UKロック 名コンビ列伝 前編(途中から殆どスモール・フェイセスの話)

このツイートを掘り下げた記事をいつか書きたいと思っていました。ロックバンドには名コンビと呼ばれる人達がたくさんおりまして、中でも僕はUKロックに好きな名コンビが多いのです。今回はそんな僕の好きなUKロックの名コンビを軽く紹介したいと思います。

1.ビートルズ:ジョン・レノン×ポール・マッカートニー


言わずもがなのロック界を代表する名コンビ。知らない人はいないでしょう。この二人が同じバンドに居たのは奇跡としか言いようがないです。優れたシンガーであり、ソングライターであり‥。ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターももちろんビートルズには重要な存在。しかしこの二人があまりにも巨大な存在であるため、軽視されがちである。ジョージは「僕とリンゴはビートルズのエコノミークラスだから」などと自嘲していたそうである。そりゃこんなすごい二人がいればねそんな卑屈なことも言いたくなりますよね‥。

ビートルズの楽曲の多くはレノン=マッカートニーの手によって書かれています。しかし実はその殆どが、どちらか一方の手で書かれた曲であることは有名な話です。それでも必ずクレジットはレノン=マッカートニー(マッカートニー=レノンになってるのもあり)

これは二人が10代の頃に「何があっても二人の名前でクレジットを出そう」という約束をしたかららしい。ビートルズ末期に仲が悪くなっても、二人は律儀にこのことを守った。不仲になっても、心のどこかで繋がっていたのかもしれない。ジョン・レノンのソロにレノン=マッカートニー名義の曲があるけど、おそらくビートルズ在籍時に作った曲だからでしょうね。意外とこういうところはちゃんと守るレノン君。あと二人は1973〜1974年頃に仲直りしています。

この二人に関しては殆ど説明不要だと思うので、手短に🤗


2.ローリング・ストーンズ:ミック・ジャガー×キース・リチャーズ


このコンビもロック好きに知らない人は少ないでしょう。そういえば僕はロックを聴き始めた頃、ビートルズとローリング・ストーンズが全くの同時期に同じ国で活躍し、しかも深いつながりがあった、と知ったときは驚いたものです。漠然と名前を知っていた2組が盟友と呼べるような仲だったとは‥!

この二人もソングクレジットはジャガー=リチャーズと連名表記。ただレノン=マッカートニーと違い、どっちが書いた曲なのかわかっていない曲が多いみたい。たぶんストーンズの伝記本なんか読むと多少は わかるんだろうけど、僕はビル・ワイマンの伝記しか読んでいないので、ビル周りのことしか深くわからないです笑

60年代のストーンズはミックとキースと他のメンバーで待遇がかなり違ったようで、一度ビルがブライアンとチャーリー(※二人は全く乗り気ではない)を引き連れて、ミックとキースに自分達の待遇を良くしてくれ!と抗議にしにいったんだとか。結果はビル達の惨敗に終わったことは言うまでもない。

ストーンズの音楽性はずっとこの二人が牽引していますね。もちろんブライアン・ジョーンズのマルチプレイヤー&アレンジ能力、チャーリー・ワッツのバンドを支え続けているドラム、ミック・テイラーのテクニカルなギター、ロン・ウッドのリードもリズムも弾けるギター&人間性の良さ、ビル・ワイマンが持っていたデカいアンプ‥全てストーンズには欠かせない要素ですが、やはり常に中心にいたのはミックとキース。ロックとブルースを基調としながらま新しいものへも目を向け続けたミック、愚直なまでにロックンロールとブルースに拘り続けたキース‥二人のこのスタイルが混じり合うことで、ストーンズの音楽があそこまで輝いていたのでしょう‥(ネタに使っちゃったけど、ボブ・ディランが「ビルのいないストーンズなんてただのファンクバンドだ」と奇妙な批判をしたように、彼のベースもバンドに置いて重要だったと言える。メンバー全員、最後までビルを引き止め続けたことからもそれがわかる)


ボーカリスト+ギタリストのコンビというと、真っ先にこの二人を思い浮かべる人も多いのでは。僕が特に好きなのがミック・テイラーがいた頃。キースの最強のリズムギター、ミックの艶のあるボーカル。最高である。村上春樹の小説で、カーラジオから流れてきた80年代のヒット曲に辟易としていた主人公が、ストーンズのこの曲を聴いて「この曲は良い」と呟く場面は名シーン。



キースがリードボーカルの曲で、ミックがコーラスにまわる曲も良いよね。Happyでミックとキースが1本のマイクで歌う姿に痺れるぜ‥!



70歳を超えた今でもカッコいい2人。一生ロックンロールし続けて欲しいですなあ。


3.スモール・フェイセス:スティーヴ・マリオット×ロニー・レイン


今回紹介するコンビの中では、おそらく知名度がいちばん低いので他の人たちと違って掘り下げた紹介をします。

スモール・フェイセスは1965年にデビューしたイーストロンドンのモッズバンド。ウエストロンドンのモッズバンド、ザ・フーの最大のライバルです。

そのスモール・フェイセスのボーカル&ギタリストがスティーヴ・マリオット、ベース&ボーカルがロニー・レーンです。

二人の出会いは楽器店。ミュージックバーのようなところで、そこで店員として働いていたのがマリオット、客としてベースを買いに来たのがレーン。二人は初めて会ったその日に意気投合し、バンドを組むことになったそうです。メンバー4人のうち3人が小柄だっため、スモール・フェイセスという名前になった(唯一小柄でなかった初代キーボードは演奏技術などの問題もあり直ぐにクビに。小柄で演奏も達者なイアン・マクレガンが加入して、完全体となる)

