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【論文紹介】MLBの年俸調停を利用したサンクコストバイアスの定量化

 おはようございます、TJです。ちょっとだけお久しぶりですね。まあ四捨五入したら毎日投稿と言っても差し支えないでしょう。唐突に私事ですが、年明けから #Ballgame_Economics の2人 (@nowism_sports@kj_moment) と(ほぼ)週1でスポーツのデータを使った論文のレビュー会を始めました。当初はClubhouseで開催していたのですが、みーはーちゃんなので最近はTwitterのスペース機能を活用しています。その過程で、自分が紹介担当になった論文ぐらいはどこかに記録しておいた方が後学のためになるのではという声がぼくから上がったので、今回は試験的にnoteにまとめてみることにしました。飽きたらやめるかもしれないし、勉強会そのものに飽きるかもしれません。男心と飽きの空って言いますしね。

 まあ面白い話はこれぐらいでいいでしょう、今回紹介する論文はこちらです。横文字が苦手な方は飛ばして下さい。ぼくも苦手なので飛ばします。

Quinn A.W. Keefer,
'Decision-maker beliefs and the sunk-cost fallacy: Major League Baseball’s final-offer salary arbitration and utilization',
Journal of Economic Psychology, Volume 75, Part B, 2019, 102080,
ISSN 0167-4870,
https://doi.org/10.1016/j.joep.2018.06.002.

 以下簡潔に書くため常体で。ざっくりまとめると、

・目的:意思決定における「サンクコストバイアス」の存在を定量化
・手法:分析対象としてMLBの年俸調停制度、及び直後のシーズンの打撃成績を活用
・結果:年俸調停を経て契約を結んだ打者に対する打席配分から、球団側が「もったいない」感覚に引きずられた結果、客観的には非合理的な意思決定を取っている可能性がある

:調停に勝利した=球団の査定より割高な選手には、およそ35.6-45.2打席が追加で配分される

 以下、もう少しだけ具体的な説明をば。

サンクコストとは

 まず唐突に出てきた専門用語について。「サンクコスト」とは、平たく言えば「どうあがいても返ってこない費用」のこと。いわゆる食べ放題サービスに行った時の「元を取りたい」感覚といえばしっくりくるだろうか。

 具体例を考えてみよう。

 XさんはYスタジアムで行われる野球チームDの試合のチケットを購入した。XさんはDのエースであるB投手の大ファンで、彼の先発登板を楽しみにしていたが、あろうことかB投手は前日練習で怪我をして先発を回避してしまった。鬱々とした気分で球場に向かったものの、Dは初回から大量失点で敗色濃厚。イニングが終わるとかなり強い雨が降り始めた。なんとか試合成立までは続行したが、正直今日はこのまま球場に残っても楽しめる気がしない。Xさんは試合途中で家に帰ることを考え始めた。

 さて、この場合、Xさんは観戦を諦めて帰宅すべきだろうか。

試合が成立した以上、チケット代が返ってくることはないのだから、客観的には楽しくもない試合をこのまま観戦し続けるメリットは薄いように見える。早めに球場を出た方が電車の混雑は避けられるし、ずぶ濡れのまま試合を観戦して流行性感冒に感染でもしたら翌日以降にも悪影響がある。家に帰ってnoteでも書いた方がよっぽど有益だろう。

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 ところが、似たようなアンケートや意思決定実験をしてみると、少なくない数の人々が「帰らず試合終了まで観る」ことを選択する。どちらの選択肢を取っても先に払ってしまったチケット代は返ってこないにも拘らず、である。

 このように、選択肢を変更しても戻ってくることのない固定費用のことを「サンクコスト」、これに拘泥してしまったがために客観的には非合理的に見える選択を取ってしまうことを「サンクコストバイアス」と呼ぶ。

 一個人が今日家に帰るかどうかといった些末な意思決定であれば「変わった人もいますね」で済まされる話であるが、一方でこれまでの研究では、このサンクコストバイアスが大きな利益の変動に関わる場面、その道のプロが金銭面での最大化を目指すような意思決定でも起こることが確認されている。損失が出続けている状態で潔く撤退することができない、いわゆる損切りをためらってしまうような行動がしばしば見られるというわけだ。

