笑顔が当たり前の社会。
「笑顔が顔にはりつけばいいのになぁ」
昔はよくそんなことを思っていた。
小6の時に太宰治の人間失格を読んで道化が得意な少年がとても羨ましかった。にこにこ笑っていれれば少しは楽なのかなぁと。
小学生の頃から学校より、学校の外に居場所があった。
少しずつ上達することが好きだったり、元々の負けず嫌いな性格からバドミントン、習字、硬筆、水泳、ピアノ、いろいろなことをした。
そのかわり放課後は習い事ばかりで、学校の友達と遊ぶ時間はなかったし、それが嫌だと感じたこともあまりなかった。
何より学校はつまらなかった。
ドッジボールや鬼ごっこなどのスポーツはともかく、女の子特有の噂話や好きなジャニーズに関して話すことに興味が持てなかった。(小5の時に嵐を知らなくてとてもバカにされた記憶がある。)特に嫌だったのが、何に関しても屁理屈や文句をいう子が多く、気持ち良いものではなかった。私の好きな友達の悪口をいったり、登下校中にたまたますれ違った人の外見をなじったり、よくもまぁそんなに人の悪いところが見つかるなと感心するほどだった。
1〜3人の友達がいれば十分だった。学校内での交友関係が狭かったから、何かと時間ができて、よく本を読むようになった。本を読めば読むほど自分の気持ちが言語化されていく感覚がとても楽しかった。そして本を読めば読むほど、学校にいる子たちが幼稚に見えて仕方なかった。
不幸ではなかった。
小5の時にはみられてから、気が合わない人とは無理に仲良くしようとしなくていいと学び、学校では小説を読んだり、仲がいい友達と話すくらいで私はよかった。
しかし、母は内向的であまり笑わない私を心配した。
そしてよく「ムスッとせずにニコニコしてなさい」と言われた。
笑顔でいないと周りの子も楽しくないから、とにかく笑ってなさいと。
私にもっと友達ができ、幸せになってほしいと願って、母はそう言ったのだが、それから鏡を見るのが嫌になった。自分の顔をいつ見てもムスッとしているように思えて、嫌気がさした。
つまらないのになんで笑わないといけないんだろう。
やっぱり笑っていた方が見ている人も気分がいいし、笑わないといけないのかな。
そんな思いがあって、笑顔が顔にはりつけばいいのにとよく考えていた。
私自身はつまらないけど、周りの人に迷惑をかけるのは嫌だし、不愉快な思いをさせるも嫌だ。だったら、笑顔が顔にはりついていたら、私も周りの人もハッピーなのに。
人々が笑顔以外の表情を排除するようになったのはいつからなのだろう。
***
先日授業でストレスが過度にかかっているのに、怒りや悲しみといった自分の感情が認知できず、顔は笑顔ということがあるらしい。例えばパワハラやセクハラに合っている人。本当は嫌なのに、嫌なことさえも自分ではわからなくなり、自然と笑顔を作ってしまう。
その授業を聞いて水曜夜10時から放送している”獣になれない私たち”の主人公、深海晶(新垣結衣)をイメージしてしまった。
笑顔で仕事すること。
笑顔で生活すること。
笑顔でいることが当たり前になっていっているように思える。
ちょっと相手が機嫌が悪いと、えっ何?って思ってしまう。
そういうことはないですか?
笑顔は良いものとされがちだが、本当にあなたの笑顔は笑顔ですか?
嬉しい気持ちから来てますか?
楽しい気持ちから来ていますか?
今ひとつ考えてみてほしいのです。
周りに迷惑をかけないように、物事が上手くいくように自分の笑顔を利用することは、社会人になるとますます多くなる気がする。
笑うたびに心がする減っている気がするときは、いっそ笑わなくていいんです。
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私が大切にしていることは笑顔ではなく”無邪気”です。
素直に自分の気持ちを表現すること。
それが怒りでも、悲しみでも、嬉しさでも。
最近、自分が笑っている写真を見て不思議な気持ちする。
私こういう風に笑ってたっけ?
心の底から笑えてたり、
大好きな人たちと一緒にいる時間が居心地良かったり、
はたまた、辛い時に思いっきり辛いと言える環境があるから、笑顔も変わってきたのかなと思うのです。