誰かと比較することの虚しさと無意味さについて
こんばんは。
ゆきむです。
会社員 / NPO職員 / 英会話カフェの店長 etc..
様々な人のサポートのもと、複業スタイルで働いています。
今日のカバー写真は
フィンランドのスオメリンナ島に沈む夕日をパシャリした一枚。
基本、夕日が好きです。
今日は「比較」について
隣の芝は青く見える
って言葉は本当にその通りで
私は他人と比べて
自分はどうなんだろうという評価がかなり気になるタイプだった。
高校生まで人見知りと陰キャが爆発していた私は
気配を消すことに結構長けていて
他人と同じくらい良いことをしていても
なぜか自分の行為は気づかれないみたいなことが多くて
自然と劣等感と「いいなぁあの子は」
という嫉妬心が生まれやすくなった。
現代って本当にめんどくさいって思う時が多々ある。
テレビではいろんなきらびやかな情報が流れて
私たちの「これを買えば、持っていればあの人より優位に立てる」
と駆り立てられて
SNSをみれば「私すごいでしょ?」みたいな投稿にあふれている
(本人はそう思ってないのも100も承知なのだけれど、そういう風な受け取り方しかできない自分がいたのね)
比較するマインドが強かった私にとって
それはすごく生きづらさの原因になっていたりした
誰かと比較するのは虚しい
競争心や嫉妬心をもつと終わりがない
そもそも価値観もバックグラウンドも持っているスキルも皆違うのに
その人たちと自分を比べてもネガティブになるだけだった
「すごいなあ」「いいなあ」「なんであの人が?」とか考えても
自分には何の得にもならないのに、、
今、自分はその嫉妬心や比べる心がやっと徐々になくなっている気がする。
きっかけは2つあって
①自分で決断する回数を増やしたこと
②嫉妬心をぶつけられたこと
①
仕事においてもプライベートでも
誰かに決めてもらったり
決められたことをこなすのではなく
たとえ組織の中にいても
自分で決断して納得して行動する回数を
増やしたことで
誰かと比較して
嫌になることがなくなった
仕事だったら会社は
営業が私一人なのもあり
自分の判断で決めることが多くなったし
勤務する日も自分の裁量で決められる
(全部が全部とは行かないけど)
たとえ、組織の中にいたとしてもフリーランス的な働き方ができているのも大きい気がする。
プライベートは本当に
小さいことから意識してて、
例えば「買うもの」とか「学ぶこと」
これが流行りだからとか
あの人が好きだからわたしもとか
これがこれからの時代必要だから
とかではなく、
自分で調べて納得して
自分の心に心地よいものを
自分で決めて選んでいる
自分で決めて行動すると
いろんなことが自分のスタイルで
進んでいってる気になる
(あくまで、気になるだけかもだけど)
自分の納得解を決断して行動すると
自分の生活がいい意味で
自分だけのものになっていく
特に誰かと比較する余地が減った
もちろん全部が全部とかはいかないけれど、
気にすることが格段に少なくなった
さらにいうと、
プライベートでは
SNSとか誰かからの連絡とか
無意識に浴びる情報を
精査するようになった。
マウンティング的な情報が
入る余地をなくしている
②
最近、嫉妬心をぶつけられることがあり、
結構、苦労した。
「自分も無意識に嫉妬心をこんな風に誰かに向けていたんだろうか?」と
反面教師的な感じになった。
あんまり詳しく話せないけど
それがあったことで
「比較心」と「嫉妬心」からおさらばできた
嫉妬しない生活は快適
SNS開いても
前は「いいなぁ」とか「すごいなぁ」とか
比較する心で思ってたけど
今は、「ずばらしいね、わたしも頑張ろう」と
流せるようになった。
比べるのは本当に無意味だ。
比較するなら「尊敬しよう」
嫉妬するなら「自分を磨こう」
ではでは
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