いじる と いじめる
「め」の1文字で随分ニュアンスが変わると思いませんか?
ある《いじられキャラ》の親子がいます。
私はすごく違和感と憤りを感じています。
大人も、一緒になってその親子のことをバカにしたような発言をしたり、笑いのネタにしている。
いじられた側の親子は、怒るでもなくやり過ごしているような感じ。
いじられた側が何も反論したり反応しなかったら、何を言ってもいいのでしょうか?言われた側の気持ちを慮ることはできないのでしょうか?
さて、ここで私がどのような態度をとるか。
A)周りの目を気にしてみんなと一緒になっていじる側に立つ。
B)その会話に混じらない。フラットな気持ちで誰とでも接する
C)いじってる側に、「いじられてる側の気持ちも考えてみてはどうですか?あなた方のしていることは、いじめではないですか?子どもたちも真似しますよ。」と意見する。声を上げる。
D)ユーモアとエルダーシップで、当事者自らに気づきを与える(抽象的な表現なのは、自分の中で具体的なアイデアがまだ思いついていないから)
昔の私はAでした。
でもAだったからこそ違和感や居心地の悪さ、自分を否定する気持ちがまとわりつくことを知っています。
今の私はB。心の中ではC
理想の在り方はD
いじられキャラ
いじる
いじられる
いじめっ子
いじめる
いじめられる
め がないだけで言葉の深刻さがなくなります。
他人の心をみる《目》もなくなっていませんか?
と言いたい。
コーチングを定期的に受けるようになってから私の在り方beingがクリアになっていく感覚があります。
私なりのbeingで日常を過ごすことを大切にしたいです。