのかもしれません。シボーンへの告白が割とさっぱりしてましたし、二人に年齢差があるということもシナリオとして上手くできているような気がします。他者からの愛を受けることが出来なかった彼が、足を滑らせて事故死するとは私には到底思えないのです。パードリックとコルムの争いの歪みが、関係のない無垢な人々、生き物に悪影響を及ぼすというのは戦争のミニチュアモデルだからこそだと思います。

☆争いは続くよ、どこまでも
  イニシェリン島はあくまでフィクションの地名。実際は、イニシュモア・イニシュマーン・
イニシュアの三島から成るアラン諸島をモデルにし、そこでこの作品は撮影されている。おとぎの国、隠世とも言えるような神秘性と仄暗さを醸し出す世界で、少しも幻想的ではない男二人の仲違いは続いていく。田舎特有の衆人環視、戦争、宗教対立をメタファーにしながらも、楔のように時に強い隔絶を、時には分かち難い小さな人間関係を描いた作品であると私は思います。具体的には述べませんが、現在の世界情勢や日本国内で起きた惨事にも共通するようなテーマがあるのは監督の創造性によるものであり、時勢に対して敏感に反応し、作品に落とし込む手腕も圧巻です。物事の大小ではなく、そういった可能性がただそこに存在するものとして、いつだって誰かの側で精霊のように佇んでいるのかもしれません。

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