酒池肉林(ギャンブル依存症と私 その7)
金銭感覚のズレは一瞬で起きるが、これを治す為に人生の大半を費やすこともある。
ギャンブルに依存した人たちは、ちょっとしたことがきっかけでコントロールを失い、たいてい金銭問題を引き起こす。
依存症ギャンブラーにとって、依存するのは瞬間という場合が多い。つまり、何かがきっかけで依存のトリガーが引かれるということである。
トリガーとはビギナーズラックであったり、逆に悔しい負けであったりすることが多いが、いつの間にかゆっくりと引き金が絞られていくケースもある。
そういったものを習慣性依存とボクは呼んでいるが、長年し続けることでバクチすること自体が習慣になってしまうのだ。
ボクの場合は、何かきっかけがあったからパチ・スロに依存したのではない。テーブルポーカーというバクチに溺れてから、パチ・スロにも依存したと思われる。
依存したのはこれらだけだ。同じギャンブルであっても、公営ギャンブルはしなかったし、麻雀に溺れることも無かった。
カジノでルーレットやカードをやったこともあるが、退屈なだけだった。依存症ギャンブラーというのは不思議なもので、依存するギャンブル(種目)が決まっている場合が多い。
ちなみにタイトルの「酒池肉林」だが、決して「美女を侍らせ、ドンちゃん騒ぎをする」という意味ではない。「特異な狂宴」のたとえとして、この言葉を用いただけである。
『中国の古代王朝である殷の最後の王である紂王が酒を池に満たし、肉を木の枝にかけて連日連夜遊び暮らしたという故事に由来することば』らしい。
勿論、これはバクチという要素を含まない言葉でもある。
メンツの資質
「あやー、また大きいのに振りこんだっぺ! 今日はツキが無いんだなや~」
そんなことを言いながら、メンバーたちはいかにもマージャンを楽しんでいるようだった。その様は、その辺の雀荘で見かける商店主や会社員連中とあまり変わりなかった。
ただ違っていたのは、やっている勝負のレートだった。考えて見れば、当時の会社員の年収くらいの金額を一晩でやり取りしていたのだ。
ボクは自分がどんな勝負をしたか、全く憶えていない。ただ一つ記憶にあるのは、不思議なことに勝ちもしないし負けもしなかったということだけだった。
つまりその時のボクにとっては、レートが高かろうが安かろうが損得勘定は殆ど関係なかったということだ。今考えても、このことは奇跡だと思っている。
だからこそ、その次に誘われてもキッパリと断れたし、自分でも深みにハマらなかったのかもしれない。勝った金を懐にねじ込んでいたら、誘われたとき、「前に、たくさん勝ったっぺ!」などと言われて、またやらずにはすまなかっただろう。
その時、そこでボクが驚いたことがある。それは彼らの金銭感覚のことだった。それだけ大きな勝負をしているにもかかわらず、彼らは誰一人として動じる様子など無かった。
勝てば素直に喜び、負ければ悔しがりしばし悲しむ。ただそれだけのことだった。アツくもならない。ボクは自分がイメージしていた、目を血走らせた博徒の真剣勝負でなかったことが意外だった。それが彼らメンツの資質であり素顔だった。
ボクは学生の頃からマージャンをし、千点50円のマージャンでも必死になってやった。ある意味、命がけでやった。あの頃の我々にとって、ハコになった時の1500円はかなりキツかったからだ。
当時、学生マージャンは意外とレベルが高かった。フリーの雀荘で他の学校の学生と対戦することもちょくちょくあった。当然、アツい勝負も多かったといえる。
出前の中身
半チャンが2回終わった時に、休憩となった。時刻はもう夜になっていたのだろう。通常、マージャンをやると完全に時間の感覚が麻痺してしまう。もしあなたがマージャンをするのなら、身に覚えがあるはずだ。
そうこうしているうちに、着飾った女の子が4人部屋に入ってきた。彼女たちは、愛想を言いながら横のテーブルにグラスを並べ手早く水割りを作った。
そしてまた勝負が始まると、既に到着していた寿司桶からトロだのアワビだのイクラだの、希望するネタを箸で食べさせてくれた。
ボクの横にも、当時のボクと同い年くらいの女の子が付いた。タバコの火付け、おしぼり、酒のおかわり、顔の汗拭き。社長がボクの顔をチラりと見て、悪戯っぽく笑った。
なるほど! ベッタリと、いわばギャンブラーの完全介護ってわけだ! 自分でするのはトイレに立つことぐらいだった。
何のことは無い、社長はスナック1件まるまる出前したわけである。ここまでやる人が居るものかと、ボクは恐れ入った。
一人づつ横に女の子が付いたまま、勝負は続いた。まさに酒池肉林だ。いや、正確には酒池肉林+バクチと言って良いだろう。
不肖ながらボクは、学生の頃から女の子のいる飲み屋へ何回も行ったことが有った。パチンコでそこそこ稼いでいたからだ。通常そういった飲み屋は若造が行くところでもないし、そもそも金が無いと話にならない。
当時のボクは、同年代の若者の知らない世界を少し余分に知っていたのかも知れない。しかしながら、ここでみた光景は少しスケールが違っていた。
「金ってもんは、有る所には有るものだ。」そう思ったことを思い出す。とにかく贅を尽くしてとことん遊ぶ大人たちを見て、ボクは知らない世界を垣間見た気がしていた。
ボクの記憶はこのあたりまでで、途切れている。「お兄ちゃん、いやー上手に遊ぶっぺ!」最後にメンバーの一人から、こう声をかけられたことは憶えている。結局、預かった2つの束を無傷のまま社長に返したことも。
この経験がその後のボクに、どういった影響を及ぼしたのか? 言うまでも無いが、こういったろくでもない経験のせいで、ボクはその後もいろいろと道を踏み外すことになった。
あの時社長宅から帰るタクシーの中で、いつかこんな生活がしてみたいもんだと思ったことを、ふと思い出す。今考えれば、それはクズそのものの考えだったのである。
また気が向いたら、この続きを書こうと思う。(奥井 隆)
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