Д50 印象派の雲
特に何がどうということはないのですが
身体的というか感じ方に変化がおこったので、記録しておきます
南の島のバカンスを終え帰ってきた翌日に、いつも通りバイクでツーリングがてらレストランへと向かう途中のことです
そういえばバカンス中は毎日「心の印象と体の感覚」を意識していたことを思い出し
お馴染みの風景の中でもそれをやってみることにしました
見慣れた風景、見慣れた道・・・旅行中の風景と比べて雑然としている印象・・・
ふと、空を見上げてみました
そしてある瞬間、息を呑むほどに斬新というか今までと全く違った空が現れたのです
雲の形も今までの人生で一度も見たことないくらい変な形の雲が次々と目に入ります
なんだこれ・・・
確かに空だし雲なんだけど
表現する言葉が浮かばない。故に思考にならない・・・
でもこの感覚はどこかで感じたことがある・・確か何かの絵で見た時の・・
ああ、印象派の絵だ
多分、印象派の絵を描いていた人たちはごく普通に世界をこんなふうに捉えていたのだと思います
本当にあのねぇ、なんて表現したらいいんだろう
並んだ雲の重さっていうか、底辺の沈み具合や奥行きとか質感のようなものが
未だかつて見えたことのない見え方でそこにあるのです
見え方というか、分かり方というか
そこでその見え方感じ方を雲以外の風景にも応用できないかと試したのですが
それはうまくいかず。
今日はそのことをすっかり忘れていました
そしてさっき、歯を磨こうとトイレに行って鏡の前に立った瞬間
鏡に映った自分の両目に釘付けになったのです
濃い茶色の私の目が、白く輝いています
なんだこれ・・・
茶色い部分がろくに見えないくらい、白く輝いている部分が際立っていました
???
しばらくして、それが目に映り込んだ洗面台だということに気がつき
同時に自分の意識が鏡に映った自分の両目にさらに映り込んだ自分自身とバスルームに集中していることに気がつきました
だからって何かが起こったわけではないのですが
自分の目に映った世界を鏡の中に見るという経験など今まで一度もしたことがなかったので、すごく奇妙な感じだったのです
(映画や漫画のシーンとかではみたことあったけど)
自分の目に映った自分の姿(そこまではっきりは見えません。ちなみに詳細を見ようとさらに明るくすると、映り込んだ自分の姿が見えなくなってただの茶色い瞳と虹彩だけが見える状態に戻ります)に向かって手を振ってみました
小さな小さな私らしき影が、こちらに向かって手を振っていました
そして昨日、雲を見あげた時に感じた不思議な見え方のことを思い出したのでした
もし身の回りの全てがこの不思議な見え方になったら、ずいぶんいろんな事が変わって感じられるのではないかと思います
なんだか取り止めのない、ろくに意味もないような記事になりましたが
50年間生きてきて、こんなにごく普通の日常に「生まれて初めて」な感覚が現れるって、ひょっとしたらすごく大きな変化なのかもしれないので書き留めることにした次第です
不可思議な現場からは以上です