
タフティ いいこと探しの本質
小さなことに喜びを見出す
これは現実創造について探求を始めた最初の頃に、誰もが目にする言葉ではないでしょうか
ゆるゆると翻訳しながら読んでいるタフティ2にも今朝これが出てきました
「些細なことから得られる喜び」という章のタイトルを見た時ちょっと鼻白んでしまったのですが、途中で最もな見解が出てきたのでシェアしたいと思います。
今までこういう「いいこと探し」ってやる度になんかはぐらかされてるというか、
悪いことばっかりじゃあないでしょう?こんな小さなことにもいい面があるんだから。
文句ばっかり言ってないで、すでに持っている良い部分に目を向けて感謝しなさい
ってことなわけ?
お前はすでに幸せなんだ、何もしなくてもいいんだ、だからそこに目を向けて生きていけってこと?
という微妙に反抗的な思いが同時に浮かび上がってくるのが常でした。
この章でも似たような終わり方をしそうになったので、内心ちょっとだるいなと思いながらさっさと読み終えて次の章に移ろうとしたところ、既知の法則が結びつけてあったのです
以下、一部翻訳です
恩恵をみつけたのと全く同様に、喜びも探すことができます。
これを実行すると決めて、世界中の楽しみを見つけ出してください。
現実はあなたに喜びしか与えません。
なぜならあなたの世界はあなたが注意を向けたことで溢れることになるからです。
なぜならあなたの世界はあなたが注意を向けたことで溢れることになるからです
そうだった!
やだ忘れてた、現実世界は私の意識を向けたことの反射だった!
そうじゃん。
Δとも散々似たようなやり取りしたのに!なんで忘れるかな、私。
そこらじゅうにある好ましい部分に注意を払い続けていたら、形のない喜びや楽しさが、今度は鏡の反対側にある物理世界にも再び現れざるを得ないわけで
最初からこのことと結びつけて理解してたら、もっと前から本気で良いこと探しやってたのにーーー
って感じです
(ひょっとして私だけ? 皆さんはこういう理解をしていましたか?
私はアホなことに、叶って欲しい物事が実現化したら感じるであろう「楽しいや嬉しい」をイメージをもとに感じることに気を取られすぎていて、今目の前にある物事は、過去に自分が意識を向けた何かの現れで、それに対して今この瞬間に感じている感覚が、未来に起こる物質化の原料だということをうっかり忘れていました。だからエイブラハムもいい気分でいろってあれだけ言ってるのに〜)
ちなみにこの章の内容は、ゼランド氏の2013年に出版された本からの引用だそうです
最後にゼランド師匠がおっしゃる「些細な喜び」の例を記しておきます
柔らかいもの: 椅子、おもちゃ、クッション、ドーナツ
便利なもの: スリッパ、クリップ、スイッチ、取手
確かなもの: ペンチ、トロリーバス、ハンガー、囲い
喜ばしいもの、心地よいもの: キーボードのキー、マウスのコマ、手袋
爽やかなもの: 散歩、シャワー、カクテル、水しぶき
美味しいこと: ピクニック、お気に入りのバール、缶入りのドロップ
面白いこと: メトロのアナウンス、宣伝の看板、通行人の顔
ついてること: 転ぶ、偶然、軽い打ち身、遅刻、別れ
楽しいこと: 足の指、ホテルマン、ホラー映画、機動隊のマスク
陽気になること: イベント、飛行機の乗務員、デモの参加者、歯医者の後で家に帰ること
缶に入ったキャンディとか足の指とか、なんか小さな子供の頃に返ったような気分になっちゃいますね。
転んだり遅刻したりした時に運が良かったと感じる部分は、私の場合は本当なら生死に関わるような事を回避したのかもしれない、といつも思うのでなんか理解できる気がします
衣類乾燥機にぶら下がった色とりどりのパンティを眺めながら「可愛い、綺麗、楽しい、豊か、おしゃれで明るい気分、確実さ、便利さ」を味わっている現場からは以上です