都知事選に出ている人と比べる
ストレスを感じているから他人の言動にまでストレスを感じてしまうのか、他にストレスがないから他人の言動そのものにストレスを感じてしまうのか。
きっと前者なのだろう。
東京都知事選の一人一人のスピーチをたまたまテレビでやっていたから見た。
東大卒で医者やってるけど、ひ弱そうで、頼り甲斐のなさそうな人であったり、自分で作詞作曲をしましたといって、歌い始めるおじいちゃであったり、NHKから国民を守るためにNHKをぶっ壊すことを言い続ける人がいた。
最後に小池都知事のスピーチがあり、こりゃ小池さん当選して当たり前だわと思った。
あのスピーチでは受からないことなんて俺でもわかるのに、都知事選に立候補するような人がわかってないはずがないと思う。
だから、自分のスピーチが下手すぎて当選しないことがわかっていて、多額のお金を払って立候補するのだから、自分の知名度を取りに来たとしか思えない。
確かに都知事選に立候補したことで多くの人に認知はされた。
自分の事業とかがよりうまくいくかもしれないが、都知事選を利用するような人が居ていいのだろうか。
都知事選は東京をよくしたいという強い思いがある人であり、自分より東京をよくできる人はいないと思う人たちが立候補するべきなのだと思う。
そしたら必然とスピーチの練習だってするだろうし、もっと当選しようとするはずなのだが。
話変わって、もし自分が都知事になったらどうなのだろうかと考えてみたが、どうしたら東京が良くなるのかわからなかった。
子育てに力を入れるにしても子育て家族に資金をいくら集めたら最大の効果があるのかとか、老人ホームにどれだけの支援を集めれば誰も飢え死にすることなく暮らしていけるのかとかいった、自分の得意な数学的なことでさえ、かなり難しい問題であると思えた。
だから、毎日素早い判断を下し続ける都知事は本当に頭のいい人でなければならないし、みんなを動かすだけのパワーもなければならないと思った。
だから、自分には都知事は無理だと思ってしまった。
こんなことで自分を卑下するような結論を出さないでいいのに、そんな結論に辿り着いてしまう。
些細なことでも自分を比べてしまい、自分にダメージが蓄積されていく。
スピーチも小池さんほどうまくできないとさえ思ってしまうし、大学でも自分はうまく発表とかできなかったなと思い出す。
もっと頑張る余地、やれることの余地はあったかもしれないけど、それをやらなかったことも自分なのだと思う。
自分はどこに向かって頑張るのかがはっきりしていれば、こんなにも自分を比べなくても済むのかもしれない。
何者でもない自分、何も目指していない自分、何にでもなれる可能性を残し続けている自分がいる限り、この比べるというのはなくならないのかもしれない。
最後に、ともハッピーが会議の始まりと終わりにハッピーというようにしていると見た。
自分もこのnoteに取り入れてみようと思う。
毎日noteハッピー