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【観劇レポ】ヒプステ ナゴヤB.A.T vs シンジュク麻天狼

ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』Rule the Stage《Bad Ass Temple VS 麻天狼》2022/12/1〜12/18 @品川ステラ
全28公演

ナゴジュク観てきました。
日々の感想はTwitterにて書き散らしておりましたが、全公演を終えた今、改めて感想を書き記しておこうと思います。
個人の感想です。また特定のキャラクター(役者さん)定点のため、偏りが激しいです。
自分のための記録です。


キャスト

神宮寺 寂雷 役 鮎川 太陽さん

複数の感情を同時に表現出来る役者さんだと思う。それは表情だけではなくて、類い稀な体格、身長、体躯全身を操るからこそ為せるもので、指先にも感情を宿らせる。何よりも目の使い方がとても巧いと思う。彼は目線の先までも自分のテリトリーにする。流した目線の先、その空気までも感情表現の一部とする。目線の先に相手がいれば、相手の感情を自分に流し込ませて自分の感情表現の一助とする。だから相反する感情も同時に表現出来るし、複数の、内側から起こる感情だけに依らない、状況を勘案した感情として発現するんだと思う。

キャラクターのビジュアル上、長髪・白衣・マイクスタンドといういずれも単発でさえ扱うのが大変な要素を持ちながら、不恰好になるどころかキャラクターの魅力として扱えるのも凄いと思う。もちろん衣装さんやヘアメイクさんの力もある。白衣の切り返しは高い位置にあるから揺らすのは容易だろうし、激しく動いても崩れない髪にしてくれているんだと思う。それでも、それだけに依らない、鮎川さん自身の扱い方があるから魅せられる。

白衣の捌き方が何種類かあるように見えた。大別して3ケース。手で掴んで最後まで流す、手で掴んで最初だけ流す、手や腕に乗せる。前述のとおり白衣を揺らすだけであれば身体が動けば白衣も動きをもつ。場に応じてこれらを使い分けるから白衣の翻しが一辺倒にならず、しつこさもなく、ここぞというときに気持ちよく見られる。ストーリー上バトル要素がある。攻撃を受けたときに白衣と御髪を同時に捌きながら不恰好にならないのは、体躯を余すことなく駆使しているからで、体幹で頭を支え、片腕で白衣を捌き片腕でバランスを取り、両足と頭の傾きで攻撃の強さを印象付ける。キャラクターを不恰好に見せないどころか観客を物語に引き込むほどのめり込んだ挙動をしてくれる。格好良く見せようという気配がまるでない。魅せ方に下心がない。だから夢から醒めない。

好きなシーンは数多くあるし、ここがあれがと書き連ねたいけれど、ごく一部に限って列挙する。

・獄からの着信。スマホを取り出してディスプレイを見た瞬間に息を呑んで目を見張る。もしもし、と電話に出たあと、歩みは緩慢になり、ゆったりと口を開く。通話を切ったあと、再びディスプレイを見遣ってから一二三・独歩に向き直り、「それじゃあ、」と告げる去り際から既に意識はこの場にない。声のトーンの低さに加えて目線が二人を見ていない。舞台端にいながらここで丁寧に仕込んだからこそ、バーでの邂逅がより深みを持つ。

・バーでの獄との邂逅。「獄、」と掛ける声が日によって異なっていたけれど、少しふわついた発声のときがあって、それが凄く良かった。躊躇いがちなときもあれば驚きのときもあったけれど、どこか現実味のない感覚を抱かせてくれて好きでした。

・邂逅後の二人のバトル。と言っても獄から一方的に攻撃を受けるだけで敵意さえ持たないし、これは演出だけど、防御も回避もしない。止めたいのに止められない、伸ばした手を跳ね除けられる様子や、全身で攻撃を受けながらも痛みに歪む理由はマイクによるものではなくて獄の言葉を起因としているのが伝わってくるほど。バーの会話もそうだけど、獄から打ち明けられる言葉に衝撃を受けて痛みに変わる表情変化が良かった。一人残されて独白歌唱も痛みが全面にありながら悲しみと寂しさを纏っていて良かった。

・空却との鉢合わせ。ふらつく様子が心配になるほどだし、浮ついた発声も弱々しくて、倒れるところ、公演を重ねるほどに頭がステージ前方に倒れ込む形で、あの高さで恐怖心が全く伝わってこずに綺麗に倒れるの、単純に凄いと思った。身体を奥方にするから出来るんだろうけどあの高さは怖い…。髪の毛もすごいことになってた回もあったから、綺麗に流すのも大変だったんだろうなって思う。

