楽しいの心理を解明しようとしたが無理
今日はもう夜遅くてnote無理やり、深夜テンションで書いているような状態だから適当に短めに終わらせようとか思ったが、いつも通り議題を提示して少し考えることをしないと毎日note書くと言った自分を裏切ってしまうので、辛いけどもいつも通り書き切ることを目標に書く。
昨日今日とただ何も予定のない1日がのんびりと過ぎていくような日ではなくて、少し予定があった。
友人宅にお邪魔したが始めに物色をしてしまう。
色々な本があり、そのほとんどが読んだこともなければ見かけたこともない本がたくさんあり、どれも少しだけ内容を確認してみたくなった。
ただこの行動は、アドラー心理学的にいうと、コミュニケーションをとるために部屋を物色しているのだと考えられる。
これまで経験から物色すればコミュニケーションがとれるというのが根付いているのかもしれない。
だから、なんだという話だからこの話は終わり。
その友人は実家がお金持ちみたいでお金持ちらしいエピソードを聞いた。
その話を聞いた時に、羨ましいと少しでも思ってしまった自分は、まだまだ表面的なことに惑わされるのだなと思う。
話変わって
ずっと面白い生活、時間を過ごせればいいなと思うが、それと同時に、自分の正直な感情ともちゃんと向き合って真面目に解決していかないといけないなとも思う。
面白いことを追求していくことが正解なのか、自分の気持ちにひたすらに向き合い続けることが正解なのか。
そもそも二項対立にもなっていないのかもしれないが、自分の気持ちに適度に向き合いつつ、それ以外の時間は面白いことを追求していくこと、いいバランスを保つことが大事なのだと思う。
面白いことを追求していくだけでは、仕事なんてできないし、自分の気持ちに向き合い続ける、、、
んー、面白いことを追求するの反対は面白くないことをこなしていくだな。
面白くないことをこなしていかないと仕事にはならないけれども、面白くないことをこなすだけでは普通の胆力では続けることができない。
んー、この話をしたかったわけではないな。
楽と苦。
この塩梅。
そして、楽と苦の関係。
面白いと思えることにも色々な難易度がある。
ゲームをプレイすることが単純に面白いと思えたりもするし、卒業設計を食いなくやり切ることも面白いとも思える。
後者には楽だけが存在するというようなことはなかった。
卒業設計をしているといいストーリーやコンセプトを作ることができなくて、苦しくなる。
模型を手伝ってくる仲間が見つからなくて困ったりもした。
卒業設計は、発想力、事務作業力、図工力、デザイン力、リーダー力、コミュ力、プレゼン力と本当に色々な能力が必要で、自分に自信のある、デッサン力や数学力なんてものは、卒業設計に必要な能力のうち2.3%くらいしかなかったのではないかと思ってしまう。
それ以外のことは苦手もしくはやったことのないことであり、楽ではないことが多かった。
んー、何が言いたいかというと、簡単に手に入る楽と手に入らない楽。
例えば、スマブラをすることが目標ですという人と、卒業設計で選ばれることが目標ですという人では、目標到達までの難易度がまるで違うし、目標に到達するまでに経験する苦の量がとても違う。
んー、そういうことじゃない。うまく言語化することができない。悔しい。
あれ楽しそうだからやってみようで実際にやってみて楽しかったこと、あれ楽しそうで実際にはあんまり楽しくなかったこと、あれ楽しそうで初めは楽しかったが続けていたら楽しく無くなってしまったこと、あれ前は楽しそうと思えたのに今は楽しそうと思えなくなってしまったけれども手をつければ毎回楽しいこと、あれ楽しそうを実現するためにやらなければいけないことを考えると楽しくなさそうと思うがとりあえずやってみるけどやはり楽しくないこと。
とにかく楽しいにも色々なパターンがあって、人間のモチベーションで複雑に感じるから、まとめることができないかと試みたかったのだけども、全くまとめることができそうにないから、ここで終わり。
気持ちを言語化しようとしたことに賞賛ハッピー。