私の愛しき、限りなく透明に近い地元の話
私の街っていうのは本当にしょうもないところで、金曜の夜は救急車の音が鳴り止まないし、アスファルトの地面にはシアトルのガムウォールのように所狭しと黒く変色したガムが埋め尽くしているし、数年前から存在する駅前の喫煙所のパーテーションは全壊と再建を繰り返している。駅前には排泄物か吐瀉物かあるいはその両方がガードレール脇に引っ掛けられていて、駅のすぐそばにあるスターバックスは頭の悪そうなティーンエイジャーが店内を占領し洒落ぶっている。これじゃあマクドナルドと大差ないぜ。
私が小学生に入って間もない頃、顔の皮を剥がれた死体が公園で発見されるというセンセーショナルな事件が起こった。その公園は真ん中に大きな木が立っていて、その下で遊んでいるといつのまにゲジゲジが衣服にくっついているので私はその公園が嫌いだった。坂の上にあるのも私にとってマイナスポイントだった。私の街は市民プールや河川敷のある坂下、駅や学校がある中間、公園や児童館のある坂上に分かれていて、私は中間に住んでいたので自転車を押して坂を登るのが面倒だったのだ。
中間から坂上に行くにはふたつの道がある。「急で短い坂道」か、「穏やかで長い坂道」だ。「急で短い坂道」は私が主に利用していた方で、登り切ると例の公園にたどり着く。対して「穏やかで長い坂道」は赤線と呼ばれる所謂”怪しい店”がその坂の周り一帯に立ち並んでいた。私たちは学校でその道は極力避けるように先生たちに言われていたし、その理由が週末の鳴り止まない救急車と関係があることも知っていた。
それでも私たちは健やかに育った。確かに駅前の西友で「逃走中」をするのが流行ってまとめて怒られたこともあったし、ナヨナヨしたゲイっぽいヤツに亀の入った水槽にグーパンチをさせて3掛10マス分のロッカーの保持者、つまりクラスメート全員の持ち物を水浸しにしてしまったこともある。あれは傑作だった、まるでナイアガラの滝のようだった!だが少なくとも私は他人からの愛を愛として受け止めることができるくらいの愛は持ち合わせている。
ところで私の母親は悪い人ではないが決定的に母性というものが欠けた人で、実務的な人だった。それは今になっても変わらない。彼女は一度も私を抱きしめたことはなかったし、彼女が自身のプライベートであったり彼女の考えを共有することはなかったし、ほとんどの私の話は彼女の「うん」か「わからない」で終了した。彼女は個人的な見解を持つこと、それを表現することができないようだった。どこにでも決定的に人間としての深さ、個人的な体験を欠いた人間はいるのだ、と私は早々に彼女に深い繋がりを求めるのは断念することにした。私が小学生の頃に離婚し居なくなった父親からも同様に抱きしめられたりした覚えなどなく、代わりに足元のカーペットに深く突き刺さった鋏と父親の怒号だけは鮮明に覚えている。そして妹は(今ではそうでないとわかっているのだが)当時白痴なのではないかと疑うほど押し黙った性格をしていた。推察するに私の家庭に暖かな会話など存在し得なかったように思えるし、存在した記憶もない。
しかしながら私は喋りたかった!喋りたい、というか考え、発信をしたかった。そして私がまだ出会ったことのない新しい電波を受信することを望んでいた。その新しい電波で自分自身を加速させ、もっと違うものに手を伸ばしたかった。しかしながら、その様子は母親にとって我々一族に彗星のごとく現れた突然変異の癌のようなものであり、理解しがたいものであっただろう。
母親が私を理解する能力がないということ、対話を望んでいないこと、理解しようとしていないこと、彼女が母親であるということ、この街で幼少期を過ごすこと、この街が足立区の次に犯罪発生率が高いこと、この汚い街が将来的に私の地元と呼称される存在になること、これらはただの事実であり、これらの事実に対して私ができることは一つもないので何も責任はないしこれ以上考えることも何もない。それでもその事実が私を苦しめるのならば勝手に解釈をしてしまえばいいのだ。
私は都内の高校に通うようになるまでこの小さな街の中で物事に対する客観的な責任の所在と距離感の取り方を培った。それは限られた生活範囲の中での自衛の手段でもあるし、結果として他者の尊重にもつながった。これ以上母親に母親を求めても仕方がないと解釈しなければ私は彼女を恨んでいただろう。
ちょうど2,3年前、赤線の”怪しい店”一帯が全焼した。パブ、バー、タイ料理屋、中華料理屋、キャバレー、ラブホテル、煌々しいネオンが一瞬にして焼失していく赤線はどんな様子であっただろうか。リリー・フランキーが描いた裸婦、爆撃機、キリストの壁画ももう見れない。限りなく透明に近いブルーを彷彿とさせる風景はもう存在しないのだ。時が流れ、街も変われば人も変わり、我々は大差なく朽ちていくだろう。
赤線の焼け野原の跡地に高層マンションが建つらしい。赤線自体は駅から5分の好立地だが地元の人間はこの土地がどんな土地だか知っているし、なぜこの土地が全焼しなければならなかったかを知っているので誰もこのマンションに住もうとはしないだろう。それももう1年前の話。高層マンションは入居者で埋まってしまった。