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弱い、弱い、それもいい。

ここ最近、すごく気持ちが穏やかだ。

生理のイライラや痛さ、時々起こる変な腹痛があるが、比較的穏やかな気持ちが続いている。これまで何かしらの不快感や違和感をここで言語化し、綴っていたが、どうも文字が頭に浮かんでこないのは、それらの不快感や違和感が少なくなってしまったなのかもしれない。

自分の抱える気持ちは穏やかだが、社会的に見ると今の私の立場は少し危うい。内定を辞退し、来春からどうやって生活していくかの目処も立ってなく、かといって、就活に力を入れているかと言われたらそうでもない。(心配かけてる両親には、土下座する勢いで謝らないといけないなと感じてる…。)

もともとマグロのように走っていないと死んじゃう系の人間だと思う。予定を詰めるのが好きだし、通常の大学生と比べ(そもそも通常の大学生がよくわからないが)大学も何かしらいろんなことに着手し、いつも活動していたように思える。

それでも今、何もしないことができるのは、私のペースを温かく見守ってくれる人たちが周りにいること、無理に何かに向かって走ることが「成長」や「幸せ」に必ずしも直結するとは限らないと体でわかっているからかもしれない。

内定を辞退したと伝えると、「働くことはしんどいことだから、どんな道を選んでもしんどいんだよ」と言ってくる人と、「ゆっくり今後のことを考えたらいい」と言ってくる人、二つに別れる。

どちらも正解で、どちらも不正解だということを私は知っている。
同時にどんな道を選んでも、自分が正解にしなくちゃいけないことも知っている。

「ゆっくり今後のことを考えたらいい」と言ってくれる人も、「働くのはしんどいことだよ」と言ってくれる人も、私の人生の重みを分け合いっこはできない。自分の荷物は誰も持ってはくれないし、むしろ自分の荷物を分けるほど、相手に主導権を握られ、自分の選択肢が狭まるのではないかと思ってしまう。

例えば「結婚してからも働きたいか?」という質問。私は結婚してからも(全くもって結婚というワードに興味はないが)働きたいという気持ちが強い。それは金銭面的にパートナーに頼るのと、そのパートナーと離婚した時に生活していけないからだ。会社を一度離脱したら戻るのが難しい、だから1人でもやっていけるスキルが欲しいし、心許せる相手でも依存したくない。

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依存とは自分の人生の重みを分けるのではなく、「放棄」である。

そうやって自分に思いこませてきて、なんでも自分で選ぶこと、相手に人生の重みを分けることを嫌がってきたけど、本当は裏切られたり、嫌われたりするのが嫌なだけだと最近感じた。

人生は長いし、自分の価値観もどんどん変わっていく中で、だれとどんな良い関係性を結んでも、未来ではどんな関係性を結んでいるかわからない。

どんなコミュニティに所属していても、そこで嫌われてもいいように別の場所を準備しておく。会社に見捨てられても、自分で生活していけるスキルをもっておく。

自分の意思はいつも「嫌われたらどうしよう、嫌われてもいいようにリスクヘッジをしよう」と、弱い自分から生まれている。

でも、それだけ周りの人に嫌われたくないと執着できているから、まだまだ自分は人間でちゃんと生きているんだなぁと、弱い自分をよしよしできているから、こんなに穏やかな日々なのかもしれない。

腹をくくる前の穏やかな日々は、なんとも言えない不気味さと居心地の良さを連れてきた。

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