パチ屋の交友が いとも簡単に崩れ去る理由(その2)
当時、私の職場は大阪市内だったが、もう一つの稼業であるパチに関しては、甘い店を探してあちこち点々とすることになった。特に東大阪や堺市内のパチ屋にはよくでかけた。そういった「出先」で顔見知りのプロと偶然出会うことは珍しいことでなかった。
お互いにもう気心は知れているので、そういった場で、「今日はこちらですか。江坂の店、ダメなんですか?」といった会話があり、電話番号やアドレスなども自然と交換するようになっていった。
当然ながら、そういった交流は違った交流を生み、一つのグループが出来ることになる。
プロは基本的に紳士 だが…
今になって思い出しても、当時知り合いだったプロたちは皆大人で紳士だったと感じる。ようは、お店や客同士でのトラブルを極力避け、金を持って帰るということだけにコミットしていたわけだ。
もっとも、先の記事で書いたように「腐った連中」も多く存在した。そういった人とはそもそも付き合わないし、相手だって私のことを良くは思っていなかっただろう。ここでお話するのは、真面目なプロたちのことである。
「真面目なプロたち」は早朝から並び、昼飯を食べる時間も惜しんでリールを回し、「昨夜は、9000回少し回しましたが結局…」などと、しゃぁしゃぁと話す。根性もなく中途半端な立場の私は、そういった話を驚愕の思いで聞いていた。「オレには無理だ」と思いつつ。
自分の領分を守り他人の領分に割り込まない。酒席でも崩れず、節度がある。言葉遣いも丁寧で情報収集もマメで、相手の話にちゃんと耳を傾ける。一般社会なら、かなりの優等生である。違うのは、彼らがパチンコというバクチを生業として喰っていることだけで、その他は全く違和感など感じない。
そういったプロが少なくとも、5人くらいいた。ところがこの私は、そういった人たちと長くお付き合いすることができなかった。なぜか?
「飛ぶ」の意味
付き合いがなくなってしまう理由は、主に2つある。1つ目は、突然音信不通になるというものである。実際は、これが一番多い。ようは「飛んでしまう」わけだ。2つ目は少ないケースだが、ケジメをつけての廃業である。プロのケジメについてはまたの機会に書くとして、今回は飛ぶことについて書いてみたい。
携帯に電話したら、「この電話番号は現在…」もしくは「この電話番号は、お客様のご都合で…」云々といったアナウンスが流れ、飛んだことが明らかになるのである。
少しばかり脱線するが、ここであなたに、「飛ぶ」という現象について私の経験と持論をお話しておきたい。
飲食業などでもちょくちょく使われる、「飛ぶ」という言葉は「どうにもならない状況になって行方知れずになる」と解釈して良いだろう。事情は様々あれど、彼らはそれなりの理由でそれなりの覚悟を持って、「自ら消える選択」をしたわけである。
私はこれまで飛ぶという経験をしたことがない。だから飛んだ人の気持ちがわからず、何度か失敗を犯した経験がある。
そのうちの一つは、「飛んだ人を執拗に追いかけた」ことである。あのとき、私はとあるところで知り合った女性から、一つ相談を持ちかけられていた。パチ屋は関係ない。
「片親で娘を抱えて暮らしていくのは大変だけれど、就きたくても仕事がない」そう涙ながらに打ち明けられた私は、彼女の職探しを始めたのだった。確かに当時は、就職難であのような条件の女性が就職するのは難しい時代だった。
得意先を回りいろいろな方に頭を下げて、彼女の職を探して回った。そしてようやく目処が立って彼女に連絡を取ろうとしたら、電話が繋がらない。私はいたたまれない気持ちになった。
そして私はしてはならないことを犯してしまった。彼女の家に直接出向いたのである。これが今考えても、本当に恥ずかしく情けなく、またほろ苦い経験なのだ。(続く)
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