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関係性に名前なんて。

最近大切な人たちを第三者に紹介する時に困ってしまう。

友人とはちょっと違うし、同僚でもない。
同志とも違うし、恋人っていう同盟を結んだ記憶は皆無。

総じて私の知り合いはみな大切な人っていう枠組みに入るのだけど、大切な人って初対面の人に紹介すると「どいうこと??」みたいな受け取り方になりかねないし、実際私もそういって紹介されたらこの人はどういう立ち位置なんだろうと、判断に困るだろうなと思ってしまう。かといって、学生、経営者や、カメラマンといった肩書きから紹介しても、彼らの良いところはそんな肩書きにあるわけでもないし、見て欲しいところはそこではない。

どうしたらいいものかと思っていると、小学生の頃から仲が良い、いわゆる”親友”という存在もなんだか今ではチグハグのような気がしてきた。彼女のおかげで昔から助けられてきて、今の自分がいる。それは今の変わらないが、昔から使っていた” 親友”は21歳の私と彼女の関係性を表すにはなんだか陳腐で軽い。無理矢理に紹介するなら、『帰る場所をいつも準備してくれる人』『約束なしに電話をかけていい人』『言語化できない不安を受けとめてくれる人』っていうところだろうか。(それでもあまりしっくりこない。)

大切な人の枠組みの中で年齢的にも3〜5歳年上のいたり、高校生がいたり。しかし、彼ら・彼女らを先輩・後輩っていうにはなんだか的外れな気がする。目上の人だけれども、頼るときもあるしもっとこうしたほうがいいのではとアドバイスをすることもある。(大抵私が助けられるばかりなのだが。)年下でも、高校生だからとか、大学一回生だからといって態度を改めることなどまずない。

そう考えると、肩書きや学歴、年齢なんて本当にどうでもいいのだけれども、さて、私はどうやって私の大切な人たちを紹介しようかっていのがここ1ヶ月のもやもやだった。結論、大切な人たちなことは事実なのだからそれでいいじゃんってことになった。私が思う彼ら・彼女らの素敵なところを出して、あとは受け手の想像力に任せたらよいのではと。相手にマイナスにとらわれたらそれはそれで相手の想像力や認知の仕方のせい、あとは私の伝える力不足なせいで。

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きっと悩みを共有したり、仕事を一緒にしたりしていくうちに、大切な人たちとの関係性はアップデートされていくだろう。

それはたぶん、嬉しいことでもあるが、自らの負担になる可能性が含まれていると思う。「この人にどこまで自分の心を許容してもいいんだっけ?」って毎回思考することは負担になるだろう。

そう、関係性とはあいまいで、上にいったり下にいったり、左にいったり右に行ったり。気がついたら消えていたり浮上したり。

そんな不確定なものを認知するのは困難だから、わかりやすく結婚や雇用という契約を結ぶのだが、本来関係性に明確な名前などつけられないことのほうが多いのではと感じる。”近所のおばさん”でも、お米を分けてくれると”優しい+近所のおばさん"になるし、怒られると"怖い+近所のおばさん"になっていく。二人の関係性の中になんらかの事象が起きたり、または第三者からの噂で関係性は上書きされていく。

しかし、そういった定まりのない関係性は深さを増していけばいくほど飲み込みづらい。例えば家族。生まれてからずっと一緒に何十年もときを過ごしてきたが、100%理解できてるとはいえない。ある時は良い母だったり、ある時は衝突したり。血縁関係でいうと家族なんだけれども、衝突が起きた時ほど他人にしたくなったり。そんな存在に苦戦していたのだが、最近自分なりの解決法を見つけた。それは、定まりないものには定まらないというレッテルを張ることだ。灰色を無理矢理白か黒に分けるのではなく、もうこれは灰色だ!って認知したほうが楽なのである。白や黒に分けようとした時点でそれは自分のエゴであるような気がした。

総じて何がいいたいのかわからなくなってきたが、人間の関係性なんてめちゃくちゃあいまいで、定まらないものを定まらないっていうレッテルを貼る勢いと力が今の私には必要なのかなと。

『もし、なんの約束も名前もないままに、会いたい、という気持ちだけで会い続けることができたら、それは愛とか恋とかと同じくらいに美しいことかもしれないです』夏の裁断 島本理生

私と私の大切な人たちの間にはなーんにも名前も約束もないけれども、ぱって頭に浮かんで、ぱっと会い続けることができたら、名前なんてつけられないくらい素敵だなぁとふらふら思う。

だからみなさんぜひとも飲みにいきましょう。

#エッセイ
#関係性
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#感性整理備忘録

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つじのゆい
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