9/30実装【TRICK☆☆☆】市川雛菜を読む
いえー。いれぶんです。こちらは9/30に実装された【TRICK☆☆☆】市川雛菜の感想文兼怪文書となる記事です。以下注意点です。
・記事というよりかはただの自分用の感想まとめなのでいろいろ話が飛躍してる気がします。
・コミュ内容のネタバレを含みます。さらに今までのノクチル全体のコミュの内容を前提としつつ絡めるのでさらにネタバレと妄想が飛躍します。お気を付けください。
・私個人の好意的・拡大解釈および誇大妄想を含みますが、それらを押し付ける意図のものでありません。むしろ自分の考えとの違いを発見してより幅の広い解釈を見せてくれ…。
・ゲーム内プロデューサーのことは名前が分からんので「シャニP」と呼称します。
では以下本文となります。
【TRICK☆☆☆】市川雛菜のイラスト
おい!どこの馬の骨とも知らんそこの骨!!誰に許可貰って雛菜に口づけされとんねん!!俺も骨になるぞコラ!!そんな嫉妬民を生み出してしまったに違いないイラスト、アニメーションです。
ダークなパープルを基調としたゴシックなワンピースドレスを身に纏っていて、これでもかとハロウィン感を醸し出していますが、こんな衣装が普段着であるはずも無いのでシチュエーションとしては何か写真か映像かのお仕事であろうことが予測できます。しかし雛菜はタッパがありますので、こういう縦長のシルエットになる衣装凄い似合いますね!いつ見ても雰囲気が15歳じゃなさすぎる。立ち絵だとよくわかりますが、赤くアイメイクするお化粧のせいで謎の色気も出ております。こういうの地雷系メイクっていうんでしょ?雛菜は地雷なんて生っちょろいもんじゃないぜ。幸福をまき散らすしあわせ爆弾よ。
顔をよく見てみると口には牙が生えており、棺桶で眠っているというシチュエーションを考えてもおそらくこの雛菜はヴァンパイアでしょう。長い時を眠っていたのかもしれませんが、この起こしに来てあろうことか雛菜の口づけを貰った骨野郎どもは一体何なんでしょう?何を意味するのかイマイチ掴み切れませんが、先日実装された【Re:BIRTH】でも生と死がテーマとして組み込まれている(ような気がする)ことも考えると意味がありそうにも思います。本来ならば生者が死者の眠る棺桶に対して白い花を手向けて安らかな眠りを願うものでしょうが、この骸骨を死者と考えるならば、生者の眠る棺桶に死者が紫の薔薇を手向けて目を覚まさせています。逆なんですよね。つまりリバース。なんか【つづく、】の時もリバースって単語扱ったな…?雛菜はよく発想の逆転みたいな発言をちょいちょいしますが、それもひとつの雛菜も持つテーマ性なのかなとも思います。深読みし過ぎ?
また紫の薔薇がたくさん描かれていますが、こういう時はとりあえず花言葉を調べましょう。なんかそれっぽいのが見つかるかもしれないので。という事で調べると紫の薔薇の花言葉は「気品」だそうです。うーん?まあ雛菜はある意味で気品があると言ってもいいでしょう。それともこのエレガントな衣装もまた気品を感じさせます。しかしやはりこの場合においては死者に手向ける白い花と対極にある花としてチョイスされたのかなと思います。白の反対は黒だろ!となるかもしれませんが、黒い薔薇は人工的な方法以外では作れないので紫にしたのかな?という気がします。多分。
さてお次はフェスイラストの方です。分かり切っていたことですが、黄色い!!雛菜カラー、しあわせ色です。雛菜の影響で私も「しあわせ」をイメージしたときの色が完全に黄色になりつつあります。影響されるオタク。しかし【ピトス・エルピス】樋口円香がそうであった時点でほとんど確定していたようなものですが、とうとうノクチルは個人のパーソナルカラーを出し始めました。もうみんな同じ色、透明だったころの僕たちではなくなり始めています…ぐぅう…(感情が大きくなる音)。
デザイン的には透と円香に引き続き、妙にテカテカした古めかしいような新しいような絶妙なデザインになっています。また、髪型がサイドポニーになっているのがいいですねえ。爽やかでもあり、可愛らしくもあります。という風に見ていくと、スカートの部分が青みがかっているのが分かります。あ”ぁ…まだ透明だったころの名残が…とクソデカ感情になりましたが、ふと前2人の3周目衣装を見てみると、全員スカートの部分に同じくこの青みを残していました。あ”ぁ…(限界嘆息)。衣装デザインだけでこっちの感情を破壊すな。なんか、グラデーション、って感じですよねえ。自分の色が出てきたからと言ってこの頃の色が無くなるわけではないんだ。
アニメーションのほうでは相変わらずの超オサレ演出と共に謎の文言が流れます。「かけた ひなた 混ぜ合わせれば」と書いてあるように思えます。ん~?前2人に引き続きよくわかりません。断片的な言葉過ぎる。「かけた」というのは「描けた」なのか「欠けた」なのか、それとも他のものか…。しかしここでどうやらこの謎の言葉達にはそれぞれ3人の名前の全部及び一部が入っているという事がほぼ確定しました。みんなで馬券ならぬぴゃ券を買って小糸の文言を予想しよう!的中した人には飴あげる。
また、アニメーションで雛菜はエレベーターに乗って高いところ(スカイツリー?)に行く様子が描かれていますが、他にエレベーターに乗っている一般人?のシルエットは誰もが下に向かっています。昇っているのは雛菜だけ。意味深~!情報としては断片的すぎるので半分妄想でしか考えられませんが、雛菜の理想とする「しあわせ」に向かって昇ろうとする、ある意味では若さゆえの強硬とも言えてしまうほどの姿勢と、そういう風なエネルギーを失い妥協の「しあわせ」に向かってしまう、所謂「大人になる」という道をたどって下へと下ってしまう人々との対比だったりしないかなあ…と思いました。「大人」と「子供」というテーマは【ピトス・エルピス】でも取り扱われていたものなのでそういう視点で見てしまいます。でも雛菜にはそうやってどんどん昇って行って欲しいよ俺は…。
1つ目のコミュ「Perfect♡scream」
コミュの方では、雛菜とシャニPが一緒にスイーツ店にパフェを食べに来ているようで、雛菜はツイスタ用の写真を撮っています。女子高生と一緒にスイーツ店入るとかシャニPだから許されてるみたいなとこあるだろ。俺だったら事件化してるよ。
どうやら仕事終わりに2人はこのお店に訪れたようですが、そのことを提案したのは雛菜のようで、シャニPは「雛菜は本当にこういうお店とかに詳しいな」と感心しています。それに対し雛菜は「ま、すきだからね」と余裕綽々です。こういうところが雛菜の凄いところで、雛菜にとっては「すき」であればそれについて詳しくて当然なんですよね。本人としては無意識にやってるのかもしれませんが、自分の「すき」に対して相応の時間と熱量をかけるというのは案外大変なんですよ…大人になるとそれが身に沁みてな…(隙あらば爺語り)。
