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タフティ 恐れの消し方

タフティ2 に恐れを意識に溶かしてしまうやり方が書いてありました。
やり方っていうか単純に、恐れを感じたり、気分が下がったら、目を覚ませばそれらは意識の中に拡散して消えるって書いてあったのです。

実はこれ、タフティを日本語で読んでプレゼンスを得る事をやっていた時に、自分で「あれ?ひょっとしてこれって…」と思っていた事だったので、図らずも答え合わせ的な感じになったのですが。

そう、目覚めた状態になると恐れ、重苦しい感じ、疑い、嫌悪感がなくなるのです。

ここ数年間、目覚めた瞬間から私を苦しめてきた重苦しい不快な気分が「あ、そうだ。(ホントの意味で)目を覚ますんだっけ。」と、プレゼンスを得た状態になるのを思い出す事で、すっかり解消したのです

スバラシー

これってすごい事ですよ、いや本当に。

何がすごいかって、特に何の理由も根拠もないのに安心感のようなものに身を委ねている自分に気づく事ができるのです

唯一外せないのが「間に合うように目を覚ます事」
本にも書いてあるのですが、恐れ(あるいは他のネガティヴな感情や感覚)に飲み込まれる前に目を覚ますのです

これね、やったら分かるよ
時々私もまだ飲み込まれちゃうけど、タフティ様も言ってる様に何回もやってるうちに、愚かなカタツムリでも慣れればできる様になるはず

ちょっとだけ抜粋翻訳してみます
(翻訳の翻訳なので、タフティ様っぽい口調ではありませんが)
太字が抜粋です。私の感想は興味ない人は飛ばしてください。

あなたたちが怖がるのは、恐ろしい出来事が起こっているからではなく、無自覚な状態では無力だからです。
自分を取り戻しているとき、怖さは感じません

大事なのは、不安や迷いの原因が、心配していること自体にあるのではなく、自分がぼんやりと無意識の状態にいることにあると理解することです。

要するに、「不安や疑いは、実際の出来事のせいではなく、自分が無意識でいるから生まれるものだよ」と言っているんですね。

あなたたちは、無意識のうちに、自分ではどうにもできない脚本に導かれていることを感じ取っています。

自分を見失ったような、自己を思い出せない、そして状況をコントロールできていないという重い感覚に追い詰められています。

目を覚まし、観察者の立場を取ると、恐怖や疑いは、現実を設定する力が自分にあるという気づきに取って代わります。その気づきの中で、偽りの恐怖はすぐに消え去ります。

本には恐怖と同じ扱いで「重苦しい感覚」という表現が出てきます

まさにこれ

私の場合はこの、自分ではどうにもできない社会の仕組みにいることを思い出す、朝目覚めた瞬間にこれを感じていました。

ま、それゆえに「この社会に生きることに飽き飽きしたから、時空を超えて好き勝手したい」という願望を持つに至ったわけなのですが。

もうちょっと抜粋

無力感や恐怖は、登場人物としての自分にだけ現れます。自分自身に戻ると、恐れは感じません。

大事なのは感情をコントロールしようとしたり抑え込もうとすることではなく、目を覚ますことです。

感情を抑え込むのは間違いです。感情は二次的なものです。最も重要なのは、登場人物の状態で自分の無力さに気づくことです。

同じことをちょっとだけ角度を変えて何回も言ってます
(なんかバシャールみたいだ)

簡単なアルゴリズムをお教えします。これで、不安や恐怖の感情から解放されることができます
↑手順て言ってる割にはなんかはっきりしないので下に説明つけときます

自分自身と現実を直視しました。自分の現実を作り上げたのです
↑プレゼンスを得るの部分です

恐怖に立ち向かうことができたのは、もう恐怖を感じていないからです
↑目を覚まして恐怖を認識した部分です。
恐怖に直面した結果、もうその感情に支配されていないことを意味しています。
それに動揺せず冷静に対処できるようになった、ということです

とまぁ、やることはこれだけなのです。
恐怖(嫌悪感であれ、重苦しい感覚であれ、何らかのネガティヴな感覚)を感じたら、すぐにプレゼンスを得る。それだけ

ただ、少しわかりにくいことが一つ

基本的な原則は、「怖くなる前に、すぐに自分を取り戻すこと」です。

おいおい、怖くなる前って恐怖を感じているからこそそれに立ち向かうことができるんじゃないの?
どっちなのよ?

と思ったのですが、実際にやり始めるとすぐにわかりました。
不快な感情を感じる時、絶対にその寸前に一瞬の間があるのです。

「あ、これ嫌なやつだ。これから嫌な気分が起こる」
という感覚を捉えると、普通私たちは無意識にそれから逃げようとします。

それゆえ見なかったことにしたり、自分を騙したり、回避するために作り笑いをしたり、不本意な行動にでたり

するでしょ?

あれです。
あの一瞬手前の小さな瞬間を捉えて、「目を覚ませ、私!」という喝を入れるとうまくいきます

(私が感じていた朝イチの重苦しい気分にも、起きた瞬間小さな間があったのですが、どう回避していいかすら分からない状態だったので毎日その沼に落っこちていたのでした)

これを読んでる人には皆、望めば「目を覚ませ!」の声が発動するようにしといたので、望んでみてください

願望実現の方法をあちこちで読んだりビデオで見たりすることと、実際に一つでも自分で試して何度もやることの間には

全然何もしてない

毎日膨大な時間をそれに費やしている

という大きな違いがあることに最近気づきました。

色々読んだり探したりしてる割には、結構馬鹿にしてちゃんと試してないことが多いのです。

「タフティが言わなかったこと」を読んでいた時に、まさに自分がそういう思いを少なからず抱いていたと気づいたのです

本にはいろんな人たちの質問や疑問を見ることができるのですが、読んでるうちに心強くなってくるというか「私以外にも、ちゃんと本気で取り組んでる人たちがいるんだ」って思えてくるのです。

読んでて馬鹿みたいって思えるような質問に出くわした時は、特にそれを感じました。

そんな馬鹿みたいな悩みをハンドルネーム(本名っぽい人も多いけど)とはいえ公の場で質問している人に対して(恐らくオンライン上のフォーラムからの抜粋なので、同じ人の名前が何度も出てきたりして段々人格が見えてくる)、その人の自分の行為に対する大きなリスペクトと、それが欠けているが故に「やだ馬鹿みたい」という思いを抱いた自分との「差」に気づけたのは大きな収穫でした

そんなわけで

自分をリスペクトすることを学んだ現場からは以上です


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