海に散骨、樹木葬、キリスト教、子孫の供養無くて、成仏出来ない  納得何か要らん

海に散骨、
樹木葬、
キリスト教式合同葬、
子孫の供養無くて、
魂は成仏出来ない。
神仏の供養して、
成仏して行く。

信仰の自由やないか、と
物分り良い事が、救われに
直結しとらんし、
頭で考えた救われやろと
価値観の其処は
神仏は架空の妄念。

感想であると、西洋架空価値観と
思こむ愚かさを賢さと勘違い、
そして無宗教になる。

弘法大師や
伝教大師や
親鸞や
法然レベルまで、
人間のレベルが
行ける人はないので。
魂のレベルがが
過去の聖人へ及ばない
とうこと。

だから、
一般ピープルがなぜ成仏出来る
と思うや、
成仏出来ない。

天国に簡単に行かない。

世の中や人の為に
尽くした功績がなければ。

天国に行かない。
ほとんど平凡は
功績が無い。

だから昔から、
世の中や人様の為に
尽くせと教えて来たはずだ。

出来ないなら、
功績が無いと思う。

自然に魂は還らない。
全てを水に流せない。
時間は思いを
浄化しない。

だから、散骨した海岸では、
数万人の亡霊が海岸を彷徨う。

散骨に後悔と怒りを持ち。
成仏出来ないからだ。
そして子孫の供養も無いので、
忘れ去られて行く。

忘れ去れられても、
魂が浄化成仏出来ない。
亡霊が彷徨う。
海や山を。

供養しようとしても、
お墓や
遺骨を散骨したら、
依代が無いので、
救われ無い。

樹木葬した魂は、
自然に帰らない、
大地にへばり付く。

キリスト教式合同葬は
個人的信仰になるので、
先祖代々の仲間に入らない。

キリスト教式先祖供養がないので。
キリスト教信仰も
先祖代々の御墓が必要に
なるのだ。
不要とは、
言わないし、
それは観念的信仰。

キリスト教を信じる基本は
自分が救われたい為だけど、
結局自分中心のエゴイスト
に同じだから。

自分が救われたい
自分が救われたい
自分が救われたい
自分が救われたい。

この気持ちは
エゴイストだから。
先祖代々
キリスト教信仰していない
ので、
自分中心は自分の先祖代々
の仲間に入れない。

キリスト教式でも、
先祖代々の御墓が必要
なのは、其処に帰るからだ。

先祖代々の言葉を借りると、
子孫のエゴイストでキリスト教
なんて分けのわからん
もん信じて自己満足しとる。

先祖代々の繋がりを捨てとる。
子孫として情けなや。
あほや。
子孫の繋がりより、
異国の信仰や。

こう来るのやで。

だから、
散骨や
樹木葬や
キリスト教式合同は
救われ無い。

亡霊は海岸に何千人と
彷徨うて居る。

それが本質やで。

分かるかい、
自然に魂は帰らんのや。
全てを水に流せないのや。
だから上の葬式をするな。
救われ無いのを選ぶなや。

分かるかい、救われ無いのや。




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