そんなところで雛菜はパフェを食べ始めようとしますが、シャニPは「写真はもうアップしたのか?」と聞きます。すると雛菜は「自分は写真撮ってすぐにはアップしない」「そういうことすると現在地バレたりして良くないんじゃないの?」と言います。いやネットリテラシーの鬼か?人生何週目??大人になってもそれ出来ないでトラブル巻き起こすヤツがこの世にはごまんといるのに、雛菜ときたらこの圧倒的リテラシーの高さで流石のシャニPも首肯し雛菜を褒めざるを得ません。というか本当はシャニPがその注意をすべき立場なんだぞ。そうして雛菜はパフェを美味しそうに食べ始めました。
そんな雛菜の持つスマホは通知が沢山鳴っているようですが、シャニPがその事について尋ねるみるとそれらは主にツイスタのDMの通知ということらしいです。なんか気持ち悪いメッセージ送ってる奴とかいねえだろうなあ?そんな奴いたら磨り潰してトンビさんの餌にするぞ。雛菜はパフェを食べ終わり、その通知の内容を気にしているシャニPのために内容を覗くことにしました。雛菜が確認した送り主はユアクマの新グッズの情報を教えてくれたようです。えらい。というかつい最近クリパの物販でユアクマのグッズが販売される事になった訳だからこれ地味にリンクしてる…?シャニマスお前さ、そんな顔すんの……販促。
内容としては応援のメッセージだったり質問だったり、たまに日記や相談みたいなのも来るらしいのですが、雛菜はDMの返信は一切していないよう。リテラシーが高いです。が、内容を知っていると言うことは「返信はしていないがひと通り目を通して内容を把握している」とも言えます。そうするとたとえ悪意が無くても雛菜の心に影を差してしまうような言葉なんかが目に入ってしまう事もあるかもしれません。
ここで雛菜が確認したメッセージには「雛菜みたいになりたい」「いつもしあわせそうでいいな」というメッセージが書いてありました。なんかあんま気持ち良くないメッセージだなあ…本人にそんなん伝えてどう反応して欲しいんだか。シャニPは「そういうのがよく来るのか」と雛菜の事を心配して見せますが、特段気にしている様子ではなく、「最近はこういうの増えてきた」「有名にならないかもと言ってたけど意外とそうでもないのかも」なんて言います。そして「だからといって自分が変わるわけでは無い」といういつもの雛菜節をかまして話をまとめていますがシャニPは何か思うところありそうです。
雛菜はよくこういう「自分は変わらない」という趣旨の発言をしますが、ここに来て思うのは、雛菜がこういう発言をする時はいつも「周囲」を見ているよなあ、という気がします。「周りがどう変わっても、周りが自分に何を求めても、自分は変わらない」という風に話すことがほとんどな気がするんですよね。それはつまり、雛菜は「環境や物事は否応なしに変化する」という感覚を強く覚えているという事のように思えてくるのですが、そうであったとしてじゃあ雛菜は心の底から「どれだけ周囲が変化しようとも自分だけは変わらない」という絶対的な確信を持っているのであると、そういう風には思えません。というか思いたくねえ!15歳の少女にそんな強さがあると思うのは強さの押し付けのように感じてしまうのです。俺だって子供のノリのままモラトリアムを謳歌したいと思ったことはある、でも絶対そうではあれないという事は嫌でも世の中に分からせられます。
あの賢い雛菜がそんなことも分かっていない訳は無いだろうと思いますが、それでも少し、どうしてもそういう「変化」がもしかしたら自分に迫った来て自分も「変化」してしまうかもしれないという漠然とした不安から来る抵抗感があって、それ故に「自分は変わらない」という態度を取り続けるところがあるのかなあと感じます。でもそれは年相応な当たり前に弱い部分なんだろうとも思うよ。まだ15歳の青春真っ盛りの少女じゃないですか。だから正直気持ちは分かる、というか私なんかはいい年してそういう感覚に陥ることありますので…。大人になんかなりたくね~~~~!!!(クソザコナメクジデカボイス)
というところで雛菜はシャニPに「シャニPも雛菜みたいになりたいか?」と問います。ここでは選択肢が出ますが、「なりたい」「なれない」「なりたくない」と全部違う方向の答えですね。だいたいこういう選択肢はどれ選んでも同じ流れに帰着するようなものが多いと思いますが、この選択肢は明確に「シャニPの感覚」を我々プレイヤーに直接委ねに来ています。シャニだと結構珍しいことだと思いますねこれ。いやそれが珍しいってアイマスとしては相当特殊ですけどね。シャニPは…俺たちじゃないんだ…。
とか何とか言いながら、「なりたい」と答えると雛菜は驚きますが、最終的にはどの選択肢でも「シャニPはシャニPのままが一番いいよ」という話に落ち着きます。いつもの雛菜の「その人はその人」というしあわせ理論でしょうが、選択肢次第では「誰かは他の誰かになれないんだからそれでいいのに、そうじゃない人もいるのかな」と考える雛菜が見れます。G.R.A.D.編でも同じように考えていましたね。こういう「自分と他者」みたいなテーマは市川雛菜というアイドルにとって重要なものとなるのでしょう。先述した「周囲がどう変わっても自分は変わらない」という雛菜の主張は、言ってみれば「周囲=他者」との「断絶」をその「不変」の根拠にしようとしているように見えます。しかしこの「そうじゃない人」の存在は、誰もがその断絶の中で「しあわせ」になることが出来る訳ではないということを雛菜に気づかせます。この気づきは雛菜にどういう答えをもたらすだろう…そんな風に感じさせながらひとつ目のコミュは終わりました。
2つ目のコミュ「0CAL」
2つ目のコミュでも雛菜は何かを食べ…ようとしていたところ、シャニPに話しかけられて中断しています。シャニPは新たな打ち合わせが入ったことで、来週に行う雛菜の撮影の仕事に同伴できないようです。「終わったらすぐ行くから」と伝えますが、雛菜は「別に自分はひとりでも平気だよ」とバッサリ言いました。雛菜はさらに「前に行ったことあるスタジオだし」「出たことある雑誌だからスタッフも同じだろうし」と付け加え、シャニPもタジタジです。相変わらず肝の据わった女子高生ですなあ。
雛菜は「ひとりでも全然大丈夫そうだけど、シャニPは何が心配なの?」という風に訊きます。シャニPは「心配って言うか…」と何か言い訳しようとしますが、「遅刻しそうとか失礼を働きそうとか失敗しそうとかそういうのが心配?」「撮影は午後から出しスタッフさんたちは良い人たちだったし、そもそもこの仕事を自分は楽しみにしてるけど、何が問題?」と畳みかけます。しあわせ理論武装、というかこれはもうただの理論武装ですね。雛菜レスバつよい~!!ボコボコにされたシャニPはお手上げで「悪いけど頼む」と降参しますが、雛菜はさらに「シャニPは何も悪くない、お互い仕事だし」「頑張っててえらいでしょ~」と言います。卑屈になるとイヤミに聞こえかねないタイプの言葉だ…シャニP…大丈夫か…?
