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平成に置いていきたいもの。

新元号、入学式、入社式…

今日はテレビをつけても、Twitterをみても、なんだか慌ただしく心が落ち着かなかった。みんな新しい何かを見つめて高揚している。

こんな時代にしたい、
こんな学生生活にしたい、
こんな新卒一年目にしたい

そんな姿が私にはちょっとまぶしすぎるのだ。

自分が立てた目標に向かって努力することはすごいことである。でも、頑張るってなんだか生きるのでさえ精一杯な私にとってしんどいなって思ってしまう。ただでさえ、背負っている荷物が重く感じていやになっているのに、さらに荷物が多くなるなんて…。だから、新年の抱負とかTwitterで出回っている時に、臆病な私は言えない。

でも、ふと思った。『置いていく』こう考えたら、少しは楽になるなと。背負っている荷物をえいや!と放り出してみる。うん、なんだか意識低めの私にとっていい表現に思えてきた。

「平成に置いていきたいもの。」

平成最後の日は4月30日ならしいけど(全く興味がない)、もし何か置いていけるならどんなものがいいだろうか。

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『自己防衛』

21年も生きていると、自分がどういう状況でどういうことが起こった時に、最も傷つくかといのは無意識に染み付いている。だから、傷つかないようにそういう状況を避け、避け、避け、自分の思考、思想、行動パターンも追随して形が形成される。というのが私の仮説だ。

私は自分が信じた人に私という存在の深いところを伝えたはずなのに、うまく理解されず、求めていたものが得られなかった時に一番傷つく。頑張って心をオープンにして、自分を理解してもらいたいがために苦しかった過去を持ち出し、四苦八苦しながら伝えたはずなのに、何も手元に残らなかった時の喪失感は多大である。

まず、不器用な私は言葉で自分を表すことが苦手なのだ。昔から国語というものは平均点以下で、文法は今でもぐちゃぐちゃ。言葉で表すことが難しいなら、誰にも心を開かず、理解されることを諦めたほうがいいと思ったが無理だった。素敵な人や、大切な人ができると、どうも自分のことをわかって欲しいという思いが膨らんでしまう。

言葉というものを知るしかない。

自分をもっと生きやすく、守るためには言葉というものを知り、自分の気持ちを表すものを増やしていくしかない。それが私の自己を守るための手段である。

言葉を磨く、感性を磨く。

そうやって少しずつ自分の不器用さを直していくしかないんだと最近気が付いた。

平成にちょっとでも私の不器用を置いていけますように。

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時代が変わっても、新しい日々が始まっても、当たり前だが今日からスーパーマンになれるわけではない。
新しい時代と騒がれて、ちょっと疲れたあなたに。
肩の荷が少しでもおりますように。

私の言葉が少しでも届けばいいなと祈っています。

#エッセイ
#感性整理備忘録
#新元号
#平成



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つじのゆい
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