パチ屋の交友が いとも簡単に崩れ去る理由(その1)
私はパチンコを高校2年生から始め、それから30年近くの歳月やり続けてきた。本当に無駄な時間を浪費したと感じるが、その間に人生の甘さも塩っぱさも辛さも酸っぱさも全て経験した。今になって、当時の交友について思い出すと感慨深いものがある。
長い期間パチ屋に入り浸ると、当然ながらそれなりの交友が生まれる。全盛期ではパチ屋関係の知り合いだけで、おそらくだが20名以上は居た。
だが、今、それらの人たちの中で連絡が付く人はごく僅かである。そして交流がある人となると、もう一人も居ない。
メンバーの内訳
パチ屋内の交友について書く前に、少しだけ「かつてのメンバーの内訳」について書いておこう。
同業者がそのうちの8割 同業者とは、いささかでも腕に覚えがあってパチ・スロで喰えている人たちだ。日常的に情報を交換したり連絡を取り合ったりし、親しい仲間なら定期的に交流会なども行った。
以前に記事で書いたことがあるが、数名で忘年会を開いて全員がその年度の成績を報告するという催しさえあった。戦績はもちろんだが、その席でもっぱら話題となったのは来たメンバーの顔ぶれである。
つまり、「今年は、●●来てへんのぅ」とか「ああ! あいつチンコロされて、半年前に飛んだがな」とかいった塩梅である。
勿論だが凌ぎが悪くなって廃業したり、勝てなくなってメンツが立たず来られなくなったりした者も多く居た。ようは毎年、そういった寄り合いに来られるかどうかが、腕前の試金石だったわけである。
今になって考えれば、そういった寄り合いがよく存続できたものだと驚くが、実際に喰っている者が居た時代でもあった。
プロの資質
まあ、いろいろな人達があの業界に関わり、そしてコッソリと甘い汁を吸っていた。
夫婦の流れプロ
子連れプロ
女流プロ
兼業プロ
主婦プロ
私が知っていた夫婦のプロはいつも同じ店で行動し、開店から閉店時刻の30分前まできっちりとホールで過ごした。生活は質素で、馴染みの寿司屋の店主が、「あの夫婦、ほんまに質素ですわ。店に来ても巻き寿司しか注文せえへん。それで話題ゆうたら、全部パチンコのことばっかりや…」と呆れていたことを思い出す。
当時の知り合いで特に印象に残っているのは、赤子を連れてパチ屋に来るプロである。冗談抜きに、彼は子供をあやしながらパチンコ台に座り、誰よりも多く出した。
ヒモを養うためにプロをやっている女性もいたし、列記とした主婦のプロだっていた。ようはプロの資質など簡単なのである。ホールから金を持って帰れるかどうか、ただそれだけなのだ。
だが私が今、そういった人たちと交流することは全くない。なぜそうなったのか、その理由について色々と考えてみたが結論は一つである。
パチ屋の交友は、たった一つの理由でいとも簡単にぶっ飛ぶのだ。(続く)
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