結構精神的に大ダメージ受けてそうなシャニPですが、何とか絞り出すように「実際に雛菜がしっかりしてくれるから仕事も上手くいって助かってる」「そういうところに甘えないようにしないとな」と伝えますが、それでも雛菜は「そんなに心配することないのに」という調子です。
そこでシャニPは雛菜がお菓子をたくさん食べているのを見て「撮影が近いのにそんなに食べたら…」と変わらず心配しますが、「これは全部糖質オフとかゼロカロリーだから大丈夫」「まあ自分はちょっとくらい太っても大丈夫」とまで言います。ぅゎ雛菜っょぃ。実際イメージ的に雛菜はちょっとふっくらしてても可愛い気がするからなんも言い返せねえ。一切付け入る隙のない甘え無しの0カロリー的立ち回りっぷり。コミュタイトル通りです。しかしこうまで叩き潰されるとシャニPの自己肯定感はもうズタボロでしょうね…。
そしてここで選択肢がでます。多分みんな特に目を引かれたのは右側の選択肢、「俺は必要ないかもな…!」じゃないですか?これつらい。精一杯ひきつった笑顔で、「市川雛菜がアイドルとしてやっていくにあたって自分は必要ないかも」という感覚を茶化そうとしたんでしょうね。アイドルをプロデュースするために生まれたサイボーグといっては過言でもないほどのシャニPがここまで追いつめられるとは…。
すると雛菜は「自分はそうは思わないけどシャニPがそう思うならそうなのかもね」と言い放ちます。う”ーん”キツイ!!「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」という例の画像がフラッシュバックします。雛菜はこういう風な状況でもシャニPのネガティブな思考を否定してはくれないのです。市川雛菜の持つ圧倒的な「断絶」の形にシャニPもだんまりです。
そして雛菜は「じゃあしっかりしないほうが良い?」「遅刻して失礼なことして、仕事で失敗する?」と言い、シャニPは慌ててそれを否定しますが、「まあそんなことするわけない」「そんなことしたら自分もシャニPもしあわせじゃないでしょ」と言ってコミュは終わります。この発言も相当ヤバいです。私もシャニPと一緒に「いやそれは…」と声に出してしまいました。
オタク、とりわけ男性のオタクについて考える時、「マチズモ」的な文脈で語られることがあります。「マチズモ」というのはマッチョに由来する、日本語に直せば「男性優位主義」という意味の言葉です。実際にどうかはともかく、男性オタクもマチズモ的な欲求を持っていて、それを非実在性の美少女キャラを消費することで満たしているという風に考えるのです。そしてそれを満たすために、その対象となる美少女は男性的立場であるオタクの方が対して優位であるという事、つまり「この俺様が守ってやりたくなるような欠点のある」キャラである必要がある訳ですね。
この「守ってやりたい」というのがオタクのマチズモ的な欲求を満たすものであって、結構耳が痛い人は痛いのでは?私もこの感覚を完全には否定しきれない部分があります。何より、市川雛菜というアイドルが登場したときの事を思い返せばさらに否定しがたい事となります。
雛菜が登場してW.I.N.G.編によって彼女のパーソナリティが明らかになった時、「怖い」という感想が多く見受けられました。なぜオタクたちは市川雛菜に恐怖したのか、それは今になって思えば市川雛菜という人格にその男性オタク的なマチズモが付け入るような欠点が存在しなかったからなのではないかと思います。
アイドルをやるに当たって特に問題の無いような容姿に加え、その傍若無人で人の言う事を何も聞き入れなさそうな強硬な姿勢、冷徹に感じられるほどのロジカルな理論武装によって、シャニP(を通して物語を見る我々オタク)に対し強烈な「断絶」を感じさせるその振る舞いはオタクの持つマチズモ的欲求の感覚を否定し、その異物感が我々に「怖い」という感想を抱かせました。
そして今、雛菜は「しっかりしない方がいいのか?」とこちらに問うてきました。これは「自分の持つ高いポテンシャルを無視して、お前のマチズモを満たすような庇護されるべき弱い少女でいた方がいいのか?」という問いのように感じられてしまいます。シャニPの向こうにいる私のようなオタクの存在を見透かすが如き鋭い指摘でもうこっちは心臓が止まりそうなわけですが、当然シャニP(と俺も)「そうじゃない」と否定するしかありませんね。シャニPがアイドルのプロデューサーをやっている理由が「か弱い少女を守ってやった」感を得るためなわけないでしょう。俺のようなオタクの場合は…根底から否定するのは難しいけど…「そうじゃない」って言えるようなオタクになりたい…(願望)。
ただ現実問題、心配をよそにとてもしっかりしていて、自分なんかは必要ないのではと感じられてしまう雛菜によって、シャニPはアイドルのプロデューサーとしてのアイデンティティがボロボロにされています。アイドルのプロデューサーとは?市川雛菜のプロデューサーの立ち位置とは?そんな疑問がふつふつと湧くような状況になってきましたが、雛菜は最後にそういうのはマチズモ的欲求に迎合したような真似を「自分もシャニPもしあわせにならない」行為であると否定しました。市川雛菜のプロデュースを担当する身として何か納得のいくような答えに辿り着けるかシャニP…?頑張ってくれ、お前が良い答えに辿り着かないとオタクとしてモヤってしまう…。
