カミングアウトを「言い逃れ」という家族心理について
いつも掲示板やコンテンツ内で議論になるカミングアウト。SAGSでは、これまでカミングアウトを「最も効果的な生活環境の改善」とし、参加者さんたちにこれを推奨してきた。
だが最近になって寄せられた相談で、「カミングアウトすること自体、依存している人の言い訳ではないのか」という質問を頂戴した。結論から申し上げると、家族にちゃんと「自分はギャンブルに依存している」と告げることは決して言い訳ではない。
また同時に、我々依存症ギャンブラーの立場からするならば、カミングアウトは苦渋の決断である。進んで「カミングアウトしたい」と思うものでもないだろう。それほどまでにカミングアウトとは本人にとってつらく、また敷居が高いものなのである。
だが、依存症ギャンブラーのそういった言い分が通用しない場合がある。今回は、家族側に存在するカミングアウトへの不信感について書いてみたい。
「依存した」と告げるのが なぜ言い訳!?
ひょっとしたら冒頭の部分だけ読んで、「そうだよ。その通りだよ! 俺の場合もそうだった」と叫んだ方もおられるかもしれない。実際、そういった経験をされた方を何名か知っている。ちなみに、私自身も経験している。
意を決し、喉が焼ける思いでカミングアウトした結果、「それは言い訳だ!」などと言われたとしたら、カミングアウトした本人は驚きのあまり気絶するかもしれない。
いや。気絶こそしなかったが、私の場合は眩暈(めまい)がして倒れそうになった。それほどまでに、そのレスポンスは驚きに満ちかつ予測不能なものだったのである。
あの時、父ははっきりとした調子で私に言った。「お前は言い訳している。自分の非道を言い訳している。『いつ、また同じ状態に戻るかしれない』など、家族にとってみたら言い訳にしか聞こえん」
つまり父は、私が「依存は一生治ることがない心の病」と言ったのを聞き、「再発したら、こいつはまた『依存なんだから仕方がない』とでもほざくのだろう」と考えたのだ。
だがよく考えてみれば、そう考えることも無理はない。依存であることを言い訳にして、スリップ三昧再発三昧になったら、確かにそれは「依存という言い訳」と取られても無理はないのである。
改善のエビデンスは 背中で示す
もしも「言い訳だ」と言われたら、言われた本人がショックを受けるのは間違いない。やけくそになって、自分の心の中で、「しめた!」とばかり今度は本当の言い訳がムクムクと目を覚ますかもしれない。「どうせ、信用してもらえないんだから、お前やめる必要なんかないんだよ」と眠っていた悪魔が囁くのである。
だが、そういったことを言われて自分に都合よく言い訳を繕うならば、まず間違いなく再発して地獄行になるだろう。そうならないためにすべきこととは一体何か? ここでもう一度、自らの経験を語ろう。
その後、私の場合は父に何度も同じ話をした。そして何とか依存についての理解を得ようとした。しかしながら、それは叶わなかった。結論から言えば、言葉ではなく自らの背中で見せるしか、信頼を回復する手段がなかったのである。
世の中には口で説明しても平行線のままという場合が多い。信頼を損ねていればなおさらだ。だが、それを本当の言い訳に繰り替えてしまうのは避けねばならない。ここは、ぐっと堪えて我慢するしかないのである。
家族を安心させる為にできること。それは、何よりも本人がちゃんと努力している背中を見せてあげることである。改善のエビデンスは、あなた自身の背中で示すべきなのだ。(奥井 隆)