お笑いとの出会い 後編 コント好きになったキッカケとオンエアバトルについて
後編を書くと言っていたけど、気力がないので放置していました‥というわけで、何故コントが好きになったのか。
こちらの記事は前編を読んでから読んでください!
https://note.com/1201shout/n/n875aa7092d5d
僕がお笑いにのめり込むキッカケになったのがオンエアバトルだと前回書いたと思うのですが、そのオンエアバトルで強かったのが人力舎に所属していた芸人さんでした。
アンジャッシュ(あんなことになるなんて‥)、アンタッチャブル、ドランクドラゴン、アルファルファ、田上よしえ、北陽、キングオブコメディ(あんなことになるなんて‥)、おぎやはぎ、ラバーガール‥。
みんなオンエアの常連でした。オンエアバトルというのは毎回10組出演して、上位5組に入らなければオンエアされないシビアな番組です。そんな中、人力舎勢は毎回のようにオンエアされていたのです。お笑いの事務所を意識するようになったのがオンエアバトルからでした。
それで、この人力舎勢が殆どみんなコントをやっていたんですね。アンタッチャブルはずっと漫才だったけど、漫才のイメージが強いおぎやはぎも初めはもっぱらコントをやっていた。
オンエアバトルは審査員がお客さんなので、お客さんに好かれるネタをやらなければいけません。ここがM-1などの賞レースとの大きな違いです。なので、キャッチーでテンポの早い漫才が圧倒的に強い番組でした。今をときめくバカリズムも、10勝13敗くらいで苦戦していました。大ウケする回もあったけど大体ギリギリ合格という回が多かったと思う。オンバトはテンポ、キャッチー、ボケ数が重要なので、シュール色が強かったバカリズムは相性が悪かったんでしょうね。シュール色や演劇色の濃いネタはウケが悪かった。そんな中でバナナマンが強かったのは、日村さんのわかりやすい面白さがあったからだと思います。あと演劇色の強いコンビにラーメンズという常連コンビがいた。バナナマンとラーメンズもオンバトでは異色の存在だった。
話を人力舎に戻すと、アンジャッシュとドランクドラゴンはわかりやすいコントをやっていたけど(ドランクも大好きでした)、アルファルファとおぎやはぎはかなりシュールなコントをやっていたと思う。そこに痺れた。この2組がキッカケでコントが好きになった。アルファルファは今は元プラスドライバーの角田さんが加入して東京03になっている。ちなみに東京03もオンバトで強かった。演劇色が強いけど、03が常連になった頃(2004年頃から)は演劇色やシュール色が強いコントにも理解が深まっていたので番組初期の頃よりウケ安くなっていたと思う。ただそれでもキャッチーでポップでテンポの早い漫才が強かったのは変わらない。
アルファルファとおぎやはぎは番組初期(1999年)から活躍していて、当時から異彩を放っていて、すぐに夢中になった。おぎやはぎの「クレーム」のネタがとても印象に残っている。小木さんが「久米宏が噛んだ」「筑紫哲也の顔が悪魔みたいだ」と矢作さんにクレームを入れるコントで、終始シュール。他のコンビとは明らかに違うカラーに戸惑う。昔のオンバトって今見ると古いなあと思うことも多いんだけど、おぎやはぎやバカリズムやバナナマンのネタは今見ても新しい。
この前の「おぎやはぎのメガネびいき」で、ザ・マミィがゲストに来ていたとき「去年のオンバト復活スペシャルで533キロバトルだった」という話をしたとき、矢作さんが「俺らの時代なら380くらいだっと思う」と返していて、わかるー!となった。復活スペシャルの1位は空気階段の541キロバトルだったし、お笑いもあの頃に比べると多様化して進化しているんだと思う。受け入れられる幅が広がったというか。そんな中で、今でも色褪せないネタをやっていた、おぎやはぎは昔からすごい。
アルフルファは今の東京03からは想像できないけど、豊本さんがシュールなボケをしまくるコントをやっていた。当時から飯塚さんのツッコミはスゴイと言われていて、関西の芸人さんからも一目置かれていたらしい。東京03は日常における人間を描いていたけど、アルフルファは割と突拍子もないコントをやっていた。僕はそんなアルフルファのコントも大好きだったけど、飯塚さんは限界を感じていたようで、これが後に東京03結成へとつながる。
オンエアバトルのいちばんの大きな功績は「東西の笑いの壁」を壊したことにあると思う。当時は西と東のお笑いの壁は厚くて、陣内智則さんはオンエアバトルの収録で東京の収録に来たとき「絶対に東の連中に負けるかボケェ」と思っていたそうである。ただこれはこういう気持ちでないと、場の雰囲気に飲まれてしまうからやっていたとのこと。本当は東の芸人さんと仲良くしたかったそうで、後にアンジャッシュ(あんなことになるなんて‥)と仲良くなってからは普通に東の芸人さんとも仲良くなったとのことです。話が逸れた。
例えば、おぎやはぎなんかは関西にいくと毎回苦戦していた(オンエアバトルは2ヶ月に1度ほどのペースで東京以外でも収録をしており、大阪収録は年に1度は必ず行われていた)やはり大阪の人達は漫才への強いこだわりがあるので、東京芸人の漫才は中々勝てないのである。
そんな中で号泣(手相で有名な島田秀平さんがやっていたコンビ。今年、再結成)が初めて東の漫才師で、大阪収録でのオンエアを勝ち取った。これは革新的だったそうである。その後、アンタッチャブルやタカアンドトシも大阪で爆笑を取るようになり、東西の笑いの壁は壊れた‥と思う。
楽屋での東西の壁も気付いたらなくなっていたそうである。今は関東の芸人さんも関西で人気が出ることは全く珍しくない。この東西の壁を壊したことこそ、オンエアバトルのいちばんの功績‥なのかもしれない。
「芸人ウケ、客ウケ、業界人ウケ」の3つのうち、2つを満たすと芸人さんは売れるのだと言われている。オンエアバトルはそのうちの「客ウケ」にのみ特化していたので、オンバトでは強かったのに他ではサッパリだった人や、逆にオンバトではサッパリだったのに売れた人も沢山いる。アルフルファが行き詰まったのは、客ウケに客ウケに走った結果なのだという。
それでも僕がお笑い好きになる大いなるキッカケを作ってくれたオンエアバトルには感謝しかないのである。ありがとう、オンエアバトル!