素直な気持ちの難しさ。
『しんどい』という気持ちが幼いころはわからなかった。
母のおかげもあり、幼い頃からあまり風邪をひかずに丈夫に育ってきた。だからかわからないが、『しんどい』という感情がいまいち理解ができなかった。『痛い』という感覚はわかる。肘をぶつけた時や転んだ時の感覚がお腹あたりにしたときに、『痛い』という。でも、しんどいはわからない。あまりなった感覚のないものだから言葉ではわかるが、うまく感覚には落とせない。なんだかおかしいなと思い、熱を測ってみたら38度で母が慌てて病院に連れていかれるという事態が2~3度あった。
胃がキリキリするとか、胸がむかむかするとか、全くわからなかった。どんな感覚なの?と聞いても、「う〜ん、むかむかだよ笑」と母は笑って、でも、困ったように説明した。しんどいや胃がキリキリするは痛いとかチクチクするといった物理的なものからくる感覚ではないのに、なんで理解できるか、なんでその言葉を使えるのかが全くわからななかった。
今では少し『しんどい』も『胃がキリキリする』もわかるような気がする。それは『しんどい』という経験を多く積んだのか、それともわかっているような気になっているのかはわからない。
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「楽しい!」「うれしい!」
そう言って感情を100%言葉にできる人がすごいなと思うし、大人になるにつれてそうやって感情を100%言葉にできる人は少なくなるような気がしている。そうなってしまう自分なりの仮説は2つある。
一つ目の仮説は、人間は大人になるにつれ矛盾した感情を同時に抱くようになっていることである。小さい子向けのアニメ、プリキュアや仮面ライダーが正義と悪で白黒ついているのは小さい子供は「この妖怪は優しいけど、主人公に意地悪してて、結局何?」となるように、グレーゾーンのものという認識ができない。だから、正義は正義、悪は悪といった白黒をつけている。(という記事をどこかでみたが、どこで読んだかは忘れた。)でも、大人になるにしろグレーの感情が理解できる。この上司は普段は嫌味ったらしいことをいうけど、ふと出る言葉が正論だからなんだか嫌いになれないとか。子どもだったら、あの上司嫌い!って言えるところをなんだか言えない。
二つ目の仮説は、大人って変に賢くて臆病だ。恋人と一緒にいれて嬉しい!と感じても、すぐに別れてしまった時の気持ちを想像してしまう。そうやって過去のつらい気持ちを今に持って来て、嬉しいはずなのになんだか悲しいといった相反する感情が出てしまう。なんともややこしい人間なのだ。
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「素直になれない」
そうやって悩みを抱える人は多いのかもしれない。でも、しょうがない。だって人間は矛盾する感情を同時に抱くものだから。嬉しいけど悲しい。楽しいけど辛い。その矛盾を抱えていることを認めることが素直になる一歩ではなかろうか。そもそも、少しでも嬉しいと感じれるだけすごいのだ。だって、私はしんどいがわからなかったし、今でのわからない感情が多くて少し息がしにくい。
楽しいがわからない。
幸せがわからない。
好きがわからない。
どれだけ感情欠落しているのかと疑うほど、私はわからないものは多い。みんながごく普通に言葉に発しているものがわからない。でも、わからないことがわかるからまだ大丈夫とよくわからない理論を打ち出している時点でもうわからない。
それでも、昔『しんどい』がわからなかったのが少しわかるようになったかfら、いつか『幸せ』もわかるようになるのかなと淡い期待を寄せている。