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啓発文で不幸にならないで。

今日もTwitterには多くの啓発の文章が投稿される。
「大学生はバイトに明け暮れるのではなく、インターンしろ。」
「就活に勝つには一年生のときから動き始めろ」

たぶん、私の中ではプロモーションツイートと同じくらいの価値にしか思えなくてほぼ記憶にはないのだけど、「Twitter見るのがちょっとしんどい」という声を聞く。

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話は変わるが、私の母は一年前まではYouTubeもインスタグラムもやっていなかった。しかし、今はyoutubeで犬の服の作り方を見て実際に自分でも作っている。Instagramは相変わらず投稿はしないが、犬を投稿しているインスタグラマーをフォローし、料理はクラシルやクックパットを参考にしている。実家に帰った際は「このにこちゃん見て!お利口さんなのよ〜」とInstagramに映るトイプードルを見せられ、いかにも近所の子を紹介するみたいにしゃべるからびっくりした。

SNSを使って自分の興味あることを調べるのは普通ではないの?と疑問をわく人も多いだろうが、母にとっては大きな進歩なのだ。3年前までは、アプリをインストールするのにも「お金かからない?」と心配性の母は私に毎度聞いてきた。

私が大学に進学し、子育てや色々ひと段落ついた時に犬の服作り、庭の手入れ、料理と、彼女の生活には深みがでてきた。今ではSNSを使って知識や楽しさを得ている。母はゆっくりではあるが、自分の楽しいことをしながら様々な世界に飛び込んでる。しかし、母自身様々な世界に飛び込んでいる意識はない。SNSを使えれるようになったという意識もない。無意識に世界を知っている状態。そういったプロセスを社会で作れないのかなと思う。

もし母に「人生100年!50歳からでも余生の準備をしろ!」と言っても、神経質な母はパニックに陥って、心に余裕をなくしてしまうかもしれない。きっとにこちゃんを見る余裕もなくなるし、よくわからない保険の説明を唸りながらみるかもしれない。

啓発文の先に幸せはあるのだろうか。成功したい!社会でトップに立ちたい!など志を同じくするものにとっては、モチベーションになるし、頑張ろうと思える。しかし、生活や近くの大事な人を大切にする人を急かして不安にしても彼らの先に幸せがあるのだろうか。背伸びをしすぎて、世間で「すごい!」って言われるもので鎧をがんじがらめにし、一体何を守るのだろうか。

私はあなたの大切なものが知りたい。

よくわからない大人が言う、よくわからない成功法より、あなたが大切にしているものをどう守っていくか、どう人生を楽しんでいくか、それを知って一緒に考えたい。

不幸にならないで。

友人にも、大切な人たちにも、自分自身にも常々心に留めている言葉である。

#エッセイ
#感性整理備忘録


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