ザ・フーが戦略的なモッズバンドだったのに対して、スモール・フェイセスのメンバーはガチなモッズです。ルックスの良さで女の子たちのアイドルとなったこと、モッズたちから神格化されたこと、これらの要因で大人気となりますが、それが足枷となり音楽的な評価が二の次にされてしまっていたことにメンバーは不満があったようです。

スモール・フェイセスの大きな特徴が、ストーンズのサポートでもお馴染みのイアン・マクレガンが弾くオルガンサウンド、そしてスティーヴ・マリオットのソウルフルなボーカルです。



アルバムを聴くと初期はビートバンド+オルガンで正にモッズなカッコよさがあり、後期のアルバムは時代に乗りサイケなコンセプトアルバムの傑作です。ラストアルバムのOgdens' Nut Gone Flake(1968)は全英で6週連続の1位。正にイギリスで天下を取った彼らでしたが、前述した不満と、アメリカでは全く評価が得られなかったこと(シングルヒットが2曲あるだけ)で、スティーヴ・マリオットが脱退。マリオットはピーター・フランプトンとハンブル・パイを結成、残された3人はジェフ・ベック・グループが解散して暇になっていたロッド・スチュワートとロン・ウッドを誘い、フェイセスとして再出発。二組ともスモール・フェイセス時代には得られなかったアメリカでの成功も獲得。

話をマリオットとレーンに戻しますが、結果的に袂を分かったものの、スモール・フェイセス時代の二人の絆はとても強かったようです。ソングクレジットは前の2組と同じく、連名でマリオット×レーン。Ogdens' Nut Gone Flakeを作るとき、マリオットとレーンとオルガンのイアン・マクレガンの3人で曲作り合宿(テムズ川クルーズで行われた)をしたそうですが、二人の関係性の強さにイアン・マクレガンは入り込む余地がなかった‥とコメントしています。



ちなみにスモール・フェイセスは70年代後期に「イチクー・パーク」の再ヒットで、リバイバルブームが来て、再結成しています。


しかしロニー・レーンは不参加。初めの顔合わせセッションには居たそうですが、乗り気でなかったレーンは「タバコを買ってくる」と言ってスタジオを出ていき、そのままバックレたそうです。マリオットは「あいつと次にあったのはそれから6年も経ってからだ!」とご立腹(当たり前) ちなみに再結成アルバムですが‥ロニー・レーンがいない時点で完成度はお察し。ポール・マッカートニー抜きでビートルズを再結成したような感じです。完全なファンアイテムなので、スモール・フェイセスが本当に好きな方だけ聴いてください。

バックレたという情報だけだとロニー・レーンの人間性を誤解されそうですが、英国のミュージシャン達から愛されたのはロニー・レーンです。ピート・タウンゼント、チャーリー・ワッツ、エリック・クラプトンとレーンには沢山友人がいました。ユーモアがあり優しい人柄だった彼は人気者だったようです。彼はソロアルバムも数枚残しており、派手さはないもののフォーキーな傑作です。またさっきのバックレをレコード会社に責められ(当たり前)、契約の問題でアルバムを作らなければならなくなったのですが、この際にピート・タウンゼントが支援を申し出て、二人の連名で「Rough Mix」というアルバムを作っています。



スティーヴ・マリオットは若干クセのある人物だったそうで(ただ彼を慕う人物も多かった)‥ちなみにピンク・フロイドの「シーマスのブルース」で聴こえてくる犬の鳴き声はマリオットの飼っていた犬らしいです。あとザ・ジャム時代のポール・ウェラーが最も慕っていたのがマリオット。ジャム時代のウェラーの髪型は明らかにマリオットを意識していて、ウェラーはマリオットに手紙を送ったりもしたそうだけど、マリオットが交流を持とうとしなかったそうです(ただインタビューでは「若い頃の俺に似てる」的なことは言っていた模様)


マリオットは火事で1991年に44歳で焼死、ロニー・レーンは多発性硬化症という難病と長年戦い続け、1997年に51歳で死去。壮絶な人生だった2人。ちなみに晩年に二人ともお互いを懐かしむような話をしていたらしいです‥😭

ちなみにさっき「ロニーにバックレられて6年間会えなかった」というマリオットのコメントを書きましたが、実際のところはバックレ事件の4〜5年後に再会したようです。このとき既に病気を宣告されて絶望の縁にいたレーンのために、マリオットは一緒にアルバムを作ろうと持ちかけています。レコーディングされたものの、発売条件がツアーに出ることだったそうで、レーンの体調ではツアーに出ることは無理だったので断念。このアルバムが出たのは二人の死後です‥😭

あと‥ロニー・レーンが多発性硬化症の患者の支援のために提唱したのがARMSコンサート。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが揃った伝説のライブですな。

次回に紹介するレッド・ツェッペリンのロバート・プラントは、スモール・フェイセスの追っかけをやっていたことは有名。



あれこの曲‥‥ツェッペリンにそっくりなのがあるよね‥(笑)

ちなみに画像の左下がスティーヴ・マリオット、左上がロニー・レーンです。

スモール・フェイセスに興味を持たれた方は、Small Faces(1966 ファーストアルバム)、From the Beginning(1967 ファーストとセカンドの間に出た編集盤でほぼオリジナルアルバム扱い)、Small Faces(1967年 セカンドアルバム ファーストとタイトルが同じなのでややこしい)、Ogdens' Nut Gone Flake(1968 サードアルバム オリジナルメンバーでのラストアルバム)の4枚を是非聴いてみてください!


次回は3組くらい紹介する予定です。前中後の3部作になるかな‥。ただ軽く触れる程度の内容なので期待しないでね!

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