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今の時代… 女性にヘタなこと言うたら、あんたエラい目に遭いまっせ

近頃、同性の友人と話をすると男と女の話題になることが多い。といっても、SEXであるとかジェンダーとかそういった性の仕組みや違いについての話ではない。

はたまた、男女共同参画など社会政策について真面目に議論するということでもない。話題になるのは、「エラい時代になったなぁ。」ということだ。

「物言えば唇寒し秋の風」とは昔から言われることだが、昨今は少し様相が異なる。女性に対しての発言が嵐を呼び、秋風どころか北風となって身に襲いかかるのである。

TwitterのリツイートやFACEBOOKの「いいね」だって批判や訴訟の対象になり始めた。訴訟ビジネスなんて言葉まで出てきたくらいである。こういうのは、アメリカのダメな部分ばかり受け継いだという感がある。

「ヘタなこと言うたら、あんたエラい目に遭いまっせ」まさに、この言葉が今の世の中にはピッタリだ。いやー、索漠とした時代になったもんだと思う…。

ということで今日は、昨今叫ばれている男女同権についてチクリと書いてみたい。

オッサンだって満員電車は怖い

実は今も私は原稿を書きながら、「怖~い批判」や「ディス」などが来やしないかとビクビクしているのだ。本当のところ、女性にかかわることを書くのが恐ろしい時代になった。今は、当たり障りが無いことしか書けない雰囲気の世の中なんである。

執筆に関してはもちろんだが、普段の言動や電車内での行動なども、本当に気を遣う。例えば私は、女性をその人の名前以外で呼ぶときは、できる限り不快感を与えないため「あなた」を使っている。

こちらから、プライバシーに触れることも一切しない。粧し込んだ女性に、「おっ! 今日はこれからお出かけかい?」なんて聞こうものなら、不愉快そうな顔で「ほっといてください」と言われるかも知れないからだ。

それと私はできる限り満員の電車は利用しない。これにはいくつか理由が有るが、車内の窮屈さ以外に大きな理由が有る。それが痴漢のえん罪である。

聞けば、突然手首を掴まれて「この人、痴漢です」と叫ばれたら、仮に自分が痴漢行為をしていなくても、ほぼ逮捕されることが確定するのだという。そうならないための対策もWEB上には落ちているが、結論からいえば身分を証し「やっていません」と言いながら後ずさりし「粛々とその場を離れる」しか無いというのだ。

後ずさりなどしたら逆に疑われそうなもんだが、逆に堂々と応対して駅員室に連れ込まれようものならまずアウト=逮捕だという。

その場で両手を挙げ、「今すぐ私をDNA鑑定してくれ」と叫んで最寄りの警察に行くという方法も書かれていたが、相手に手首を掴まれたならその方法も通用しない。つまり、「潔白を証明する方法など存在しない」といえる。

私は以前に、そういった現場に居合わせたことがある。突然女性から痴漢行為を問い詰められた男性は身振り手振りを交えながら堂々と、「私の手は、右側にありました。あなたは、そこに居たんでしょ? 誤解ですよ」と言っていたが、女性は納得しない様子だった。その男性の手には大きな紙袋が提げられていたことも思い出す。

確かに私が見る限り、女性の位置と男性の位置は少し離れていて、体に触れるには無理というか不適な場所であった。事実はどうか分からないが、もしも人違いだったとしたらとんだ迷惑である。というか、ヘタをすればその人は社会的に抹殺されかねないのである。

だから私は仕方なく満員電車に乗るときは、必ず両手でつり革を持ち荷物は全て肩からかけるようにしている。それほどまでに、今や女性という存在は疑わしく怖いものなのだ。鉄道会社に対し、女性と男性の車両を完璧に分けることを切に願いたい。

勿論、変質者が居るからそういった事態になるのだが、私はこれまでに2度女性から痴漢行為を受けたことがある。変質者は男性ばかりではない。これは事実だ。

付け焼き刃の男女同権はダメだ

そればかりか、ハニートラップや証拠のないデートドラッグの使用容疑などで有罪の判決が出たり慰謝料を請求されたりといった事例が後を絶たない。男性と食事をしホテルに同行して仲良くなったのち実名まで晒され、「レイプされた」と訴えられたケースも過去にはあったと記憶している。

いや実際のところ今後は、女性と親しくなろうとするとき、携帯電話の録音機能をONにして、「私はこれからあなたと…、思います。同意・許可していただけますか?」云々と問いかけ、相手がOKした声を録音しないと安心してムギュできなくなるかもしれない

こういった話を聞くと、「ああ、ますます男女間の距離は離れていくんだなぁ」とガッカリした気分になってしまう。今の世の中の風潮は、「とにかく、男性側が悪い」で済まされてしまう事が多い。世の女性たちも、このような風潮で良いと考えているのだろうか? 「あんた方、男でしょ? あんたたちで考えて何とかしなさいよ!」でいいのだろうか?

私はそういった風潮が、逆に女性達を生きにくくし苦しめる結果をもたらすように思う。

知り合いの教授が話していたが、例えば教職が学生と懇談する際、相手が異性ならば研究室や懇談室のドアをわざと開けておくことが大切だという。そういった行為は、自らの潔白を証明するという目的だけでなく、「いつ自分をハメにかかるか分からない」という相手への牽制と不信感のエビデンスでもあるのだ。

でも、これって良いことだろうか? 女性のみなさん、今まさに世の男達はあなたのことを信用しなくなってきているのである。 寂しくはありませんか? 

あたかもハリネズミのように、お互い距離を取り合わないと傷つけあってしまって仲良くなれない。こんな有様じゃ今、着々と進められている男女同権なんて、全く付け焼き刃ではないか。私は断じて、そんな社会が我々の理想郷だと思わない。

だから今叫ばれている「管理職を40パーセント以上に」とか、「できるだけ女性の大臣を重用」とか、「理事の人数を増やして女性を理事を11人追加した」とか、本当に姑息なその場しのぎだと思う。こんなの根本的な対策を考えずに、ただヒステリックな内外からの声に屈して、無責任に女性にポジションを押しつけているに過ぎない。

少し話が逸れるが、今回の騒ぎの発端は「わきまえない爺さんが、『わきまえなさい』と言った」とか、「女たちはとかく時間がかかる」といった某スポーツ協会のエラいさんの発言が発端だったと思う。女性理事の数を増やすこととはあまり関係がなく、またそれで問題が即解決するとも思えない。正直いってそんなことをしても利権者を増やして、我々国民の血税を垂れ流すだけである。

女性に仕事やポストを任せるには、それなりの理由が有って当然だ。また同時に、女性で無いとできないことが世にたくさん存在することも事実だ。無理矢理、女性にシークレットブーツを履かせて丸投げするのは、男として最も卑怯な方法だと私は考えるのである。

これからは本当の意味で男女が手を取り合って、お互いが幸せに生きられる道を模索する必要があるのではないかな?

繰り返すが、付け焼き刃の男女同権はダメなんだ。(奥井 隆)

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