3つ目のコミュ「choco"late"」
さて2つ目のコミュで示された通り、シャニPは別件の打ち合わせを終え、雛菜ひとりで向かった撮影現場へ向かおうとしていますが、雨は降っているし渋滞か何かで車がなかなか進みません。車中で現場の雛菜に思いを馳せますが、「ひとりでも心配ないか」と独り言ち、あまり急いで向かうといった感じではありません。いやいやいや…プロデュースしてるアイドルに対して「ひとりでも心配ないか」なんて言うのはアイドルマスターのプロデューサーとして結構アレだぞ…アイマスというゲームの性質そのものを否定しかねません。。相当追い詰められてますねこれ。
そして現場に到着したシャニPが目にしたものとは…!?なんとそこには苦しそうな呻き声を上げる雛菜が!!おい!!大丈夫か雛菜!!ひとりじゃダメだったのか~やっぱ俺たちのシャニPが居ねえとな!!ってそんな展開になったらマチズモの肯定じゃねえか!!どうなってんだよシャニマスお前!!ぐああ!!(発狂)
と思ったらすぐ撮影は終わりました。あれ?どうやら雛菜が苦しそうな声を上げていたのは体勢的に辛いポーズだったらしく、なにかひどい目に合っていたとかそういう訳ではなかったみたいです。はぁ~(精神安定)。カメラマンさんも雛菜の事をべた褒めで、雛菜は「楽しかったし腹筋も鍛えられた~」と言って現場で笑いを取っています。雛菜つよい~!本当にひとりでも全然大丈夫だったようです。やはりシャニマス、そんな安易な展開でオタクの欲求を満たしはしません。しかしそんな雛菜を見たシャニPは…自己肯定感がゴリゴリ削られてそう…。
雛菜に声を掛けるとシャニPの存在に気づき、撮影の感想を求められたシャニPは褒めようとしますが、雑誌の編集さんに割り込まれてまたもべた褒めされています。この撮影が使われる号には付録として使ったコスメが付いてくるようで、編集さんは「ハロウィンのあたりにはみんな真似するんじゃないかな~!」と嬉々として語っていますが、シャニPは(見えないけど)表情暗く生返事です。どうしたお前ホントに~!大丈夫かよ。
楽屋に戻った2人ですが、シャニPは低めのテンションで「仕事は順調だったようでよかった」「言ってた通りひとりでも全然大丈夫だったな」と雛菜を褒めています。しかし雛菜の反応は芳しくなく、シャニPは「元気ないんじゃないか?」と言って、疲れているだろうし早めに帰ろうという風に提案しています。元気ないのはお前もじゃい!!仕事は上手くいったのに、なんでか2人とも「しあわせ」じゃないですねえ…。
すると雛菜は再度仕事の出来についてシャニPに質問します。シャニPは少し動揺しつつも「良かったよ、編集さんたちも満足してたし」と言い、雛菜も「それならよかったね」と言います。しかし加えて、雛菜は「凄い大変なポーズも頑張ったのに、シャニPは見てなくて残念」ととても気落ちしたように言ってぷっつりコミュは終わりました。ぐおお…なんぞその終わり方…。
さて先述の通り、このコミュにおいては2つ目のコミュで考えた「マチズモ」的な欲求を満たす展開を否定しました。それは私としても期待していた通りの展開で、安易にそういう流れにしなかったことは素晴らしいと思います。雛菜自身だってそういうのはお互い「しあわせ」じゃないと言ってました。しかしそうなったにも関わらず、2人とも全く「しあわせ」じゃなさそうですよね。果たしてこれはどういうことなんでしょう?なんだか大きめの蟠りを感じますが、さてどうなるか…。
4つ目のコミュ「Fudge?」
4つ目のコミュでは雛菜がショッピングモールでショッピング中?のようです。すると近くの女子高生が何やら流れている広告について話をしています。ハロウィンメイク特集で付録でコスメが付いてくるらしいです…いやこれさっきのお仕事やないかい!!そして女子高生たちは「付録のコスメ使って自分たちもこの子みたいにコスプレやろう!」というお話をしています。おぉ…編集さんの言う通りになっとるがな。やっぱり仕事としてはそれなりに成功だったのでしょう。それが耳に入った雛菜は何か思うところありそうです。
場面は変わって雛菜は街中に居ますが、いきなり謎のスカウトマンにモデルをやらないかと持ち掛けられて返事もさせぬままに捲し立てて立ち去りました。シッシッ!あっち行け!うちのアイドルだぞ!!でもまあ見る目はあるよ(謎肯定)。
すると入れ替わりでシャニPが走ってきて「待たせてすまない」と謝罪しています。シャニPとも待ち合わせだったんですね。雛菜は仕事で遅れたんだし仕方ないと言いますが、シャニPは最近遅刻ばかりで申し訳ないと言い、「こんなんじゃ雛菜が一限に遅刻するのもとやかく言えないな」と反省しています。まだ引きずってんな~。雛菜は「最近は仕事の時休んでもいいようにちゃんと学校行ってる」「まあそうしたいからそうしてるだけだけど」と言っています。えらい。でもわざわざ「自分がそうしたいからそうしてるだけ」と予防線を張りながらシャニPの雛菜に対する【HAPPY-!NG】での心配がちゃんと機能しているように感じさせるのは優しいなと思います。空気が読める雛菜の事だし、シャニPが結構追い詰められてることに気づいてない訳ないよね。まあいつもの好意的深読みですけど!
