見出し画像

今よりもっと心地よく楽しいオタ活をしたいなら

最近オタクでない一般の方々から「オタクって好きなものや夢中になれるものがあって、なんだか毎日楽しそうだね」といった内容のことを、直接言われたり、そのようなやり取りをしたというSNSでの投稿を見かける機会が増えた。
このオタク全盛期の真っ只中に、大好きなものがあって、思う存分オタ活に励むことができる。
現代のオタクたちは、わたしを含め、みんなこのうえなく幸せだと思う。
しかしながら、物事に裏と表があるように、万物に陰と陽があるように、やはりオタ活にもそれらがある。
『オタ活=全てが楽しい』かというと、もちろんそんなことはない。と、少なくともわたしはそう思っている。
というのも、わたし自身、オタ活がしんどくて空しくて、全然楽しくないと感じてしまう時期があったからだ。だが先に言っておくと、楽しめている今と楽しむことができなかったその時期で、やっていたオタ活の中身、その活動の内容自体は、ほとんど変わらないのである。

さぁ今日もここから深堀りしていこう。

まずはじめに、わたしは「幸せ」と「楽しい」は違うものだと考えている。
幸せは『気づくもの』
楽しいは『感じるもの』

わたしにとって、オタ活はいつだって幸せなものだ。
上記をふまえてもっと正確な言い方をするなら、オタ活からはたくさんの『気づき』をもらえるから、オタ活に励むときはわたしは常に幸せな状態にあるといってもいい。
対して『楽しい』はちょっと違う。
例えば同じように同じ作品のアニメを観賞していたとしても、その時間を楽しいと感じられる時と、そう感じることができない時がある。
見ているものは全く同じ。では違いはなにか。それは『自分自身』にある。

したがって本日の記事の結論は、
『オタ活を真に楽しむためには己を知ること』がとても重要になるということだ。

一つの作品、あるいわ複数の作品に対して己の愛と情熱を全力で傾けるアニオタは数多くいる。
前回の記事でオタクに明確な定義はないといったが、もちろんオタ活にもそれは当てはまるし、主流のようなものはあっても正解も不正解も存在しない。
そればかりか、同じ作品を好んでみていたとしても、それぞれの認識、趣味嗜好によって、その作品やキャラクターたちに対しての思いや解釈が、まるで異なってくるのである。それはいわゆる公式と呼ばれるものでさえそうだと、わたしは考えている。
加えてアニオタ独特の文化とも呼べるものが、その作品に関連したイベントへの参加の有無、グッズなどの収集、つまりコレクション問題。(特にこれにはお財布事情が関わる)
これらについて個人がどのように思い、どのように感じ、受けとめ捉えているか。こういったそれぞれの持つ価値観が背景となって、実に様々な考え、意見や言い分から、特にSNSでは時に論争が巻き起こったりする。
他者のある発言によって不快な思いをしたり、あるいは自分が勝手に他者と比べて卑下して落ち込んだり。または自分のもつ価値観や思いを自分自身で大切に尊重することが難しくなったりして、正解のようものを求めて苦しむ…といったことがしばしば生じることも。
このようなことが要因となり、本来幸せで楽しいはずのオタ活に、酷く疲れてしまい、徐々に楽しさを見出だすことができなくなり、心が満たされなくなっていく場合がある。
正にわたしは上記のようなことを経験し、当時はひどく疲弊してしまい、オタ活が楽しくないものになってしまった。
だが、ここでわたしは原点回帰した。
己と向き合うことで、再びオタ活の楽しさを思い出すことができたのだ。
とまぁ、少し大袈裟な表現になってしまったが、ここでもう一つ。
そうはいっても厄介なことに、必ず気まぐれに楽しい、楽しくないは巡ってやってきてしまうという事実を付け加えよう。
わたしは
『オタ活を真に楽しむためには己を知ること』がとても重要になる
といった。

