Д56 パズルのピース
相変わらず同じことをいろんな方向から見る事に余念がないワタクシなのですが、今回は懐かしい著者の本が目についたので昨夜購入して読み始めました
ヴァジム・ぜランドのTuftiという本です
もう15年以上前にリアリティ・トランサーフィンという彼の本を読んだ覚えがあるのですが、バシャールの方が分かりやすいという感想以外ほぼ何も覚えていない・・・
えらく回りくどくて、物理学的なことが延々書いてあったような気がしますがそれもうろ憶え
ちなみに今は絶版みたいです
今回は恐らく訳者が変わったせいか知りませんが、かなり読みやすくなっていました
まだ50ページも読んでないのですが、書いてあることはエイブラハムやバシャールの言ってることとほぼ同じ
ただ、この本の「やり方」はエイブラハム、バシャール、そしてネドじゅんさんのやり方をミックスして、更にやりやすくした感じがあります。(私にとってはね)
それともう一つ、今回今まで足りてなかったピースが見つかりました
おかげで今まで繋がらなかった複数の情報が、一つの意味をなすものとして繋がり、理解できたのです
複数のうまく繋がっていなかった情報が何かというと
今起こってることも、これから起こることも、私たちにできることは何もない、運命はすでにもう決まっているから
私たちは意図的に現実を創造することができる
現実は脳が認識する前にすでに起こっている
行動しようと思った時、現実はもっと前にすでに起こっていて私はそれをだいぶ後になって「自分がそうしようと決断」してその通りに行動し(←しかも筋肉は脳より先に動いている)それを認識しているだけ
願ったらすでに叶っている
叶った現実を許容、受容すればいいだけ
何もしなくていい
行動することが大事(自分で考えたことを行動に移すという意味ではなく、ふと心に浮かんだことを行動に移すこと)
色んなメンターがそれぞれの経験をもとに、その人なりの表現や比喩でこれらのことを言っているのですが
私が全てを素直に鵜呑みにして実践するも
まぁ、あんま信憑性ないっつーか
たまに「神様モード」に入る時があって不思議なことが起こりはするものの、毎回同じように自分の心をそのモードに持っていけないから、そうならないことが増えてくるとだんだん嫌になってくる・・・
という繰り返しだったのです
まぁ今回頭で理解できたからって、どこまで上手くいくかなんて分かったもんじゃないんだけど
でもそんなことは置いておいて
この本に書いてあったことで刺さったのは
私たちは見る映画を選ぶことはできるけど、変えることはできない
ということ
現実に一瞬一瞬、イマココで見てる映画(同時に演じてもいますが)はその瞬間の今を認識できるだけで、次の瞬間にはもう過去です
過去は変えられない(違うバージョンと入れ替わる事はあるみたいだけど)
今この瞬間に見てる映画も、認識できるけど変える事はできない
変えようとしたらそれは、未来をさっき起こった今(もはや過去)にしがみついた状態で選ばされているだけ(だから過去に強く結びついた現実がやってくる)
でも次にやってくる「今」に見る映画を自由に選ぶこと(変えようとするのではなく)はできる
でも自分で自由に選んだ「こうだったらいいな」という次の全く新しい映画も、自分の意思で変えることはできないということです
ここめっちゃ大事!!!!!
これが分かってなかったので、全部おかしなことになっていたのです
みたい映画(現実)を好き勝手選んで(望んで)好きなだけ楽しむ(生きる、体験する)ことは可能なのですが
選んだ映画はもう、すでに出来上がっているのです
自分で創るんじゃないの
世界は自分で創るんじゃなくて、世界は自分で選ぶなの
もちろん根本にいるワンネスな自分が創ってるんだけど、肉体を持つ私らにできる部分は選ぶことだけ
もう(望んだ時点で瞬時に)創られた映画を(全面的に信頼して)受け入れる以外、私たちにできる事はなかったのです
面白いでしょ?
しつこく違う言い方するとね、
選んだ映画が今という瞬間に展開するでしょ?
そしたら鑑賞者&主役でもある私はその展開に従って行動なり決意なりするじゃん?
でもその行動と決意と展開はすでに決まってるの。自分で決めることじゃないのよ
そこでメンターたちが口を酸っぱくして言ってる「ふと湧き上がった思いや、こうしようかな、あれがしたいなという衝動」に従うという部分が大事になるの
これって選んだ映画の台本のことなのよ
私らって今に流れてきた映画の台本通りに動くことしかできないのよ、結局。
台本は前もって渡されないし、誰も教えてくれないけど、その瞬間に自分に届くの
だからその「なんとなくこうしようかな」という台本に沿って演じて、同時にことの成り行きを観察する観客であることしかできないの
心がいい気分で楽しめるかどうかを映画監督の「オッケー、いいよいいよ」というOKサインとして受け止めながら、自分が台本どおりに演じられているという確信を得ることで、さらに次のシーンを選択して(望んで)延々それを繰り返すと
あーら不思議、見たかった映画が思いもよらなかった道筋で完成していく。というわけ
今書きながら気づいたけど、エイブラハムがいうシーンごとの意図確認てこのことだよね
今まで何百回もシーンごとの意図確認やってたけど、全く違った観点で捉えていたよ。うん。意図的って無責任に望み乱発するという見方もできたのね。
そして大抵その後、本人にすら意味不明な挙動や奇行が後を追うっていう・・・これで安心して挙動不審に生きることを自分に許せそうな気がする。
なので今から以下のゲーム開始です
やり方:
私たちには見たい映画を選ぶ事ができる
するとその映画は今この瞬間の現実に流れてくる(現れてくる)
なので主役として台本通りにその映画を演じる(衝動やインスピレーションに従った行動をする。あんま考える必要はない。これらの衝動やインスピレーションは台本からの指示にすぎず、それを演じる以外映画を上手く進める方法はないから。)
そして、意図的に次に見たいシーン(映画)を自分で選択していく
見てる映画が気に入らないと気づいたら(つまり少し前に自分の意識が選んだ映画がハズレだった)、律儀にシーンの終わりまで見るとかやり始めた事は最後までとかアフォなこと考えてはいけません。
こっちは人生という時間払って観てやってるんですから、さっさと次の映画(映画って書いてるけど、コントレベルの短編映画だよね)を選択しなおして進むべし。
現場からは以上です