そして雛菜は先程謎のスカウトマンが寄越した名刺をシャニPに渡します。受け取ったシャニPも流石に「芸能事務所の名刺じゃないか!」と驚いていますが、雛菜は「凄いよね」なんて言いつつ「そもそも自分のことなんて知らない感じだった」と言います。そしてショッピングモールで自分の仕事のCMが流れていた事に触れながら「ちょっとは有名になるかなと思ってたけどそうじゃないかも」「自分だけじゃなくてみんなも、そんな急には変化しないのかも」と感想を述べました。
これもなかなか注目すべき発言でしょう。雛菜は1つ目のコミュで「周りがどうなっても自分は変わらない」と発言しており、そういう趣旨の発言をよくします。そしてそこには変わろうとする、もしかしたら雛菜に変われと迫ることもあるかもしれない周囲と、頑として「自分は変わらない」と主張し続ける雛菜の間に大きな「断絶」があるということも述べました。
しかし雛菜は今回の仕事とその結果を通して、「周囲の環境や物事も実はそんな急には変わらない」と言う風に感じたようです。この感想からも、やっぱり雛菜は否応なしに変化していく環境や物事に対する漠然とした不安が奥底にあるんじゃないかなって感じなんですが、もしかすると雛菜はあの撮影の仕事が成功したことで、自身の周囲の環境が変化することに対する不安と同時に期待もあったのだと思えます。
ですが、この仕事は成功はしたものの、市川雛菜という存在をティーンなら誰もが知るようなトップモデルに引き上げるが如き変化をもたらさず、また一方で自身の望むも望まないも関係なく周囲が変化するという事にもなりませんでした。結局、雛菜の不安と同時に期待もまた裏切られたわけです。雛菜はこの仕事の出来に対して僅かながら「もしかしたらちょっと有名になるかも」という期待を抱いていたのでしょうが、結局は雑誌のメインターゲット層であろう女子高生たちも芸能関係者であるスカウトマンも、「市川雛菜」というアイドルを知りませんでした。
そんな雛菜に見えてきたものは、「変えたくない」と「変化」に不安を覚えて抵抗しても、「変わりたい」と「変化」に期待を抱いて何かアクションを起こしても、どっちにしたって急激な「変化」は訪れないという事です。つまり、「変わりたくない」雛菜と「変わりたい」周囲の間に大きな「断絶」などというものは実は無くて、みんな同じような世界と時間を生きています。雛菜が1つ目のコミュで言っていた「そうじゃない人」というのは後者の存在で、その「変わりたい」という願いに込められたポジティブな方向への期待感に雛菜は仕事を通して触れることが出来たおかげでそのことに気づきました。「変化」というのはネガティブな方向だけへと物事の変容を起こすわけではないんですが、そういう感覚が雛菜には欠如していたのかもしれません。
そんな雛菜の言葉を受けてシャニPは首肯し、「だからこそみんな何かに憧れたり誰かみたいになりたいって思うのかもしれない」とまとめ上げその言葉を雛菜はどこか噛み締めている風です。か~っ!なんだかんだ上手くまとめおってからに!雛菜が本当はどこか心の奥底で「どれだけ抵抗しても人や物事は変わりゆく」と感じているが故に「自分は変わらない」と主張するように、世の中の誰もかれも「どれだけ変わりたいと願ってもそうはなれない」と感じているからこそ「誰かのようになりたい」と願ってしまうのです。この2つは紙一重、やはりそこに大きな「断絶」はありません。ほんの少し、「しあわせ」の形が違うだけかも。
そんなところでシャニPはどこかに向かおうとしますが、雛菜は突然「近くに出来たアイス屋さんに寄りたい!」と言い始めます。なんでもとっても甘いやつらしいですが、シャニPが「最近食べ過ぎてる気がするしな…」と言うと「大丈夫、そんなすぐには変わらないって言ったでしょ」と懐柔しています。それそういう物理的な話だったん?俺の深読みがヤハヤハと音を立てて崩れ去る…!
そしてなんだかんだで雛菜に説得されたシャニPは「俺も雛菜も頑張ってるしご褒美が必要だよな」なんて言いながらあま~いアイスを食べに行くことになります。雛菜はシャニPの行動を「変化」させました、とても小幅で、それでいてポジティブな方向に!何をせずとも物事は少しずつ変わっていく、それならばほんの少しでもいい方向に「変化」して欲しいという期待を持ってアクションを起こすということを雛菜は学んだかもしれません。雛菜の「しあわせはアイスみたいに何段積み重なってもいい」という発言が印象的です。ゼロカロリーのお菓子なんかじゃできやしない、チョコレートファッジのような甘い甘い特大カロリーのお菓子を作るためにたくさんのしあわせをギュッと積み重ねていきましょう。
Trueコミュ「TREAT/MENT」
さてTrueコミュではシャニPがいつものようにお仕事に没頭しています。お疲れ様です。すると事務所廊下には雛菜が居て、ドアの外から仕事をするシャニPの気配を察して「あは~…」と言っています。何か企んでる?雛菜のゆっくりとした「あは~」とか「やは~」すき。
すると雛菜は事務所に入ってシャニPに「トリックオアトリート!」と言いながら突撃!俺も突撃されてえ~。シャニPの頭上からお菓子の雨を降らしたらしいです。お菓子あげる方なんだ…もらう側の台詞なのに。一緒に食べるためにコンビニでたくさん買ってきたらしく、お仕事を中断させています。わざわざ自分のお金でか…しかも根詰めてるシャニPを見計らってこうしましたね…俺だったら泣いちゃうよこんなの。
そのお菓子の中には見たことが無いお菓子が混じっていたようで、シャニPも「美味いな」と称賛していますが、雛菜によるとそれは新商品らしく、「こういうのはいつの間にか無くなったりするから買いたいなら早めに買っといたほうが良いよ」「売れなかったらすぐ別のに入れ替わっちゃうから」とアドバイスしています。それはその通り。しかしシャニPは「でももしかしたら結構売れるかもしれない」と言っています。
そこから雛菜は「自分たちも有名になれなかったら、アイドルってすぐ終わっちゃうのかな」「まあ有名になってもいつかは終わるんだけど」と言い始めます。死んだ。なんで急にそういう話するの?ノクチルにありがちな「終わり」の匂い。当然これは先ほどの「売れなかったらすぐ入れ替わるお菓子」の話から来るものです。自分自身もそんな軽々しく入れ替わる世界に身を置いている事に自覚的な雛菜、本当に見てて辛い程のリアリストです。もっと甘い理想を信じててもいいのに…。
そして雛菜は「(アイドルは)楽しくなかったら続けてないし」「アイドルが楽しいのシャニPのおかげだと思うけど」「シャニPはちゃんと楽しい?」と聞いてきました。シャニPは「もちろん」と答えます。すると雛菜は「じゃあちゃんといないとだめだよ」「ちゃんと自分のこと見ててくれないと」と言いました。いや泣いた。ほんと雛菜優しい。やっぱり雛菜はシャニPが「市川雛菜というアイドルに自分は必要ない」と感じて思い詰めていたことに気づいていましたね。
そんな言葉を受けたシャニPは「今までの雛菜を見てて、実際に雛菜の言う通り雛菜はひとりでも大丈夫だと思う」「だからこそそう言ってくれて嬉しい」「雛菜がいないと俺も雛菜のプロデューサーではいられないだろ?」と返しました。お前~~!!すーぐそうやってイケメン発揮する!!アイドルとプロデューサー、持ちつ持たれつなんですねえ。
その言葉を受けた雛菜はとっても嬉しそうで、お菓子の写真を撮るついでにシャニPの写真も撮ります。驚いたシャニPは「それどこにも載せるなよ!」と警告していますが、雛菜は「大事に取っておく」と言ってシャニPは丸め込まれます。とりあえずそれでいいのか…?まあヨシ!これもひとつの大事な「しあわせ」の積み重ねだから。
そうして雛菜は「自分のことをみんなはしあわせそうでいいなって言うけど」「それはそうだよね」「だってしあわせそうなんじゃなくてしあわせだから」と言ってコミュは終わりました。はいもう最高。雛菜はここで自分のことを「しあわせそう」「雛菜みたいになりたい」と言う他者の方へ手を伸ばしたように思います。
「しあわせそうでいいな」なんて直接言ってくる雛菜みたいになりたい向こうのオタクは、言ってみれば雛菜の周囲にある「断絶」を無視して「こうであれ!」と「変化」を促してくる存在だと、おそらく雛菜はそう感じていたところがあると思います。それが1つ目のコミュでの「自分は変わらない」発言の根底にある気がします。
しかしながら雛菜は今回の出来事を通して、そんな二者の間には大きな「断絶」も、もしかしたらあんまりないのかもと思えました。そんな雛菜は「自分はしあわせ『そう』じゃなくてしあわせなんだ」と言いますが、その「しあわせ『そう』」というのは周囲の他者から見た感想、もしくは市川雛菜というアイドルに期待するキャラクター像になるわけです。しかし雛菜は、その周囲から期待されている市川雛菜の姿が「しあわせ『そう』」なのは自分が本当に「しあわせ」だからだと言い放ったんです。最高。「断絶」を飛び越え、その先にいる雛菜の事が好きな「そうじゃない人」たちが自分に「しあわせ」を見出すなら、自分は本質的に「しあわせ」になろう、そうすればみんな「しあわせ」だから。それが雛菜の出した答えなんじゃないかな。もう流石ですね。そんな雛菜の決意の向かう先に、碧い風の吹く先に、しあわせが待っていますように。
まとめ
いや良かった。ノクチルの3週目、内容が良いですね。流石ここまで全部限定なだけはある!流石ここまで全部限定なだけはある!!高山ァ!!