・過去の回想。近寄り難い立ち姿を披露してからの「彼だけは遠慮なく話し掛けてくれた」の嬉しそうな無邪気な笑顔。大学生のときは声のトーンも少し高めで若さがあった。「だめだ獄!」のところ、切羽詰まった声が必死さを際立たせて、獄に突き飛ばされてから「俺には何も話してくれないんだろ」と言われた瞬間に走る動揺と、「もうお前と話すことはない」と言われたときの見開いた目、音響も相まってまさに雷が落ちたようで、二人の決別を印象付ける。ただ切ないだけではなくて、悲しみと絶望を湛えた表情の作り方が本当に巧い。

・一二三の許せない人の話。最初は一二三を思い遣った声色と表情だったのが、一二三に背中を押されることで諦めから諦めなくても良いかもしれないに変わる。まだ迷いのある微々たる感情の変化を、考え込む仕草から同意して笑顔に変わる様子で表現されてて巧いと思う。

・十四が獄を連れてきての再会。あのシーン、バトルから目が離せないという状況から、一瞬見遣った先にいた獄の存在に気付いて二度見する。二度見って、ともすればギャグに見えがちなのに、より緊迫したシーンに変化していたし、何より獄に気付いたときの反応がとても良かった。日によって驚きのときもあれば疑問のときもあり、私が特段好きだったのは、驚嘆と喜びと怯えの色が混じったとき。「ひとや…、」発声が弱々しく、焦がれたような声色があってから一瞬で目を逸らして背を向ける様が、ただ驚いただけではなくて、無意識の拒絶を感じた。俯きがちに険しいお顔つきになっていたのも裏付けのようで、あのワンシーンで寂雷が獄に抱える複数の思いを同時に見せていて、見る側の感情も揺さぶられた。

・寂雷の決意。一二三、独歩に導かれながらもまだ迷いのある表情から、空却に背を押され、一二三、独歩の言葉に後押しされ、深呼吸してから「私は戦う」と決意するまでの一連が、この物語の大きな転換になっていてすごく良かった。深呼吸したあとの目がとかく強い。そのシーンより前の寂雷はずっと弱さを孕んだ表情や振る舞いをしていて、一二三の言う「あんな顔した先生ほっとけないっしょ」なんだけれど、このシーン以降は腹を括って獄と向き合い、目を逸らさず、ぶつかる。演出ももちろんあるけど、ここできちんと寂雷の心情変化を目力や所作で明示的に見せられたからこそ、それ以降の獄とのバトルに対して寂雷はどう臨むのか、寂雷と、相対する獄へ気持ちを向けて見ることができた。

・寂雷と獄の本気のバトル。獄の「立て!本気で来い!」に対する「ああ、わかっている」が被せ気味だったことがあって、苛立ちを伴っていて、最後の二人のやり取りに掛かっていたときが個人的に好きだった。寂雷が獄に向ける述懐、口を開く前に獄を見据えてから毅然としてマイクを構えて語り始める様が凛としてとても良い。「君の望み通り」の発声、ああいう場面だと大きくなりがちなのに決してそんなことはなくて、語り掛けるように、説得するように思いを伝えるため丁寧な言葉運びをしていて、字幕がないのに、言葉ひとつ単語ひとつすべてきちんと頭に溶け込んでいく紡ぎがとても良かったし凄いと思った。獄との掛け合いで冷静さが段々と失われて激情が発露していくのも、獄の「友だと言うならなぜ裏切った、なぜ俺の味方をしてくれなかった」を受けて苦痛な面持ちで頭を振って否定する仕草も、「当たり前だろう、友が歪んでいく姿など、見たいはずがないじゃないか」縋るような、わかってほしいと切々としながらも決して譲らない意志を感じる声と目線が、ここまで寂雷が獄に一貫して向けていた友への、友としての振る舞いに繋がって答え合わせになっているの、脚本としてもちろん良いんだけど、表情の向け方が良いなぁと思った。獄の「やっぱりお前はムカつく野郎だ」「…ふ、お互い様だろう」も、獄から言われるまではやはりまだ余裕さのある一枚上手な様子で、言われてからフッと笑ってから返す言葉が、凄く人間的で、一二三や独歩には見せない学友としての笑顔なのがとても良かった。

