早朝のバイクの音からの気づき
爆音バイクから「いかに生きるか」を気づかされた。
朝の坐禅会が始まって、「ベリベリベリ〜」という爆音のバイクが通過した。道路までは100mは離れている。窓も開けていない。
うるさいとかうるさくないとかは別として…
一つの疑問が湧いてきた。
当事者はなんであの行動を取るのか。
「どうして?早朝から大きな音を鳴らせるのだろうか?」
「迷惑とかの視点はないのか?」
かっこいい。いい音。空いている時間帯に思いっきり走れる。など、その人たちのコミュニティーでの視点ではすごく盛り上がるのだろうが。
他者の視点からはただただ迷惑。
早朝の爆音バイクは「自分本意」の考えでしかない。
仏教の様々な書籍を読んでいると、「人は誰しも自分の見た世界を生きている」という意味の言葉で表現されている。
世界の見方をより良くするかで、人生の幸福度は変わる。
まさに自分を生きている。
「いかに生きるか」を爆音バイクで気づきを得た。
もしかすると、私の気づきのために「爆音バイク」が鳴り響いたのかもしれない。
そうこうしているうちに
止静鐘(しじょうしょう)が鳴り、静かに只管打坐の世界に入っていきました。
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