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統合失調症女の「人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできること」
読みに来てくれてありがとうございます。
統合失調症持ち、40歳なっちゃんです☆
今日は、私がNHKの朝ドラ「エール」の中で好きだなと思ったセリフ「人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできること」について自分の経験を交えて書いてみようと思う。(今回も長いよ(*_*))
私はこの言葉に凄く気持ちを救われた気がしている。
私のこれまでの40年の人生を振り返ってみると、そこには色々な困難があった。
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スポーツに助けられた私。
中学生の頃クラスメイトに嫌われ、孤立していた私。
そんな時私を救ってくれたのが、バレーボールと陸上だった。
両親の影響か、小さい頃からスポーツは嫌いじゃ無かった私。
バレーボール部に入っていた私は、嫌われはしていたものの、なぜか副キャプテンをしていて、部活の時間は結構好きだった。特に大きな大会等で勝ったことはなかったが、それでも自分の中では、少ない楽しい時間を過ごせた気がしている。
そんな私が体育の授業で1000メートル走(持久走)を走った時、まあまあなタイムを出したようで、それが陸上部の顧問をしていた先生の目に止まった。
その顧問の先生は、私に「今度の駅伝大会に出てみないか?」と誘ってくれた。その当時の女子陸上部はメンバーが少なかった為だろう。私はその先生が好きだったので、やってみることにした。
その先生は、私に友達がいなくて孤立していること、家庭が荒れていることを知っているらしかった。
だからか、駅伝の練習がキツくて弱音を吐いたりした時も、「あなたなら出来るよ。」といつも目に掛けて下さっていた。
出場した大会では、2区の1500メートルを任されたが、結局私がみんなの足を引っ張ってしまい、入賞も出来なかった。
でも、最後まで指導して下さった先生からの言葉は今も私のココロに残っている。
「辛くなったら腕を振れ!坂道に負けるな!」
そうだ。「どんな人生の逆境という名の坂道でも、腕を振って歯を食いしばって走れば、なんとか乗り越えられる。」そんなことを先生から教えて貰えた気がしている。
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勉強に助けられた私。
高校生になっても、相変わらず孤立していた私。地元の高校の進学コースに入れたはいいが、全く勉強についていけなくなって落ちこぼれていた私。
「大学進学は無理かも。」と思っていたが、その夢を諦められなかったので、私は毎日朝早くに学校に行って自主勉強し、学校から帰ると遅くまで勉強し、、そんな日々を過ごしていた。
それを見ていた両親にも、私が大学に行きたいという熱意は伝わっていたのだろうか。
結局私は現役では希望していた大学に行くことは出来なかったが。
その時は、両親から凄く責められて、「もう死んでしまおうか。」とも思った。
三日間くらい両親から「お前どうするんだ!!」と迫られ、「出来ることなら浪人したい。」と小さな声で言った。でも、私がその時住んでいた地域には予備校は無かった。その為、もし浪人するのでも市内に出ないとダメだった。
そんな時私を救ってくれたのが、市内に住む叔父さん家族だった。最初は「家から予備校までかなり距離があるし、自転車で通うのは無理。それに、もしなっちゃんが家で火事でも起こしたら、誰を恨んでいいか分からん。」と言われ断られそうになった。
諦めようと思った私だったが、父から思いも寄らないことを言われた。
「おい、荷物をまとめろ。叔父さんとこに行く。」
そんなこんなで、私はまだ話がついていないまま、叔父さんのところに父に連れていかれ、そして、置いていかれたのだった。
叔父さん家族には、とても迷惑を掛けたと今思っている。でも、その時私が生き残るにはそうするしか無かったのだ。
叔父さんの家から予備校までは、自転車で通うことになった。今考えても辛い移動距離だった。途中には乗り越えないといけない山道があって、私はよく泣きながらそこを登っていた。
そんな時は、よく中学の時の陸上部のことを思い出した。
叔父さん家族からは、最初すごく嫌がられていたように思う。
でも、叔父さん家族は、私が毎日一生懸命勉強したり、自転車で山道を登ったりしている姿を見てから、すごく応援してくれるようになった。
今まで実家では与えて貰えなかった、家族の愛情みたいなものを私は叔父さん家族から与えて貰った。もしこの一年が無ければ、私は今頃どうしていただろうか。そんな怖いことをたまに考えることがある。
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最後に
長く書いてしまったが、私はスポーツや勉強を取り巻く人に助けられて今ここで生きている。
私が統合失調症を発症した時も、精神障がい者ソフトバレーボールをすることで、国体に2回出場して全国に沢山の仲間を作れたし、旦那様にも会うことが出来た。
だから、それを考えると自分が「人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできること」を一生懸命することで、どんな人生でも道を開いていくことが出来るのではないかと思う。
さあ、次はどんなことでこの時代を生き抜いていこうか。
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それでは、また☆