・一二三、独歩への感謝の言葉。深く頭を下げながらの謝辞が、高めの声色と弱めの発声だったときがあって、今回の出来事に対する二人への深謝とともに、寄り添っていてくれる二人への感謝、二人と出会えたこと、共にいてくれることへの祈りのように感じて好きだった。「君たちがいてくれて本当に良かった。感謝しています」で初めて満面の笑みになるのも良い。ストレートな言葉だからこそ、声の抑揚がついた表現がとても生きていて、高い声色が刺さる表現だった。

・最後の決勝トーナメントバトル。白衣を翻してからの「ええ、受けて立ちます」わだかまりも心のつかえもない清々しさと王者としての貫禄を携えた一言、圧倒されたし、「今日は存分に語り合おう 他にいない私の代わりなど 戦うと決めた秘めた理由 麻天狼いま見せる覚悟」この覚悟のところが強さを持っていてとても良かった。真っ直ぐで真剣な目線が覚悟の強さを物語っていた。最後の決めのポーズまで淀みなく揺るぎなく強かさと美しさを持った振る舞い、本当に良かった。

・全体。寂雷の持つ美しさ、艶やかさ、華、艶然とした笑い方やミステリアスさ、そういった要素を白衣や御髪の扱い方、目の使い方で表現されるのがとても巧くて、特に目は伏せ方や目線の流し方まで決めているところもあるように思う。目線の余韻まで作れる役者さんでもある。鮎川さんは複数の感情を同時に表現できると上述したが、ここもその表現の一つなのだと思う。目線の余韻。自分の肉体を離れた表現を生かしたまま新たな表現を生み出せる。連続した表現は同時に生きて複数の感情としてステージに現れる。ご本人の意図はわからないが、そうしたことができる役者さんだから、ここまで複雑な感情を持つ寂雷を顕示出来るのだと思う。

鮎川さんの演じる寂雷を拝見できたこと、本当に感謝しています。格好良さはもはや前提ですらあって、私の語彙力では鮎川さんの演じる寂雷の良さを欠片ひとつも書き記せないけれど、それでもその僅か一端でも、ナゴジュクを観た者の感想として残しておきたかった。気付けば毎日劇場にいました。22公演、鮎川さんの寂雷を観れたこと、心に残り続けると思います。


伊弉冉 一二三 役 荒木 宏文さん

鮎川さんを観客の感情や想像で表現豊かに魅せられる役者さんだとすると、荒木さんは荒木さんの考える見せ方をダイレクトに誘導できる役者さんだと思う。もちろん押し付けや独りよがりではなくて、全公演を通して何通りもの解釈を提示して、その公演を生きる。なぜ押し付けではないか。それは文脈前後の違和感がまるでないからです。自分の見せ場、発言だけを変化させるのではなくて、その前後、繋がりまで合わせて変化する。背景や根拠も変わるから違和感がないし、一二三がなぜこう発言したか、どういう思いを抱えているのか、その理由は何か。仕草や表情、振る舞いで丁寧にステージに残す。複数公演観れたからこそ、荒木さんの、観客と一二三に如何に寄り添って演じられているかを感じることが出来た。

攻撃を受けたときのダメージは荒木さん一二三が一番良かった。攻撃を受けているあいだ、目を回す様、唇は震えて半開きとなって足元も覚束なくなり、立っていられない、よろける動作に納得する挙動。まさにフィジカルではなくメンタルへのダメージというのがより伝わってきた。

ジャケット着脱の変化は言うまでもない。ジャケットを羽織るとき、ジャケットとともに見えないオーラを纏っているように見えて仕方がない。背筋も立ち方も変わる。顎の角度も、目も変わる。声だけの変化ではなくて、瞬間的に人が変わる。荒木さんが凄いのはここまでで終わらないこと。人が変わるのに、一二三であることは変わらない。どういうことかと言うと、ジャケットの着脱で人がまるで変わるのに、根幹の部分は一二三として存在する。これは演出脚本だけれど、シンジュクは相対するものがたとえ敵であっても理解して寄り添おうとする。空却に向かい合うシーン、日によって表現が多岐に渡っていた。一二三ならどう向き合うか、どう考えてどう接するか。観ている人それぞれの解釈があることを理解して、尊重するように様々な解釈を見せてくれた。

一二三が話の転換を多々担っていたのもあり、くどく見えるかと思いきや、控えるところは控え、今回は特に独歩を立たせていたように思う。井出さん独歩の力もあるけれど、麻天狼、引いては本公演に井出さん独歩が馴染んだのは荒木さんのお力が大きいと思う。一二三としてステージに立つことのみならず、全体を俯瞰した立ち振る舞いをされていたこと、存在感の大きさを感じた。

