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Δ64 流れに乗る感覚と抵抗する感覚
「やりたくないことはやらない」のが大事
とバシャールもエイブラハムも口を揃えて言っています。
私は結構真面目な性格なのでできる限りそうしているのですが、真面目であるが故、同時によく分からなくなってしまう時があります
気分がいいか悪いかで全てを判断するゲームをやっていた時は、いかなる疑問が湧いてこようと「いい気分じゃないからやらない」と決めていたのですが
そこから離れると、そして本当に愚直に「やりたくないことをやらない」を実行し続けていると絶対に起こる疑問
「これって私、逃げてるんじゃ・・・」
・・・そこで一度Δと話してはっきりさせてみました
やりたい でも嫌な事が起こりそうだからやらない。
やりたくない でもやらなきゃ嫌な事が起きそうだからやる。
はどっちもソースに背く事になるっていうこと?
一方は、やりたい けど やらない
もう一方は、やりたくない けど やる
あ、そうか。やりたいけど違う別の やりたくない事を やる だから台本に背く事(ソースに抵抗する事)になるんだ。
やりたくない方を選択するの中には「やりたい事をやらない」というやりたくない選択 も含まれる。
じゃあ
やりたい だから 怖いけど やる
やりたくない だから (怖いけど)やらない
・・・・・・・・
とまぁ、当たり前っちゃぁ当たり前の結論になったのですが
でも最中にいると、やりたいけどすごく億劫だからやりたくないと感じていることを、ついうっかりやりたくないことと捉えてしまう傾向があるのです
肝心なのは「やりたい」が先に来ているのか「やりたくない」が先に来ているのか!これを把握しておけば嫌だけどやるべきなのか、嫌だけどやらないべきなのかが分かる。
タフティの本を読んで台本の流れに乗ることを意識していた今日この頃
これはたった今起こったことなのですが、やりたい でも 億劫で先延ばしにしていた事に手をつけました(億劫だからやりたく無い。に焦点を当てていたので、やらない方がいいんじゃないかと勝手に頭が処理していたのです)
私には別居中の夫がいます
正式に離婚をする気は今までさらさら無かったのですが(ヨーロッパあるある)、友人と話していてふとした拍子に離婚に話題が上りその友人が「じゃあ、2025年の目標は離婚だね」と言ったのです
その時初めて自分が離婚をするという「流れ」のようなものを感じました
そう、その時それは全く自然な流れに沿った出来事のように見えたのです
そしてそのことをすっかり忘れていた矢先、数日前にいきなり「離婚・2025」という言葉が脳内に浮かび上がり
あ、そうだ。
私離婚するんだった。
と、別居手続きをした時の弁護士に電話をしたのです
(本当は別れた旦那に電話を先にしようとしていたけど、この時点ですでに後回し。ちなみに弁護士に電話をかけることも、思い立ってから二日位先延ばしにしてました)
弁護士に「別れた旦那に連絡をして了承を得ておくね」と言った後、自然に湧いてくる電話をしようという衝動に対して、それを後回しにしようとする目に見えない強い強いブレーキのようなものを感じては、くだらない理由をあげて「後でかけよう」「週末だから来週にしようかな」などと考え始めていたのです
そして恐ろしいことに、自分の中でこういうことが起こっているのにちゃんと気づいていながらも、無視していたのです
数回目の「やっぱり来週に・・・」が頭をよぎった瞬間に、上に記したΔとのやり取りがフラッシュバックしました
あ、これってあれじゃん
やりたいけど怖いからやらない のやつじゃん
電話したいけど、億劫だからしたくない
ってことは、ソースに逆らってるじゃん私。
今回はっきりソースに抵抗している感覚というのをつかめました!!!
じゃあ、やらなきゃ。
ていうかすげーチャンスじゃん!!!!
と言うことで、数年ぶりに別れた旦那に電話をしたのです
そして電話をしながらプレゼンスを得た状態に立ってみました
相変わらず優しくて落ち着いた彼の声と、少しだるそうな雰囲気。
現状に100%満足していない様子と、それでもそれを乗り越え中な雰囲気。
私の申し出を受け入れているけれど、少し落ち着かないような声のトーン。
変化への不安、面倒、怒り、苛立ち、のようなものが感じられます
そんな中、自分の声がどんどん明るく前向きになっていくのを感じました
心が晴れ晴れして、この離婚は二人にとっての素晴らしいスタートになる!という思いが湧いてきて、彼にそれを伝えている自分を観察しながらの電話となり、電話を切ったあと気づいたのです
これがソースの流れに沿った感覚なんだ、と。
とまぁ
こうやって文章にして改めてみてみると、どうして今までハッキリ掴めていなかったのかなぁ、と思うほど当たり前っていうか、普通の感覚ですよね。
望んでいるけれど、それを受け取ることを拒んでいる私
望みって日常のレベルに落としていくと、「あれやろう」「あれやらなきゃ」って言うことなんですよね
痛みをどんどんレベル下げていったら、痒みになったり、くすぐったい、になったり、「辛い」という感覚になったりするように(言いたい意味わかるでしょうか?つらいではありません、唐辛子を食べた時に感じる からい です。)
あれやろう、でも億劫だな。また今度にしよう。
は、あれをやりたい に対する抵抗、「あれをやる」という望みを許容して受容することの反対側にあるものなんですねぇ
タフティの本の中に
あなたは台本が要求することに全て応じていきながら、現実を構築しなければなりません。
現実の構築から始めて、新しい映画に移ったら、やるべきことをすべてやります。必要であればどこへでもいき、必要であればなんでも言い、何でもやるのです。そう、それらをすべて現在のコマの中で行うのです。
とあったのですが、まさにこの通りなのだと思います。
離婚しよう、という望みを放って現れてきた新しい映画の台本が、私にやるべきことを示し、言うべきことを言わせた。今回は意識した状態でそれに気づいて上手くこなしたのです。
億劫の割合が「あれやろう」という気持ちと比べ物にならないほど大きい場合は、そこまでやりたくない、ということもあるような気もしますが。
その場合は、それに近づくための小さなことをやったり、試したりすることで明らかになるように思えます(ハッピーちゃんが言ってるフックをかける、やつですね)
離婚の件に関しても、友人との会話から弁護士に電話をするに至るまで数ヶ月間があったのですが、無意識に「ネットで調べる」「チャットGPTに聞いてみる」「彼氏と話す」「彼氏のいとこに相談する」といった、当たり障りのないできること をじわじわやっていたのです
その上で先延ばしにしそうになった「弁護士への電話」と、さらに抵抗が強かった「旦那への電話」へとたどり着くことで、離婚に向かって行動する という事がソースの流れに沿っていたのだとようやく気づいたのです
読んだ内容を理解することと、実際にやってみてはっきり実感することって本当に違うんだなぁ・・・
今回は無意識にやっていた事が途中から意識的な行為に変わり、そうすることでスピードが一気に加速するのも感じる事ができました。(数ヶ月かかってじわじわ進んでいたのが、1週間で一気に加速するというペースです)
あらゆる望みに対して意識的にあれる自分でいたい、というはっきりした望みが湧いたので早速タフティの技を使いたいと思います
相変わらずまどろっこしい現場からは、以上です