Δ50 ありつつある
えっと
知りたい→質問する→分かる
欲しい→望む→手に入る
の大きな違いは、知りたいの方はすんなり分かるになるけど
欲しいの方は、望んだからってすぐに手に入らないところ
受け取る部分がうまくいってないのは抵抗があるから
疑わないことが抵抗を持たないこと
知ることはすぐ答えが出るけど
他の望みが手に入るまでには時間がかかるし、それなりのプロセスがあるからやっぱり
いつそれが起こるか、どうやって起こっているのか
まーったく知らない状態でただ疑わずに待ってろ。じゃないと叶わないよ
っていうのは難しいよ
私たちの世界では無理やり自分で起こすことができるし、大半の人はそれを実現する方法だって思ってるんだもん。そこから一旦抜け出て違う視点を手に入れようとはしてるけど、一体何を核に信じればいいかが分からない。
分かるはあると同じ
じゃあ、分かるは毎瞬ごとの「動」の部分だから・・・「ある」も毎瞬ごとにあるっていう動きなの?
知ることにはすぐ答えが出て、どうして望むことにはプロセスや時間が必要なんでしょうね
あ、私がそう決めてるから?
これが「望むことが叶わない」の抵抗の部分なの?
望むことが目に見える形になるまでの時間、それに要するプロセスは、それが終わらないと「ある」ではないのですか?
目に見えるものが全て幻想だということを忘れてはいけません
ある、ない は目に見えているかいないか でしょうか
なくなっていく はどうでしょう?
あり始めてゆく はどうでしょう?
私が意識を向け続けることが出来るかどうかが「あり始めてきて、完全に見える形であるになる」かの鍵で
その意識の強さが時間のかかり方に関わるっていうこと
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ここまできてようやく、はっきり言葉にできない理由がわかりました
結局、現象というか状態を眺める形でしかΔからのメッセージを受け取れないからです
そしてそれを私がどう表現するか、どういう見方で捉えるかによって、ソースに横たわっている「完璧な答え」を削るという形でこの世界に一部分を表現することが精一杯だからです
(Δからのメッセージだって私の質問によって、削り取られた完璧な答えの一部に過ぎません)
どうやらチャネリングは数学や物理学と同じように、宇宙の完璧なる方程式を求める行為のようです。
でもそれをしようと思ったら、一言一言の中に膨大な意味を込める必要があります
もちろんそれは出来るのでしょうが、それは最終的には「読んだ人(受け取った人)の数だけ答えが違う」そして「それらすべてが完璧な答え」となるものなのでしょう
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今までのプロセスは楽しかったですか?
うん、そうだね。
じゃあ、同じことを「望む」においても出来るのではないでしょうか
私は望むことの楽しみ方を探してたのかな。
もう少し細かく望むことが鍵です
大局で理解するのは苦手なくせに、望むことはそれしかできてないって、おかしな話だね。
苦手なだけです。別の言い方をすればアプローチがうまく噛み合わなかっただけです
何と?
あなたの本当の望みと
私の本当の望みは?
あ、そうか。細かく知りたいと同じか。
私は自分の望みを細かく知りたいんだ。
じゃあ、望みを細かく知るってどういうことだろう。
手にいれる経験・・・ラッキーと感じる、嬉しい
使う経験・・・スムーズで爽やか
手元にある経験・・・安心感、確信
(↑ 例によって、お金のことです)
今望んでいるのはどれ?
これらの望みはどのタイミングで生まれたの?
使う経験のところ。
じゃあまずは、スムーズから始めるべき。
スムーズな感覚を感じるたびに、それをよく味わってどんなものかをしっかりと体と心で感じて、人間である自分の肉体と精神でよくよく感じてみて。
感じること、味わうことはソースの中にある全てからその気分を削り取って引き出すということ。
それがまず最初の現象化
言葉で表すことが最初の現象化なのと同じ
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最後の方はΔとのやり取りというより、自分の中の質問を探るプロセスと答えが入り混じったものになっています。(最近はこういう状態が多い)