観音坂 独歩 役 井出 卓也さん

日々蓄積されたフラストレーションをラップで大爆発させる井出さんの独歩、圧倒的強さを湛えていて、シンジュクの均衡さ、三つ鼎を見た。卑下する独歩に自然とそんなことはないと思わせる圧倒的なラップ。ネガティブな言葉を繰り出しながらも不安にならない力強さ。シンジュクディビ曲、独歩最初の歌唱パートでネガティブに歌い上げながら「OK! やってやるよ」で前を見据えるところ、寂雷もそれを見て頷いて独歩から目を離すのも独歩に寄せる信頼、強さの裏付けとなって、独歩のラップの強かさが全面に出ていて良かった。

役どころとしては色を添えるポジションだったのもあり、毎公演の変化を直接的に楽しませてもらった(ハゲ課長とか。笑) 寂雷が獄との過去を語り終えたところ、独歩はステージ奥から客席に顔が向いているのに加えて寂雷に視線を寄せているから顔が少し上向いて表情がはっきりとわかるため、寂雷の話を聞いた上での寂雷を慮った、苦痛な表情がとても独歩たらしめていた。ネガティブさでの曇り顔ではない。先生にそんな過去が、とでも言うような眼差し。本公演の独歩はどちらかというとコミカルさを多く持っていたから要素はあまりなかったけれど、今後、D.R.B 2独歩の要素を井出さんで見ることが出来たらどうなるんだろう、と期待する表情を見た。

丸まった背、翳りのある面差し。独歩としてステージにありながら、湛えたネガティブさに飲み込まれない、きっと独歩を楽しんで演じてくれているのがわかる。本公演の井出さん独歩は言うなればBlack or White。私個人としては、チグリジアな独歩をいつか観たい。強い独歩を知り得たところでシリアスな面も見る機会が今後来てほしいと思った。



波羅夷 空却 役 廣野 凌大さん

荒木さん一二三の解釈の提示は事前に練られたものに感じるのに対し、廣野さん空却はその公演において生きた彼が発露する感情を見せているように思う。相対するキャラクター、状況、空気、錯綜する数多の感情をその身に取り込み、そうして生まれ出づる表現。思考よりも体躯。廣野さん空却が次の場面をどう動くのか、誰を見てどんな顔をするのか、知っているはずなのに知り得ない。複数公演拝見して、毎公演、掛けるパワーの程度が凄まじい。再現がない。「昨日と同じ」がない。同じような振る舞いであっても毎公演同じパワーを持ってそれを生み出している。コピーじゃない。その日を生きる廣野さん空却が、その日の他のキャラクターを受けて感じて、考えて、顕示する。終始、情感のない動作がない。それが出来る強大なパワーを廣野さんは持っているし、本公演に尽くすほど充てていた。

それは思考の側面だけではなくて、体力としてもそうだ。冒頭から3曲連続で踊って歌い上げるのに、キレの悪さなど微塵もない。公演を重ねるにつれてライブではアクロバットを度々披露したり、階段を飛ばして降りたり、階上から降りたり。どうしたって目に飛び込んできてしまう、注目させられてしまう。そんな挙動が満載だった。

一二三に叱咤されたあとの空却の表現で個人的に深く刺さった回がある。その場で立ち尽くし頭の角度が段々を下を向き、表情だけが大きく歪む。紡がれるリリックは重く、深く沈み込んだ思考をステージ全体に広げる。彼一人、動作もほとんどないに等しいのに、ステージを凌駕する葛藤が表現されていた。日によって大きく動き回る回やステージ全体を使う回もあったが、一二三の存意を反芻し、刺さって身動きが取れなくなっているような、思考の渦に飲まれるような表現がとても良かった。


