春の話
三月
幼馴染の弟が亡くなった
彼は障害者で、元々長く生きる事が難しかった
姉である幼馴染とは、四年前に喧嘩別れをし
そのまま音信不通になっていた
弟さんの訃報は実家の母から聞いた
母には後日伺う旨を伝えた
幼馴染はいわゆるキョウダイ児という人で
家や家族の為に自分を犠牲にしてきた人だった
幼少期の育成環境のせいか、感情が幼いというか、愛情に過敏な人で、素直だけれど無償の愛を欲しがる人だった
よく喧嘩になった
コミュニケーションがチグハグで
不安が強くて、いつも同じ本を読んでいた
〝今朝こんな夢をみた。弟にお嫁さんができて、彼女が一生弟さんを支えます。と言う。わたしは本心では弟を負担に思っているのかもしれない。〟
そんな話を昔に聞いた
〝わたしは弟の面倒をみなくてはいけなかったから、家に遊びに来てくれるが嬉しかったよ。〟
と、ずいぶん大人になってから言われた事もあった
弟さんとはコミュニケーションが取れてるのかわからなかったが、幼馴染が〝認識してる〟と言ってくれたので、それをそのまま信じた
わたしが障害者というものを身近なものとして感じていたのは、彼の存在が大きい
障害者という前に、彼は幼馴染の弟だった
亡くなったと聞いて
よく頑張ったな、という気持ち
とうとうか、という気持ち
でもそれ以上に、姉の彼女がどうなるのか心配だった
不自由な状態から急に自由になると、
空虚になってしまったり
取り戻せない自分の人生のことを考えたりするんじゃないかって
弟のことと合わせて、自分の人生も振り返って、
混ぜこぜにして悲しくなってしまうんじゃないかって
そんな事を考えた
後ほど母から聞いた、彼女が私に謝りたいと言ってた、と、
昔、ひどい事を言ったと、
わたしも、謝りたい事がたくさんある
こういう話、現実であんまりできない
うまく説明できないし
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