ここでポイントとなるのが、『真に楽しむ』だ。
真に楽しむための前提は、『己を知ること』
そもそもここでいう『己を知ること』とは、なにを指すのか。

これは言い換えれば、自分で自分のことを知っているかどうかを表している。

あなたが今好きなコンテンツがあったとして、あなたはそれのどんなところが好きか?
そしてどんなところが苦手か。
この問いかけにすぐに答えられるだろうか。

例えばわたしの場合だと、
わたしはアニメやマンガが大好きで、アニメオタクだ。
しかし声優業界のアイドル化のようなものや、声優さんがメインで開催されるようなアニメの配信やイベントはあまり好きではない。
にも関わらず、だ。
以前のわたしは、このような声優さんがメインとなる配信やイベントも、自身のオタ活のなかに組み込んでいた。というか、「好きな作品のイベントだから」、「配信だから」という理由で、見ることや参加することを自分で当たり前のように思い、興じていたのだ。
結果、終わったあとになんとなくモヤモヤした感情を持ってしまったり、それらを好きなファンの人たちとの熱量の違いや、価値観や解釈の不一致を感じ、やるせない思いを抱えることが多かった。

そこで原点回帰したわたしが思いきってやったこととは、『止めること』だ。
その作品が好きなことに変わりはないが、その作品にまつわる全ての分野が好きなわけではない。

アニメオタクだからアニメはほぼ毎日のように見る。キャラクターに声を、命を吹き込んでくださる声優という仕事は、すごく夢のある素敵な職業だと思うし、なんなら好きな声優さんだって何人もいる。ただそれとこれとは、わたしのなかでは別物なのだ。
こういったことを一つずつ、地道にゆっくり変えていった結果が今なのである。
今のわたしは、とても心地好い状態でオタ活に励むことができるようになった。楽しいのはもちろん、なにより心が穏やかでいられるのだ。

わたしは、わたし自身が苦手なことやキライなものと距離を保つという術を身につけることができた。
これはオタ活に限った話ではないが、自分を不快な思いにさせるものは必ず存在する。しかしそれをこの世からなくすことはほとんどの場合、できないだろう。
だからこそそれはそのまま放っておく。ただ自分とはちゃんと距離をとる。最近、これができればたいていのことは上手くいくのではないだろうか、と思うくらいに有効に感じている。
ただいかんせん、世の中的にこれはそう簡単なことでもないようだ。

少し話が逸れてしまったが、自分を知ることはオタ活のより良い充実につながることは間違いないと思う。
そして最初の取っかかりは、その大好きな作品やコンテンツを通した自己分析から始めるといい。
自分はこの作品のどんなところが好きで、どんなところにどんな風な魅力を感じているのか。
登場するキャラクターは好きか。ストーリーは面白いと感じているか?
イベントはひとりで行きたい派か、それとも友だちとわいわい楽しみたい派か。はたまた作品は好きだけどイベントにはさほど興味がないタイプか。
そんなことを自分にひたすら問いかけていくと、今の自分からは見えない、味わうことのできないレベルと深さで、もっと最高に満たされたオタ活ライフを送ることができるようになるはずだ。

ここまで長々と語ってきてしまったが、わたしもまだまだ未熟者。
今でも楽しくないときはあるし、オタ活によるストレスがないわけでもない。
でも以前よりオタ活によってイヤな思いをする機会は格別に減ったし、満たされていると感じることが増えたのもまた素晴らしい事実だ。
なにより以前ならやるせない思いを抱えていたであろう場面で、「トライアンドエラーの失敗になるパターンの情報を集められただけだ」と感じられているのは、個人的にとても大きな違いだ。
失敗なんていくらでもしたらいい。その先にもっと素敵なものが待っているのだから。
というわけで、また別の機会に、先日行ってきた残念すぎたわたしの人生初の応援上映の話をしよう。

最後に、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
あなたのオタ活ライフがもっともっと素晴らしく楽しい尊いものとなりますように。
さぁ、今日もオタ活ライフを楽しもう♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?