四十物 十四 役 加藤 大悟さん

十四として求められていることを的確に理解し、求められる高い期待に応える役者さんだと思う。二面性のあるキャラクターゆえに格好良さと可愛さ、それは勿論として、見せ場を外さないのは簡単に思えて大変に難しい。マイヒーローは本公演の中でも大きな役割を持つと思っていて、この一曲で十四と、獄の印象が大きく変わる。「ヒーローが現れたんだ」周囲を押し退ける獄へ向ける視線が、十四にとってはまさにヒーローで、潤む瞳と光を宿す様、憧憬と敬慕がストレートに表情に現れていて、十四の純粋さ、心の綺麗さ、そして獄の格好良さを印象付ける。加藤さん十四が獄の尊厳を高めるからこそ、獄が寂雷に向ける憤怒の計り知れない深さが際立つし、なぜそうなってしまったのか、終盤に向けた地固めを成している。獄に救われた十四だからこそ向けられる視線を、歌声とともに丁寧に向ける。「今度は自分が、獄さんを助けるっす」曲冒頭は弱々しく、掠れそうな声色で下を向いていた十四が、曲終わりには強さを持つ。十四自身もまた獄に助けてもらった自分だから、獄のために強くありたいと願い、決意する。十四の見せ場でもあり、本公演の重要な意味を持つこの曲を毎公演淀みなく見れたからこそ、獄を逆恨みのダサいやつではなく格好いいヒーローとして見ることが出来た。

破天荒な廣野さん空却との掛け合いも、前述の通り毎公演即席を求められているだろうに、戸惑いも醒めることもなく毎公演異なる日常の空却と十四を見ているようだった。廣野さん空却と接することが多いから、加藤さん十四もまたその公演を生きる十四としてステージにいたように思う。


天国 獄 役 青柳 塁斗さん

物語の主軸の一人として陰の要素を多く持ちながら、寂雷に向ける憤りは単調ではなく、寂雷から向けられる感情を受けてまた変化する。青柳さんの獄は安定感を持ちながら、寂雷へ向ける感情は不安定さを持っていたように思う。憤怒を中心として、寂寥、悲哀、落胆、絶望。一方的に攻撃を仕掛けるところではそれでもなおマイクを発動しない寂雷に対して絶望までする。青柳さん獄は感情を隠さない。目に宿して訴える。顔を背けて逃げる寂雷に相対して真正面からぶつかる。

寂雷との最後の一騎討ち、鮎川さん寂雷のリリックを受けてさらに激昂する。「今更そんなことを言うんじゃねぇ!」の叫び、ナゴヤの面々といるときの冷静さを欠片も持たない獄が、過去から溜め込んだ思いを伴い、絶叫する。「お前だけは俺の味方だと思っていた、お前だけは、お前だけは俺の、」これはセリフだけど、弁護士である獄が、言葉が拙くなるここも個人的には好きで、「本当のダチだと思っていた、それなのに、それなのになぜ!」一連のライムに乗せた青柳さん獄の憤怒は一心に寂雷に向けられて、その重さに沈む鮎川さん寂雷の構図が本当に良かった。獄が向け続けた視線が合い続けた最後、青柳さん獄は怯むこともなく、目に灯した強さは一層強さを増す。決したあと、支えられた獄が瞬間笑って溜め息を吐く。青柳さん獄の笑い顔の清々しさ、若さ、充足感が学生時代を彷彿とさせて、学友である二人を思い出させて、現在に繋がる。止まったままの時が動き出す。演出はもちろん、青柳さん獄と鮎川さん寂雷だったからこそそこまで観ることが出来たんだと思う。

本編であれだけの格好良さを見せながら、ライブではアクロバットな格好良さも見せてくる。知的さと身体能力の高さどちらも兼ね備えた青柳さん獄、とても格好良くて良かった。


その他好きな箇所

演出や脚本で好きな箇所を列挙。思い出したら随時更新する。

・リーダーのライムの同じワード。シンジュクディビ曲で寂雷「目指してる今日も 完全にNo Joke」と、空却曲で空却「冗談にもならねぇ 誰も導けねぇ」リーダーとしての矜持を示す言葉を合わせているのがお洒落で格好いい。

・シンジュクディビ曲のサビのダンス。また眠らず夢を見る」両手の平を合わせて顔の横に添えて、頭を傾けて微睡むような目線から一瞬目を閉じて(もはや瞬き)、両手を下方斜めに軽く流す。優雅な微睡みって言葉では足りなくて、束の間の休息のような、張り詰めた気を緩めた瞬間のような含みを感じる。

・シンジュクディビ曲の一二三歌詞「どうせ逃げるのなら前へ さあここまでおいで」。原作TOMOSHIBIの「やるか!逃げるならば前だ」踏襲は勿論だけれど、一二三に歌わせるにあたって一二三の言葉で韻を重ねた挙句、曲に合った余裕さと優雅さを保持していてとても良い。

・Bright & Darkの寂雷歌詞「灰の中のダイヤモンド」。灰とダイヤモンドではなくて「中の」とすることで、終わらない争い、その中で探し求める平和というダイヤモンドと表現するのが理知的で巧みだと思う。



(書きたいことがまだまだあるので追加予定)

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