ひっそりと生きていたい。
テキオー灯とは「大長編『のび太の海底鬼岩城』で出てくるドラえもんのアイテム。あらゆる環境に人体を適応させるひみつ道具です。光線銃形で、トリガーを引くと先端から光線が出て、この光線を浴びた人は24時間のあいだ、どのような星でも地球上と変わりなく活動できます。温度、重力、圧力、光、大気など、環境を形成するすべての要素が効果の対象です。もちろん地球上でも効力を発揮します。」
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人に影響を及ぼすのが苦手です。
こんなに毎週noteを書いているのに、私は人に何かしらの影響を与えることに恐怖を覚える。それは私が主張することが正しいなんて、何年経ってもわからないからだ。以前『正論は人を生かすか、殺すか』でも書いたように、正論や意見、主張といったものはすごく危うい。約100年前は黒人を排除するような法律がどんどんできていたのに、今では「みんなそれぞれいいよね」という文句がいろんなところで出てきている。(それ自体はものすごくいいことで、否定はしない。)
例えば友人が「現在の恋人と別れようか迷っている」という相談を私に持ちかけたとしよう。どう見ても、友人は別れた方が幸せになると私自身確信していても、別れた先に彼女の未来が幸せかどうか、私が責任を持つには重すぎる。こうした方がいいとか、ああした方がいいとか、そんなことは言いたくなくて、他人の選択にはあまり関与したくない。だから、誰にも何も影響を与えずに生きていきたいと心の底では強く思っている。
できることなら、
小さな村で畑を耕しながら、
最小限の人たちと関わり、
時々本を読み、
衣食住を中心に生きて行けたらどれだけいいかと思ってしまう。
それでも、「あぁ、嫌だな」「今すぐ消えたい」と思いつつも、noteを書いたり、働いたりすることができるのは、昔、とても深い深い闇の中で優しい光を浴びたからだ。
テキオー灯。それはどんな深海でも、どんな星でも息が吸えるように、呼吸ができるように、適応させてくれるドラえもんのアイテムである。
私は人に影響を与えること苦手で、自分の存在自体も害だと思いがちだけど、あなたがあなたという場所でちゃんと呼吸ができるようにテキオー灯の光で照らしてあげたい。自分の意思でそれが回り回って、私が息をする理由になるような気がしている。
まだまだ、どういう手段を取ればどんな暗闇でも、どんな深海でも、テキオー灯の光を照らすことができるのかわからないけど、少しずつできることをやっていこうと思う。
『凍りのくじら』辻村深月 引用
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先日、面識のない人から初めてnoteのサポートをもらった。
このnoteはただの自分のエゴで書いているし、お金をもらうことにつなげようとか一切思っていない。しかし、初めて自分の言葉が目に見えない誰かに伝わったという実感を得られて不思議な気分だった。
大好きなライターさん、あかしゆかさんが「感性を磨くとは今の自分を見つめること」とおっしゃっており、素敵だなと思った。それを受けて、自分の感性を丁寧に見つめること、他人の言葉を使うときはちゃんと明記すること、自分の言葉で書くことなどを意識してきた。
会社に入ったら、営業にしろ、編集にしろ、ライターにしろ、自分の表現と顧客が求めるものが重なる部分をしっかり磨いて武器にしていかないといけない。ビジネスでマーケットインという言葉があるように、伝えたい人や読者層を分析し、その人たちに響く言葉を今後は勉強していかないといけないなと思っている。そうしないと、作った商品はどれだけ想いがこもっていようとも誰にも届かず、ただのガラクタになってしまう。
誰かに伝わるように、相手のことを分析することはとても大切だ。相手のことを考えずに自分の思想などを表現する人のことを『アーティスト』というのだと思う。このnoteはどちらかというと『アート』だ。誰か特定の人が傷つくようなことは絶対書かないと決めているが、あまりにも自由に自分の思想を書きすぎている。
そんなnoteにサポートを入れてくれて、素敵なメッセージまで添えていただき、とても頭があがらない。思い上がりかもしれないが私の思想や存在が認められたように思える。
誰にも影響を及ぼしたくないし、できれば海でビールでも飲んで野垂れ死んだほうがいいのかなと思うことなんて山ほどあるけど、誰かの心の隅に少しでも私の純粋な言葉が居座れるのならば、明日も生きてもいいのかなと思える。
本当にありがとうございました。