そんなところでまとめなんですが、もうここまででだいぶごちゃごちゃと考えてきたせいでちゃんとまとめられる気がしません!何のためにまとめの項を用意しているんでしょうね。だから怪文書なんです。
さてこの雛菜のコミュですが、「自分と他者」というテーマが強く感じられました。これはもう市川雛菜というアイドルが持つひとつの大きなテーマ性なんだろうと思います。俺がそう感じてるだけ?その通りだよ。
記事中で何度も書いた通り、雛菜(厳密には雛菜と幼馴染3人とのコミュニティ)と周囲の他者には「断絶」があるように感じられます。この辺の感覚は「天塵」や「アジェンダ283」でも強く感じられますし、これまでのいろんなコミュからもそういう部分が見えます。
そして雛菜の場合、その「断絶」が途方もなく強烈に出ていたのがW.I.N.G.編だという事も触れました。雛菜のW.I.N.G.編は雛菜とシャニP(の視点で物語を見る我らオタク)との「断絶」をいきなり初手から浴びせてきたことで我々を戦慄させた過去があります。そして今回もまた、2人の間には「断絶」が生まれていました。
雛菜は1つ目のコミュでも2つ目のコミュでもいつも通り、「自分は自分、他者は他者」というしあわせ理論武装を見せつけてきました。それを目の当たりにしたシャニPはそれを完全には肯定しようとせず、しかし上手い答えを返せず雛菜の理論武装を前にボコボコにされ、ついには「市川雛菜というアイドルのプロデュースに自分は必要ないかも」とまで感じ始めるというなかなか恐ろしい事態になりました。ゲームのコンセプトを否定すなシャニP。W.I.N.G.編とは違って今度はシャニPの方からも「断絶」を生み出しているかのような状況でこれは非常によろしくないです。
そして雛菜は「別に自分はひとりでも大丈夫」と言って仕事に向かい、シャニPもまた「雛菜はならひとりでも大丈夫か」と言ってちんたら現場に向かった結果雛菜の仕事をあんまり見れませんでした。ある意味でシャニPも「自分は自分、他人は他人」として雛菜に距離を置いてしまったわけですが、そんな2人は何故か全然「しあわせ」そうではありませんでしたね。
何故2人は「しあわせ」じゃなかったのか。シャニPに関しては簡単で、彼の言う通り「雛菜がアイドルだから自分はプロデューサーでいられる」という事です。アイドルマスターというゲームのコンセプト上、プロデューサーからアイドルを切り離したらそりゃ「しあわせ」なんてあり得ませんよ。シャニPが見たのは「ひとりでも仕事は上手くいった」という結果の部分だけで、雛菜が撮影の仕事をどう頑張ったのか「見る」事が出来なかったのです。
では雛菜の方はと言うと、シャニPと全く同じで、「自分の事を見てくれるシャニPを見る事が出来なかった」という風に思います。が、この言い方は結構危なくて、「やっぱシャニP(=オタク)が見てなくちゃ(しあわせになれないっぽいから)ダメじゃん」という先述したマチズモ的な帰結を起こしちゃダメですよ!こういう風に考えましょう。「やっぱシャニP(=雛菜のいちファン)が見てなくちゃ(アイドルの仕事として)ダメじゃん」。そう考えると自然じゃないです?すごいシンプルな話で、「仕事を見てくれるファンがいないとアイドル業は成立しない」というただそれだけの理由が、「自分と他者」を切り分けてしまった雛菜を「しあわせ」にしませんでした。面白い話で、雛菜にとって「アイドルとして仕事をして、それを見て喜んでくれる」というプロセスを明確に雛菜に示せているファンはシャニPくらいしかいなかったんでしょう。そのシャニPを切り離した仕事は、誰に見せるためでもない意味のない仕事だったから「しあわせ」になれなかったんです。こういうところが雛菜のしあわせ理論武装の弱さですね。「自分と他者」を切り離す事はそもそも彼女をアイドルとして成立させないのです。
しかしもしそうであるならば、雛菜が自分の事を認識していない女子高生やスカウトマンを見て少し残念そうだったのも納得がいきます。シャニPが見てくれなかった自分のした仕事が、どこか誰かに届いていて欲しいと、そう思ってしまったのではないでしょうか。「断絶」の向こう側にいる「他者」に「しあわせ」を「見て」しまいました。
この「見る」というのが個人的に重要で、雛菜とシャニPの関係は「見る」どうしの関係だと私は思いました。例の撮影の仕事ではきっと、シャニPは仕事を頑張る雛菜を、雛菜は仕事を頑張った自分を見て喜ぶシャニPをお互い見ていれば2人は「しあわせ」になれました。これはつまり、双方ともに「他者に『しあわせ』を見出す」形で「しあわせ」になるはずだったということです。
今回のコミュでは、雛菜は他者に「しあわせ」を見出す事も自分に見出される事も望まぬ変化に感じられて抵抗を示し、シャニPは自分が雛菜に強さを押し付けて甘えるのも、マチズモ的に弱さを望むのもおかしいという状況から「自分はどうあればいいのか」とアイデンティティが揺らいでいました。そこから2人はお互い「しあわせ」になれなかったというところから反省し、「他者」を見ます。なぜならこれは「自分」だけでは解決出来ない問題だと、2人とも分かったからです。
雛菜はショッピングモールにいた女子高生やスカウトマンという「他者」を見てみたりもしましたが、そこには満足できるほどの「しあわせ」はありませんでした。しかし彼女の身近にはある意味でアイドルとしての彼女の最初のファンであるシャニPがいて、彼こそが雛菜が一番わかりやすく「しあわせ」を見出す事が出来る「他者」でした。だから雛菜はシャニPに「ちゃんといないとだめだよ」と言ったんです。そしてシャニPも同じように、強い雛菜に自分が必要では無いとか、弱い雛菜がいれば自分が必要になるとかではなく、「ただ市川雛菜(という他者)がアイドルでいてくれるなら自分は雛菜のプロデューサーであれる」と気付きました。そういう風にお互いがお互いの中にプラスになる何かを見出す事、それが2人の「楽しい」「しあわせ」だったのです。そう思えた2人の間にはもう「断絶」はありません。
