Kobe Bryant
率直な思いをただ残しておきたいから、将来の自分の財産になると思うから文体とかお構いなしにとりあえず書き殴ります
コービーがいたから今の僕がある。小学校に上がる前、ちょうどその頃にたまたまテレビでLakersの試合のハイライトが流れていた。
一際点を取りまくりチームを鼓舞するスーパーエース コービーブライアント。それを見てバスケかっこいい!といったことがきっかけで祖母が地域のミニバスチームを探してきてくれた。
毎朝早起きして体育館に一番乗り。ひたすらバスケの練習に打ち込んだ。小学2年生の頃から6年生が試合をしているのが羨ましくなり内気な僕がちょくちょく頼んで入れてもらっていた。そんなこんなの朝昼晩バスケ漬けの毎日。
そして僕には同級生のライバルがいた。その子も小学生にして僕に負けず劣らずのNBA大好きマンだった。一度もクラスは一緒になっていないのに毎日毎日10分休みはトイレに集まってNBAの話をしていた。バスケの実力もちょうど同じくらい。彼が好きだったのはニューヨークニックスのアルハリントン。そして僕はロサンゼルスレイカーズのコービーブライアント。小4の頃から3年間毎日1on1をした。毎日得点表を作って戦っていた。
2010年 8月24日
コービー ハリントン
38点 39点
的な感じで。お互いが好きな選手の名を背負って毎日朝昼晩1on1。「今のシチュエーションのスリーあの時のプレーに似てるよな!」とか「あと10秒でチャイムが鳴るな…俺はコービーだからクラッチタイムに強いぞ?」とか言いながらひたすら1on1。
僕とその子の2人ならマニアックNBAクイズ大会とか多分優勝できたと思う。それくらい全てをバスケ、NBAに費やしていた
中学高校もバスケ部でNBA大好きなのはもちろんだった。レイカーズは暗黒期に入ってしまったけどほとんどの試合を見て、コービーがアキレス腱を切った時とか、怪我をした次の日の練習はズタボロ。レイカーズが負けると気分も悪くなる。そんなGold&purpleに染まった中高の生活だった。
携帯使用が禁止の高校でコービーの引退試合を泣きながら机の下で見た。
Mamba OUT.
で完全に涙腺は崩壊。セルティックスから送られた「I hate you」のメッセージ見てまた号泣
部活前に60点見た!?やべぇよな!まじでかっけぇよ…って涙を堪えながら騒いだのもよく覚えてる
コービーが引退した後は将来有望な若手選手を集めてキャンプをしたり、子供にもバスケを教えたり。彼のMambaMentalityを尊敬し、憧れその魂を宿すバスケットボールプレイヤーはこの世界に五万といるとおもう。カイリーアービングや、デビンブッカー、デマーデローザン、トレイヤング、そしてレブロンジェームズ。
レブロンの背中にコービーの影を重ねて優勝を思い描いた。今年こそは優勝できるんだ、ステイプルズセンターのコートサイドで娘と観戦して笑顔で優勝を見届けて欲しかった。レブロンとシェイクハンドを交わして抱き合って。レブロンも引退した後にバスケットボールの歴史に永遠のライバル 2人のG.O.A.Tとして名を刻んで欲しかった。2人とも殿堂入り選手としてコートサイドで観戦して欲しかった。ガーネット ダンカン コービーで肩を並べて笑顔で殿堂入りしてほしかった。レブロン コービー ジョーダンで肩を組んで写真を撮って欲しかった。
遠く海外の小さな国のちっぽけなLakersファンの叶わぬ妄想だけど、全部あと5年10年経てば全て叶う事だった。大人になっても「やっぱコービーかっけぇな!俺のヒーロー、恩人の背中はかっけぇな」って言いたかった
骨折しても靭帯断裂してもアキレス腱を切っても立ち上がりエースとはなんなのか、バスケットボールを愛するということはどういう事なのかを体現し続けた彼がこんな呆気なく、誰も責めることのできない事故という形でなくなってしまった。
本当に悲しい、悔しい。こんなに泣いた日は人生で生まれた日以来だと思う。
無力感、喪失感が全く抜けないけど、コービーなら「バスケットプレイヤーは下を向くな。ゴールを狙え、バスケは常に上を向くスポーツだ。泣く暇があったら自分を高めろ」とか言うんだろう。
だから色々吐き出したしもうこれで終わりにする。
Gold&Purpleの血が流れているMambaMentalityを持つ男がいつまでも泣き言を言ってちゃダメだ。彼のように強く逞しく人生を無駄にしないように色々なものに感謝して生きようと心の底から誓った。
この世にいなくても、やっぱりコービーブライアントは僕のヒーローだ。
Mamba Out.
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