打者起用における意思決定問題の整理

 このサンクコストバイアスをプロスポーツの文脈で研究しているのがこの論文。ここではセクションタイトルの通り、チームが打者を起用する際の意思決定問題、具体的には誰にどれだけ打席を与えるかというリソース配分の問題を扱っている。

 チームの得点を増やすための最適な戦術が、より優れた能力を持つ打者により多くの打席を与えることであると考えると、例えばチームに同程度の実力を持つ打者が2人いた場合、彼らに配分される打席数はほぼ同じになるはずである。実際には相性などの側面から全く同じ機会が与えられるとは考えにくいが、例えば一方は年俸5000万でもう一方が1000万だから前者を遣う、あるいはその逆が起こるというのは合理的でないと言えるだろう。

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 「高い年俸を支払っているのだからたくさん試合に出て働け」というのは感情論だし、逆に1000万の選手の方が「割安」であるから優先して遣うべき、というのもチームの強化を目指す意思決定とは関係ない。すなわち、「試合で誰を遣うか」という意思決定問題において、既に契約を結んだ選手たちに支払う年俸はサンクコストである、ということが言える。実力的には劣るが、年俸が高い選手をベンチに置いておくのはもったいないという感覚から選手を起用するチームがあるとすれば、それはサンクコストバイアスに他ならないということである。

MLBの年俸調停システム

 スポーツのデータを用いたサンクコストバイアスの研究を行うにあたって、最も大きな障壁となってきたのが「(球団による)選手の実力の評価」が明らかになっていない、という問題である。支払った年俸は現在の実力と関係ないとはいえ、一方でその年俸は球団のその選手に対する評価の表れでもある。選手評価が実際の打席数に与える影響としては、

①評価→打席数
②評価→年俸→打席数(サンクコストバイアス)

の2つのルートが考えられる、ということである。成績の良くない選手が多くの試合に出場していたとしても、それだけではサンクコストバイアスが発生しているのか、実力もあって好待遇を受けていた選手がたまたま成績が出ず苦しんでいたのかが識別できない。①と②が区別できなければ、サンクコストバイアスの影響を正しく評価することはできない、ということである。

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 この問題を解決するためには、その選手の年俸のうち、球団が納得して受け入れた部分がどれだけあるのかを特定する必要がある。そこで登場するのがMLB (Major League Baseball)の年俸調停システム。FA権を取得する前の一部のプレーヤーに行使を許されるこのシステムは、選手と球団の年俸交渉に折り合いがつかなかった時に、選手の成績を客観的に評価する第三者が適正と思われる年俸を決定する制度である。実際に使用されることは多くないが、NPBでも同様のシステムが存在しているため、制度自体は(こんなnoteをここまで読む変わり者の皆さんには)馴染み深いだろう。実はこの調停制度に、「球団による選手評価」を見出すヒントが隠されている。

 MLBが他競技やNPBの調停制度と大きく異なるのは、調停の結果採択される年俸が「球団のオファーと選手の要求額のいずれか一方」に定まる点にある。両者が勝てると踏んで譲歩しなかった場合、調停者は選手もしくは球団の主張を100%支持し、間を取って痛み分けをさせるような裁定を取らないということである。調停者の裁定は絶対であり、提示された額を受け容れずに選手を解雇する、あるいは選手がサインを拒否することは許されていない。また契約年数は単年に限定されており、2年後・3年後のパフォーマンスに対する議論は考える必要がないということになる。

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 年俸調停の裁定を受けるということは、球団も選手も「客観的に見て自身の主張する金額が適正だ」と信じているということであるから、球団の主張する額はイコールその選手の(球団から見た)実力評価である、とみなすことができる。もちろん調停の結果には球団側の主張が通る場合と選手側の主張が通る場合の両方があるから、年俸調停を経て契約を結んだ選手のプールには