そんな「断絶」を取り払った2人ですが、ここに来て拡大解釈のコーナー、始めますね~!!私の得意技です。震えろ。私も解釈が暴走してて震えてます。
ここまでの部分で、私はシャニPの事を我々オタクのマチズモ的欲求を満たすためのアバターとしてではなく、雛菜のいちファンであると解釈した方がいいという感じで話を進めました。さて、この「ファン」ってどういう人たちのことでしょう?シャニPの事でもあり、あちらの世界で雛菜にメッセージを送っているファンたちでもあり、そして何より俺たち市川雛菜が好きなオタクたちじゃないですか?雛菜という「他者」に「しあわせ」を見出したい、しかし雛菜との間に「断絶」を感じてしまいどう向き合えばいいのかわからなくなった事がある、そしてそれ故にある時は自分なりの願望を押し付けてしまうかもしれない目線を持つ、雛菜にとっての「他者」。我々もきっとそんな存在ですよね。この怪文書なんかまさにそれだぞ。
しかし!このコミュはその「断絶」を取り払う物語です。先述の通り雛菜とシャニPの間の断絶はお互いをしっかりと「見る」事で解決しています。そしてついさっきシャニPと向かうのファン、そしてそのさらに向こうにいる我々オタクたちは同一存在の目線であるという風に書きました。そう!つまり我々も雛菜に「見られる」側に立っているんです。うーん解釈が拡大してきたな(解釈が拡大する音)。そしてそれは同時に雛菜の事を「見る」側でもあるという事です。
さて!!ここでお時間ある方はもう一度雛菜の思い出演出を見直してみて下さい。……まさか本当に見直しましたか?こんな怪文書ここまで読んでそんなことまでするとはご苦労さまです(他人事)。もし見直してた場合は、このアニメーションの中で印象的だったシーンをひとつ思い浮かべて下さい。
ここじゃないですか?これがメンタリズムです(ニチャア)。見てわかる通り、このアニメーションのひとつのシーンに「雛菜がまるで画面の向こうにいる我々に気付いたかのように目線を向ける」ようなカットがあります。これはこのコミュで「他者」との「断絶」を超えたこと、そしてその「他者」にはこのゲームをプレイしている我々も含まれているという事を表現しているように思えるんですよね〜〜!!深読み〜〜!!!
そういう風に思わせるポイントは実は他にもあります。ほぼこじつけのようなもんですが怪文書を自称しているので許されます。まずひとつは1つ目のコミュでの選択肢です。その項でも全く同じ事を書きましたが、雛菜の「雛菜みたいになりたいか?」という質問に対するここの選択肢は「なりたい」「なれない」「なりたくない」とてんでバラバラなんです。だいたいは同じ流れに行くような選択肢が出る感じがしますが、ここでは我々プレイヤーの考えが直接尋ねられているように思えます。つまり、ここで雛菜に問われているのはシャニPではなく我々なんじゃないか?ということです。そして我々がこのどれかを選ぶ事で雛菜はそれぞれの反応をしますが、これもまたひとつの「断絶」の超越です。
さらにもうひとつは、もしかしたら私の思い違いかもしれませんが、このカードのコミュは選択肢による分岐まで全て含めて雛菜の発言で終わります。最後の雛菜の言葉に対するシャニPからのレスポンスが無いのです。これ実は雛菜のコミュでは結構ありがちな傾向だとは元々感じてたんですが、今回は徹底してこの終わり方です。そういう風にするとどうなるか?と言うと、雛菜の最後の言葉に対して何かを感じたり考えたりするという部分が我々に全部ぶん投げられるという事です。そしてそれを受けた我々はTwitter上に感想を書いたりクソデカ怪文書を書いたりするわけです。これもまたひとつのなんちゃらですね。(適当)
とまあそんな感じで、ここでの雛菜とシャニPの「断絶」の解消は我々との「断絶」の解消でもあるんだよという事です。凄いことですよ。彼女は自分で考えて、シャニPの「断絶」を超えてそのさらに向こういる我々との「断絶」すらも超える答えを出したんです。まさにカードタイトル通りの「トリックスター」!トリックスターという存在は紆余曲折ありながらも最後には物語をハッピーエンドに持っていく傾向が強いとされていますが(wiki調べ)まさにその通りですね。令和の生み出した一味二味も違う快刀乱麻のアイドルだ!雛菜すごい〜〜〜!!
ただ、その「断絶」を超えたということは、「他者」の存在が自分に影響して「変化」する可能性を受け入れてしまったという事でもあるように思います。それはきっと雛菜が嫌がっていたことです。それでも彼女は、本当はどこかで「変化」は逃れ得ないものであると分かっていたからかもしれませんが、その可能性を受け入れて、少しでも「しあわせ」になれる方へと進むことを選び始めています。
もしかしたらその先で「しあわせ」だけじゃなくて、苦しかったり悲しかったり悔しかったり、そんな辛いこともあるかもしれません。しかしもしそうなっても、彼女に過剰に強さを押し付けず、また彼女にありもしない弱さを見出そうともせず、ただ少しでも輝こうとする彼女をちゃんと見守っていること。それがシャニPと我々の雛菜に対する一番良い向き合い方なんじゃないでしょうか。だって雛菜はこっちに目を向けてくれたんだから、ちゃんと応えてあげないとさ!願わくば、アイドル市川雛菜の行くこの道の先がより多くの「しあわせ」に満ち溢れていますように!それこそが俺たちの「しあわせ」でもあるんだから!
