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違和感の先に。

「みんながいう幸せがちょっと腑に落ちなくて…」

飲んでいるときにふいに友人からでた言葉だった。それからはどんな時に友人が幸せを感じるか(そもそも友人は幸せ感度が低いという結論になったが)、私が幸せだと感じる時や、いつ幸せに対して違和感を感じたか、幸せの語源はなんなのかを2人で調べたり、話し合ったりした。最終的に友人は自分にとって幸せというものがどんなものか言語化でき、腑に落ちたらしい。(それについてnoteを書くらしいので私は楽しみにしている。)

私は話を聞きながら友人の心の動きが美しいなと感じた。

自分の感じていることがなんだか他人がいうことと違うと違和感を持ち、そしてなんで自分は違和感を感じるのか、こんなにもむず痒くて気持ち悪いのか、その不快さを無視せずに一つ一つ丁寧に探求していく。

案外自分の心の動きというものは無視される。特に周りがAに賛成と言っている時に、なんだかBのような気がするけど、反対するほどの意見もないし、なんだかもやもやするだけで自分自身もよくわからないから、とりあえずAに賛成しとこうみたいな状況は思い当たりません?

周りとの不快感、違和感というものはいっそ無視したほうがなんだか生きやすい。なんだかもやもやすると相談しても、「考えすぎだよ」「くよくよ悩まないの」とか言われることもあるし、なんで違和感を持つのか原因を突き止める作業は労力と時間を要してしまうから、いっそ無視した方がコスパがいい。

しかし、無視し続けると風船のように不快感や違和感が膨らんでいき破裂し、絶望を味あわせてしまう可能性がある。

家族、恋人、学校、職場、社会…。ささいな違和感はいつどんなところでも起こりうるし、それは大事な人との仲ですら起こりうる可能性はある。その違和感を無視し続つづけるために、自分が感じていることが悪い、相手のいうことを聞かなくちゃと感情を押し殺してしまう。そうすると、自己肯定感が低くなったり、最悪体を壊してしまう可能性だってある。

だからあなたが感じた違和感は大切にしてほしい。殺さずに大切にし、口にだしたり、調べることでその違和感はあなたの世界を少し広げてくれる。 冒頭に話した友人は幸せに対して違和感を持ち、彼なりの答えにたどり着いた。たどり着くまでに、いろいろな幸せに出会い、幸せに対する世界が人よりも広がったはずだ。その違和感による世界の広がりこそ、あなたらしい人生を作り出す種なのかなと思ったりもする。

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違和感を感じにくい人も世の中には多い。

お金にも苦労せず、そこそこの努力でいい大学にいき、笑いあえる友人もいて、容姿にも特別恵まれているわけではないが、自己肯定感が落ちるほどでもない。激しい嫉妬心も、明日目覚めるのが嫌なくらいな挫折感も、胸が圧迫するような絶望感も味あわずに生きていけることがある。

でも、20年、30年、40年生きてしまってからひょんな事で違和感を感じ、自分の世界の狭さに気づいてしまう。自分には家族、学校または職場だけが全てでそれ以外にも世界があることに絶望してしまう。なんて自分は狭い世界で生きてきたんだ、もっと早く気付けばやり直せたかもしれない、なんでいまさら気づいてしまったのか、今から違う世界に飛び込むなんて無理だ…。

そんな人を何人かみてきた。

いつからでもやり直せる、そんな優しいことは言えないけど、違和感を持たずに生きてこれたなら、それが幸せだったなら、今までの人生を否定なんてしなくていい。それよりも、今から知らない世界を知れるなんてなんだかワクワクするし、楽しんでいこうよと思う。

いつも心の機微を大切にしてほしい。

これは自戒でもある。

#エッセイ
#感性整理備忘録



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