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5分で人物史 | 《1話完結》次期イギリス国王と不倫した女 - ウォリス・シンプソン

ウォリス・シンプソンは、エリザベス女王の伯父・エドワード8世の妻です。

アメリカ生まれ2度の離婚歴のあったウォリスと時のイギリス国王が結婚する――この事は当時のイギリスに大きな衝撃を与えました。

エドワード8世がウォリスと結婚した事は国民の大きな反感を買い、結果的に1年足らずで王座を捨て、弟のジョージ6世が即位。

そしてジョージ6世の娘がエリザベス2世として女王の座につき、今に至ります。


雑ですが王位継承順位の移り変わりはこんな感じ☟

(ウォリスがエドワードと愛人関係になった頃)

(ジョージ5世崩御直後)

(エドワード8世退位後)

もしもエドワード8世が他の女性と結婚して子供をもうけていたならば、王位継承順位が変わってエリザベス2世は女王となっていなかったかもしれません。

今回は、そんな現在のイギリス王室にも大きな影響を与えた1人の女性の話です。

◆子供時代

1896年6月19日にアメリカ メリーランド州・ボルチモアで生まれました。
生まれてすぐ父親を亡くしますが、裕福な親戚の援助で暮らしていました。

ウォリスが12歳頃、母が再婚。
数年後に、これまた親戚の援助で州の中でいちばん学費が高い女子校に入学します。

その愛らしい容貌や人当たりの良さ、頭の回転の速さで、周りからは人気があったようです。

(10歳のウォリス)

◆奔放な男性遍歴

では突然ですが、ここからエドワード8世と結婚する前の彼女の男性遍歴をざっくりご紹介します。

1916年11月: パイロットの夫と結婚

1922年: 夫が極東での任務中に外交官と不倫

1924〜25年頃: 北京で外務大臣と不貞行為があったとか無かったとか(関係者や専門家は否定)。

1927年12月: 最初の夫と離婚

1928年: 海運会社幹部シンプソンと再婚

1933年冬頃: エドワード王太子と不倫

 ※この後も割とごちゃごちゃある

ちなみに2度目の夫シンプソンには前妻と娘がいて、裁判で離婚成立後に再婚しています。

要するに、あれこれ結婚離婚不倫を経てイギリス王太子エドワード(のちのエドワード8世)に行き着いたわけです。

ちなみに彼女は10代の頃「金持ちでいい男を見つけて結婚するのが夢」と語っていたという事です。

◆王太子との出会い

さて2人の出会いはどんなだったかと言うと、元々ウォリスの夫エドワード王太子の別の愛人が知り合いで、その愛人の別荘で開かれたパーティーで出会ったそうです。
エドワード目線で言うと、愛人のツテで知り合った女性を更に愛人にしたという事ですね。

(1931年エドワードと出会った頃のウォリス)

愛人同士となってからのウォリスとエドワードとの仲睦まじさは留まるところを知らず。
エドワードはウォリスに高価な宝石を買いまくり、挙げ句の果てに同棲を始めます。

当時ウォリスには夫がいましたが、彼はどうしていたのかと言うと――夫にも愛人がいたので、妻の不倫は黙認していたそうです。

◆エドワードの王位継承〜退位

2人の関係が始まって3年後の1936年、エドワード王太子の父・イギリス国王ジョージ5世が崩御します。

国王はかねてから長男エドワードとウォリスとの関係を問題視しており、何とかして次男とその娘(今のエリザベス女王)に王位を継承して欲しいと考えていました。

エドワードとの確執を抱えたままだった国王の臨終の言葉は、"God damn you!"「ちくしょう!」だったそうです。


父ジョージ5世の崩御に伴い、1936年1月、長男であるエドワード王太子はエドワード8世としてイギリス国王に即位しました。


(1936年、ユーゴスラビアで休暇中のエドワード8世とウォリス ※この時点で結婚は未成立)


そして同年10月、ウォリスは裁判で夫との離婚が成立します。(離婚申し立ての理由は、夫の不貞だそうです)

