ジムに行く気持ちを整える
何も書いたりするものがない状態で自分の気持ちを整理することは難しい。
朝ごはんを食べている時やジムで運動している時は食べることに集中したり、運動することに集中したりするかnoteなんて書くことができない。
ゆっくりくつろいでいる時でも、もう今日はnote書いたからまた長文書きたくないと思って、今の気持ちを整理できなかったり、紙に書き出すのはnoteに書かないの勿体無いと言う気持ちになるから、結局紙にもnoteにも書き出さず、整理されずにその日が終わる。
今の自分の正直な気持ちを読み取ることが自分でも苦手だとわかっていて、今休んでゆっくりできている分、気持ちを明瞭にする練習がたくさんできるはずだと思う。
できるだけ多種類の気持ちを明瞭にして、じゃあどうすればいいかを考えてトライアンドエラーを繰り返すことができれば、クリティカルシンキングができるようになるのではないかと思っている。
では、今日はどんなことを考えていたのか。
朝から天気が悪く、自転車でジムに行くことができないことも要因なのか、単純に低気圧がだるくさせているのか、わからないがとにかくジムに行くことを考えるとストレスになっている実感があった。
少しのストレスならいいのだが、本当に動きたくないと思ってしまうほどのストレスであった。
眠いからという理由もご飯食べた後だからという理由もあっただろう。
とにかく今行かなくてもいいじゃん。夜行ければいいじゃんと強く囁く自分がいた。
だけど、今は起きてすぐにジムに行く生活をして夜の睡眠の改善を図る実験をしているわけで、一回でも夜にジムに行ってしまってはその実験の意味がなくなってしまう。
問題なのはできるだけ心を無にしてジムに行ってきたが、帰ってきても気持ちが晴れないこと。
今はジム行って帰ってきてご飯食べて昼寝をしたところだが気持ちは晴れていない。
ちゃんと思い出せないが昼寝をする前はもしかしたらもうちょっと気持ちが晴れていたのかもしれないと思うから、もしかしたら昼寝が気持ちをモヤモヤさせてしまうのかもしれない。
ジムから帰ってきたのが14時、今が17時。
きっと昼寝を90分くらいしていたのだろう。
ずっと横になったままnoteを書いていたが、スッと起き上がったらちょっと気持ちが変わった。
動くって大事なんだな。
疲れている時こそ運動したほうがいいと前どこかで見たが、もしかしたらその通りかもしれないと思っている。
それもあって今朝は無理やりジムに行った。
心を無にすることは難しかった。楽しめない物事を淡々と続けるにはどれだけ心を無にすることができるかなんだと思ったり、はたまたどれだけ楽しいことをその物事の中に組み込むことができるかなんだと思う。
自分の中でボケとツッコミをしながら生活できたら楽しくなるのかなとも思うが、そんなことをするカロリーがないし、恥ずかしくてできない。
ただ、ボケとツッコミをするのではなくて、最近は面白いことなんだろうと考えたら少し思いついているような気がしていて、本当に何一つ面白いことが思いつかなかったころと比べるとめちゃくちゃ回復したなと実感する。
だからこそ、もっと面白い人間になりたいという欲求がでてきて、昨日書いた毎日のルーティンのように自分の思う面白いの完璧をこなさないといけないと思ってしまうんだろう。
YouTubeを見てる自分は面白い人ではないと思っているのだろう。
この視点は昨日のnoteでは見つけられなかったからなんか嬉しい。
昨日は成長について着眼していたように思うが、自分の思ういい成長は面白い成長なのだということがわかってきた。
自分の長所をとにかく伸ばして伸ばしてどこまでも伸ばしまくっていきたい。
だけども焦らずに目標は小さく小さくまずは、noteとジムとストレッチと日記から定着させていこう。
この四つだけでも結構自分のメンタルに負担をかけていたりもしているから丁度いい難易度なんだと思う。