感情置き場
死んだ。ノクチルの3周目やばい。明確な殺意を感じる。だいぶ書くのに時間かかっちゃったけどこんなんでノクチルLP来たら俺終わる。そういえばG.R.A.D.雛菜編も上手くまとめあげられなくて死にそうだったということを思い出しました。というか、ノクチルのコミュは小糸主体の時以外は全部難しすぎです。シャニマス文学部がよぉ…。(グレ丸)
とはいえ内容としては本当に良かったと思います。これ本当はLPの内容なんじゃないの?ってくらいに雛菜は素晴らしい成長を見せてくれました。特に雛菜がこっちを見てくれたっていうのはアイマスのプロデューサーとしてというよりかはひとりの市川雛菜のファンとして嬉しい!ってなっちゃいましたね。シャニPというプロデューサーでもありファンでもある存在を通して我々画面の向こうにも雛菜が目を向けているという風にしたのは、プロデューサーがそのアイドルのファン第1号であるという古来より続くアイマスの伝統を上手い具合に使ったなあという感じです。
そして、直接的に関係ある話かどうか怪しいし。この事についてこの記事で触れるべきどうかというのは非常に迷いましたが、やっぱり書いとくべきかな思ったんで書きます。なんとなく察して避けたい人は回れ右!さようなら、また会いましょう!
まあ何となく分かったかと思いますが、今月入ってからシャニマスの中の人による不祥事的なスキャンダルが続き、冷静に考えたら何も直接的に関与する部分のないシャニマスくんが燃え上がってダメージを負うという喜ばしくない事態が発生しました。
この事に関してオタクたち皆それぞれに思う事があったであろうと思います。そんな中、どこかで「雛菜をしあわせ論法を見習え」みたいな文言を目にしました。それは所謂「作品やキャラの人格とそれに深く関わる制作側の人格を切り離せるかどうか問題」とでも言うべき、何かある度よく紛糾する問題に対しての言葉であるようでした。要は雛菜のよく言う「自分は自分、他人は他人」という趣旨の言葉のように、そういう風に徹底してキャラと中の人の人格を切り離せば良いという風な意味合いを感じとれます。
ですが、ここまで真面目にこの怪文書を読んだ狂人ならお分かりかもしれませんが、私はそういう考え方にはそこそこ否定的です。完全には否定しませんよ!そういう考え方もまたひとつです。この雛菜のコミュで示されたのは、そもそもその人格と他者の間には本当はその関係や影響を完全に遮断するような「断絶」なんてものはないし、それ故にその「断絶」を持ってして「変化」を拒否する事も不可能であるという事です。
今回のこの事態はまさに283のアイドルやこのゲームの外側にある「他者」の事情が影響し、良くない方向への「変化」をもたらしてしまっているわけです。とりわけこのアイドルマスターというコンテンツは所謂中の人とキャラの結び付きを大事にするので、尚更そういう話が燃え上がってくるわけです。そういう部分に対する抵抗感から、雛菜のしあわせ理論武装を持ってして自衛しようとする故に出てきた言葉なんだろうと思います。正直なところ、そうしたくなる心中は察して余りあります。
しかし、そういう風に考えるのもひとつだとさっき前置きもしましたが、無理にそういう風に考えなくてもいいんじゃないかと私は思うんです。実際辛かったでしょう?シャイニーカラーズの看板に傷が付くのは。283プロの子たちが謂われ無く貶められるのは。私だってノーダメージとは流石に言えません。
でも、それでいいじゃないですか。外側で何か起きたとして、良い意味でも悪い意味でも「断絶」なんてないんだから、どうしてもそうなるんです。アイドルが笑えば嬉しい。アイドルが傷つけば心が苦しくて泣く。アイドルが悔しい思いをすれば泣くほど悔しい。それでも最後に彼女たちがステージで輝けば魂が震えてまた笑って泣く。アイドルマスターって、アイドルマスターのオタクって、そういうものじゃないですか。アイドルも、彼女たちに深く関わる製作側の人たちも、私たちオタクの抱える感情も全部、そんな簡単には切り離せないんですよ。そうやってアイマスというコンテンツは成り立っているんです。
だからもしこういう事があって、あなたの好きなアイドルが傷付いたとして、これは外側の「他者」が起こした事だから何も関係ないんだなんて、そんな冷たい切り離し方をしてしまうのは違うんじゃないですか?だってアイドルとその周縁の「他者」とのそういう切り離し方が容認されるなら、我々だって本質的には「他者」なんだから、我々の彼女たちにもたらされた色んな思い出や感情だって向こう側から切り離されてしまっても何も言えない存在になってしまうかもしれないと、私は思うんです。私はこのアイマスというコンテンツにおけるプロデューサー(と自分のことを思い込んでいるオタク)という「他者」として、自分の都合の良いように色んな物事を簡単に切り離して考えてしまったり、自分自身だって切り離されたくもないんです。
だから私は、「自分と他者を切り離して不都合な変化に目を向けない姿勢」ではなく、「避け得ない物事なら少しでも『しあわせ』になれるように勇気を持って他者や変化を受け入れる姿勢」の方こそ、今回の雛菜から学ばなければならないと思いました。
今も、そしてこれからも、このシャイニーカラーズがどうなるのかなんて分かりません。10年以上アイマスのオタクをやってきて、何もかもが望むようにいい方向へと変わったとは言えません。色んなことがありました。自分にとって良くない方向への「変化」だって絶対どこかで訪れるでしょう。そして今、シャイニーカラーズは幾ばくか、良くない方向での陰りに苛まれているかもしれません。
それでも私は、彼女たちを見守る方を選びます。ここからもっと良い方へ、もっと「しあわせ」になれる未来が、大変なこともあったなって振り返って笑える未来があると信じて、そのために降りかかる苦難にも一緒に胸を痛め、最後には彼女たちと一緒に笑えていたいと、見守っていたいと、そう思うんです。だからまだ私はシャイニーカラーズを諦めません。たとえどう変わるとしても。どこに向かうとしても。だって俺は、大好きな283プロの彼女たちの「しあわせ」を願って止まない、プロデューサーなんだから!
さてそんな誰にも届いていなさそうな謎のお気持ちと決意表明が終わったところでこの記事も終わります。あくまで私の思想ですからね!自分の考え方大事にしてくださいよ!なんにしてもここまで読んでくれた方、もしいらっしゃるなら人生の貴重なお時間を頂きありがとうございました。またどこかで骨になって雛菜を起こしに行く時に会いましょう。それでは~。