エドワード8世は、さあこれでウォリスと結婚できる!と決意表明のラジオ演説をしようとします。しかし時の首相ボールドウィンは激怒

他の政治家から「国王は極度の緊張下でノイローゼ気味である」という声も出ましたが、エドワード8世の側近を通して、手紙で「議会は2人の結婚を支持しない」と伝えます。

手紙を読んだウォリスは、エドワード8世に自分はここを去るべきだ、それが最善の解決策であると別れを切り出します。

しかしエドワード8世は聞き入れませんでした。
自分は王位を捨ててでも貴女と結婚するつもりだ、とウォリスに告げます。

この瞬間、ウォリスは「生涯にわたって王室からの憎しみを買う」というとんでもない重荷を背負わされることになるのでした。


◆3度目の結婚〜ヒトラーの接近

結局エドワード8世は即位した年の12月にラジオで退位を表明。
「私は愛する女性と一緒でなければ、国王としての責務が果たせないのです」的な言葉を残して、ウォリスと共に敵だらけのイギリスを去りました。

(エドワード8世退位の声明文)

翌年2人はフランスのトゥールで挙式しますが、英国王室と政府からは誰も参列しなかったそうです。

(2人が挙式したカンデ城。by Manfred Heyde CC-BY-SA-3.0  Wikimedia Commons)

そんな英国王室から距離を置かれた2人に、同じくヨーロッパ中からそっぽを向かれたドイツ指導者・ヒトラーが近づきます。

ドイツに招待されたエドワードとウォリスは熱烈な歓迎を受け、ナチスドイツを支持する姿勢が目立つようになります。

この事態を重く見たイギリス政府は、2人をヨーロッパから遠く離れたバハマに飛ばしました。

(バハマ by TUBS, CC-BY-SA3.0, 
Wikimedia Commons
)

◆バハマ時代と、王家との確執

(バハマの航空写真)

ウォリスはバハマにいる間、戦時下にも関わらず贅沢三昧をしたり、アフリカ系住民を差別したりして相変わらず批判の嵐、「愛嬌のある◯゙ス」と揶揄されたこともありました。

(ちなみに、夫エドワードも人種差別主義的な所があったようです)

バハマでの任期を終え、ウォリスは夫と共にかつて滞在していたフランスに戻ります。

(2人が暮らしていたブローニュの森、
by Elekes Andor, CC-BY-SA 4.0 
Wikimedia Commons)

イギリスではエドワードのすぐ下の弟がジョージ6世として国王に即位していましたが、国王も王妃も王女(後のエリザベス2世)も皆ウォリスを嫌っていました。

(ジョージ6世は吃音があったり人前に出るのが苦手な性格で、彼や家族にとって王位を継承せざるを得なかったのはとんだとばっちりでした)

(戴冠式用のローブを着用したジョージ6世と妻エリザベス。ジョージ6世はこの戴冠式もやりたくなかったらしいです)

ジョージ6世は兄エドワードより先に崩御しましたが、ウォリスは大葬に招かれず、姪にあたるエリザベス2世の戴冠式はテレビで見ていたそうです。
そんなウォリス自身もイギリスが大嫌いでした。

しかしここで事態打開に初めて動いたのが、他ならぬエリザベス2世、今のエリザベス女王だったと言います。

◆晩年―王室との和解

1967年―エドワード71歳、ウォリス69歳の時。
ウォリスにとっては姑であるメアリー王太后生誕100周年記念式典が行われ、エリザベス女王はこれに2人を招待。
ウォリスは公式にイギリス王室メンバーとして認められたのです。

5年後の1972年、エドワードが逝去
ウォリスはバッキンガム宮殿での葬儀に参列します。

見送りの際、ウォリスはエリザベス女王から頬にキスを受けて周囲を驚かせました。
しかし他の王室メンバーの見送りには応えることなくイギリスを去ります。

その後、女王の許しを得てフランスで隠居
のちに、故エドワードの弟嫁であるエリザベス王太后(エリザベス女王の母)が彼女を訪ねるも、ウォリスは直前に体調不良を理由に会談をキャンセルしました。

そして痴呆症を患ったりして、1986年、89歳でその生涯を終えました。
彼女は王室メンバーとしてイギリスで葬儀が行われ、故エドワードの意思で、彼と共にフログモア王室墓地に埋葬されました。


おまけ

ウォリスとエドワードを扱った映画を2本ご紹介。

⚫︎ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋 
この2人の物語、映画化して面白くない訳がない(笑)



⚫︎英国王のスピーチ スタンダード・エディション 
ウォリスとエドワードは脇役ですが、大好きな映画です。エドワードの弟・ジョージ6世が吃音を克服しようと奮闘する姿に勇気をもらえます。


[2022.9.9. 追記]

イギリス時間で9月8日、エリザベス女王が死去しました。
またひとつの時代が終わった事を感じます。
ご冥福をお祈りいたします。

参考

Online journey

Wikipedia 日本語英語

Town & Country

mail online

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