パチ屋の交友が いとも簡単に崩れ去る理由(最終回)
ここで話をパチ屋の交友に戻そう。どんなに真面目な人であれ、どんなに気が合った友人であれ、どんなに懇意な間柄だったにせよ、「パチ屋で得た交友は、とにかく飛びやすい」のである。
私の場合、親しくなったのは同性・異性を問わず「友人」止まりだったが、中には男と女の関係になってしまう人たちも居る。というか、そうなってしまう人たちは想像以上に多かった。
だが今になって考えると、「飛ぶという行為が、いかに思いやりのある選択肢」だったかがよくわかる。何しろ、急に居なくなってしまうので、しこりが残らないのである。
ところが男女の仲になって一緒に棲み始めようものなら、また話は別だ。そういった関係のカップルに限っていうならば、修羅場が訪れるのは想像に難くない。パチ屋での交友でなくても、苦い経験をされた方は多いことだろう。
パチ屋の交友が いとも簡単に崩れ去る理由
最初に私は、「パチ屋の交友は、たった一つの理由でいとも簡単にぶっ飛ぶ」と書いた。
結論から申し上げると、パチ屋の交友がいとも簡単に崩れ去る理由とは、「その関係に必ず金銭問題が生ずる」ことである。
もっと具体的に言うならば、お互いにパチ屋通いをしていると必ずといって良いくらい「金銭の貸し借り」が生じるからである。バクチによる借金がいかに返済と遠いか、きっとあなただってよくご存知のことだろう。
借りた金が返せなくなった時点で、そういった関係はすでに崩壊しているのである。恥ずかしい話だが、この私だってこれまでに何度も貸し倒れの憂き目に遭ってきた。
こういった金銭トラブルは、友人であれ恋人であれ同じだ。同じ屋根の下で暮らしている男女なら、一層早くぶっ飛んでしまう可能性が高い。なぜなら「パチ・スロによる負債という被害がダブルで生じる」からである。
飛ぶにせよ「足を洗うよ」といった挨拶があったにせよ、その理由は殆ど「銭が続かなくなった」ということである。簡単な話、飛ぶのは返せない銭がある人が殆どで、そういった金銭トラブルがない人は、こまめに廃業の挨拶をしに来られたものだ。
飛ぶ前の兆候
ここで「飛ぶ人の特徴」と「飛ぶ前の兆候」について書いておきたい。飛びやすい人とは、一体どのような人なのだろうか?
ここでいう「飛びやすい人」とは、あなたの想像通り金銭にだらしなくフラフラとしている人物だろう。それは間違いないことである。だがそういった人とは本来付き合いがないから、それは「飛ぶ」とは呼ばない。ただ単に、顔見知りがホールから姿を消しただけのことである。
問題は心を許している友人が突然居なくなってしまうケースである。飛んだことが知れ渡り、仲間同士で、「おいおい、お前いくら貸してた? オレは…」という話になるわけだ。つまり飛ぶ前の兆候で一番多かったのは誰かから金を借りるということで、そういった状況になれば遅かれ早かれ「そいつは必ず飛んだ」のである。
パチ屋での借金とは
パチ屋で金を貸すということについて少しお話しておくと、その金は貸すのではない。餞別として渡すのである。これまで私は、そういった意味で一度も期待を裏切られたことがない。
つまり借り主が大勝ちして、その日のうちに返してきたお金以外は全て、手元に戻っては来なかったということである。また、パチ屋での金の貸し借りとはそういったものである。
もしも飛ばなければ、こちらもいつかは催促しなければならないだろうし、その都度お互いに気まずい思いをすることになる。しかしながら飛んでしまえば、もうそういった因果を捨て去ることができるのだ。
また、飛ぶ方にしてみれば、自分の勝手な都合とはいえ、消えるというのはなかなか難しく面倒なことである。二度とその店を訪れることもできないだろうし、大手を振って住み慣れた街を歩くこともできないだろう。
最後にあなたへ
いかようにプロであっても、ちょっとした理由で躓けばたちまち金欠に陥ってしまう。その理由は、通常の仕事と違ってパチ・スロがバクチであるからだ。
その日の負けは、後日に上乗せして回収しなければならない。営業などの仕事と違って、決してチャラとはならないのである。だからちょっとでも不調が重なると、あっという間に破綻してしまう。
そういった凌ぎがつらくて廃業する人は多かった。これまでに私は、廃業するプロに就職を斡旋したり相談に乗ってあげたりしたことが何度か有った。だが、ちゃんと足を洗って正業に就けた人は一人も居なかった。
その理由だが、以前にも書いたとおり「会社勤めが長続きせず、またホールに舞い戻ってくる」わけである。もう、そこで稼ぐだけの力量など残っていないにもかかわらずである。
そういったプロたちの末路がどのようなものかについては、また機会を設けて書いていこうと思う。
ひとたび「パチ・スロで喰う」という甘い汁を吸った人は、そう易々と社会復帰できない。それは一度でも体を売ったことがある女性が、そういった世界から容易に抜け出せないことと酷似している。
たとえ喰った経験があったとしても、パチ・スロという凌ぎの中で「銭という問題」を抱えた人は、依存症ギャンブラーと同じく一生やらないという選択肢しかない。今、このことをあなたにお伝えしておく。(奥井 隆)
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