д21 面白いアイディア
さて
私は一つのことを複数の視点から見て、その形を理解する
というやり方を持っています
ですから、現実創造においても色んな人たちの実践している方法や、彼らの理解しているやり方を常に複数見て回るし、一つだけに集中してやるとか出来ません
私の歩みがとても遅い原因の一つかもしれませんが、こういう性質なのでどうにも抗えません。一点集中型でやってみてもすぐに疑問が湧くし、飽きるし、嫌になるしで何もいいことない。(普通はみなさんこのやり方が一番ダメだと言ってますが、疑いを持ったら最後、私は歩みが止まります)
料理やスポーツと同じです。師匠のやり方を真似して上手くなっても、その先に自分のやり方を作り上げなくては前に進めないタイプなのです。職人型ではなくクリエイティブな性格の人はみんなそうなのでは?
で、
今回また一つ面白い視点を見つけたので、今現在取り組んでいるやり方をシェアしてみたいと思います。
思考と感情は隣り合っています
思考は経験(体験)から起こります
感情の先にはゼロ地点があります
経験をし、それについて思考が起こり、感情を覚え、その感情をもとに思考が起こり、それによってまた新たな経験をする。
普通はこういうサイクルで生きてます。
例えば今この文章を書いていたらメッセージが届き(経験)
あ、仕事のメッセージだから返事をしなきゃと思い(思考)
少し焦ったような、期待感と面倒臭さを感じ(感情)
返信をしてまた文章に戻った(経験)
そこでまたこれを例に出そうと思い(思考)
いい考えを思いついた時の気分を感じ(感情)
そうした(経験)
と、エンドレスで日常を生きています。
これっていわゆる引き寄せの法則で、焦点を向けているものが寄ってくるのでこの場合の経験(現実)は数秒前の出来事に反応する形で創造されて行くため、「あ、仕事のメッセージだから返事をしなきゃ」という思考によってきたそれと似通ったものがどんどん膨らむ形になります。
今回見つけた視点はそうではなく、感情を感じるところまでいったらその先にあるゼロ地点に一旦止まるというものです
ゼロ地点、そう、ソースの場所です
ポジティブな感情もネガティヴな感情も、突き詰めてそこに浸ると真ん中は空っぽです。台風の目のように。
一旦そこに戻って、思考も感情も、実際に起こってることも全て手放すと、空っぽな自分がいることに気が付きます。
そこでそのソースから感情を引き出します。
それは勝手に幸せな感情が湧くこともあるし、嫌なことが起こって嫌な感情が起きた後などは「じゃあどんな感情だったらよかっただろう」と思うと、欲しかった感情だけがじんわりと湧き出てくることもあります。
ソースから感情が湧いてくることが大事。
そしたらその感情をよく感じて、こんな感情を私にもたらす思考って何だろう。どんな経験をしたらその思考はやってくるんだろう。と感情から思考へ手を伸ばします。
すると、インスピレーションがやってきます。そしてそれに従う(あるいは勝手にそうなる)ことで経験が起こります。これがソース地点からの現実創造です。
例を挙げます
猫が寄ってきました。
思わずふかふかの猫を撫でると(経験)
なんて可愛いんだろうと思いました(思考)
そして愛おしさを感じました(感情)
そこに深く浸るとさっきまでハッキリした感覚だった愛おしさが、広がり、拡散して、落ち着いてまったりした平坦な感じになってしまいました(ゼロ地点)
そこで
平坦で空っぽなゼロ地点からくる感情を探ってみました
キラキラした胸が熱くなるような感じです(感情)
嬉しくて幸せな、ほんわかした感じだと思いました(思考)
気がついたら私は大きく微笑んでいました(経験)
ソースからの現実創造は全く抵抗がない状態です
経験、思考、感情が一切ないゼロからの創造なので、何も変える必要はなく、何も思案せずとも、勝手に起こります。
故に私の微笑むという体験はとても自然に、そして瞬時に起こっていました。
これが今日の朝、腑に落ちたことの一部始終です。
これからしばらく、再びいつものように飽きて気が変わってしまうまで、このやり方で色々試してみたいと思います。
このやり方だと、頭で考えた「これが欲しい」「あれが実現してほしい」は創造するのが少し難しいと思います。
なぜなら、望みがソースから湧き出る本当の「欲しい気分」「味わいたい気分」から生じる経験だからです。
ただ、それは確実に自分を幸せにする経験なはずです。
そして、経験を自分の思考で選んで好き勝手できないことを考えると、これって自分で変えることができない魂が選んだ「運命」のことなのかな。と感じました。
なんだか毎日いろんな方向に思いが向き、翻弄されているようにも見えますが、本人は至って真面目にまっすぐ走り始めているつもりです。
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