・球団が適正年俸で契約した(と考えている)打者
・選手の主張した額が通る:球団が「実力が契約した額に対して割高だ」と感じている打者

の両方が存在する。調停でどちらが勝利したのかは公開されているから、両者に配分される打席数を(年齢等その他の条件を揃えた上で)比較すれば、「割高な選手だから優先して遣わなければ」という球団・監督のサンクコストバイアスの存在の有無を明らかにすることができる、というわけだ。

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推定結果の要約

(モデルや推定方法に興味がある方は元論文を読んでみて下さい)

 MLBで1974年から2015年までの42年間で起こった延べ274打者の年俸調停のデータを利用して、サンクコストバイアスの特定を試みる。調停に勝利した選手と敗れた選手の個人成績や年齢といった属性には大きな差がなく、特定のグループの選手が特に年俸調停で支持されやすい、といった傾向は存在していないことを確認している。

 年俸調停での結果(選手が勝利したか否か)を操作変数として、選手の年俸が配分される打席数に与える因果効果を推定した結果は以下の通りである。

・年俸調停に勝利した選手の年俸は、平均して39.2%、2015年の貨幣価値にして平均$550,000程度高くなる。

・年俸と配分される打席数の相関関係から、年俸調停に勝利した選手は翌シーズンの打席数が36.2-43.6増える。
※推定された値は年齢や前年のオールスター出場、シルバースラッガーなどのタイトル獲得歴をコントロールした値である。すなわち、これらの属性が全く同じ選手であっても、調停に勝利して年俸が上がるだけでより多くの打席を配分されるようになる、ということである。

 以上のことから、筆者はMLBの球団や監督が、選手を起用する際に支払った年俸を参照しており、同じ実力の選手でも高い選手により多くの打席を配分している、すなわちサンクコストバイアスに影響された意思決定を行っている、と結論付けている。

感想

 以下、 @11_tjr の感想。

 労働者(選手)のパフォーマンス、あるいは今回のような機会の配分が成績指標の形ではっきり観察できるのはスポーツデータの強みであるが、一方で数字に表れない「実力」を測定することの難しさは一般的な労働市場のそれと同様である。年俸調停を利用して、通常観察できない「同じ選手が高い/低い年俸を受け取った場合」のデータを疑似的に作り出す手法は非常にユニークで、今回の研究対象であるサンクコスト以外にも様々な研究に応用できる可能性がある。

 個人的に興味深いと感じたのは、選手と契約を締結する球団の意思決定と、実際に選手の起用決定を行う監督のそれとが密接に関係している可能性があるという点。現場で指揮を執る監督の意思決定に選手の年俸が関連してくるということ自体が驚きだし、監督自身が選手に年俸を支払うわけでないことを考えると、サンクコストとして機能する要素としても弱い気がする。契約で起用を縛れるという可能性を差し引いても、いわゆるフロントの意向が選手起用に介入していることは間違いないとも言えるだろう。これを応用すれば、サンクコストバイアスの大きさから、チームごとにフロントの現場への介入度合いの大きさを測定することも可能になるのではないだろうか。

 今回は以上です!今後も気が向いたらレビューnote?みたいなのを書いてみようかと思います。

Refs

Quinn A.W. Keefer (2019). Journal of Economic Psychology, Volume 75, Part B, 2019, 102080, 
Arkes, H. R., & Blumer, C. (1985). The psychology of sunk cost. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 35(1), 124–140.
Arkes, H. R. (1996). The psychology of waste. Journal of Behavioral Decision Making, 9(3), 213–224.

おまけ

 5月12日は奥田民生さんのお誕生日です!おめでとうございます!!56歳ですか。ぼくが『無限の風』と『オーナーは最高』を聴いてハマったのは彼が43ぐらいの時なので、かれこれ15年は聴いていることになります。15は盛ったわ。ライブ行きたいですね~。

#最近の学び #野球が好き #spoana #野球

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TJ
貨幣の雨に打たれたい

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